人間の生き方

人間の生き方

生きるべきか、死すべきか

死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし
人間の生き方

生きる?死ぬ?

死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし
人間の生き方

僕は大自然(大宇宙)の力の中で生きている(生かされている)

脳卒中という病気になって思うことがある先日息子とプラネタリウムを見に行って久しぶりにこの大宇宙について考えた。若いころ、子供の頃夜空を眺め、思ったものだ。宇宙ってなんて大きいのだろう。。その「無限」という人間には想像もつかない果てしない大きさにある意味怖れまで抱いたものだ。それが成長し、大人になり人間社会という世の中に入り込んでいくうちに・・忘れていた。。大自然の大きさとその偉大な力のことを・・宇宙だけでなくこの地球の大自然だって人間の力ではどうしようもない、考えられないような力で形作られている。山あり、谷あり、川あり、大海あり、これらはすべて何か人知を超えた大きな力によって形作られている。そしてその中に棲む生き物たちも鳥は鳥、犬は犬、人間は人間とかんがえてみればそれぞれの「運命」は初めから人知を超え、形作られ、設定されているではないか。これは人間の生き方の善悪とは全く関係がく決まって運命付けられている。その人間の中でも、個々にみれば、ひとりひとり違った形に運命付けられている。生まれつき声の良い人もいれば、手先が器用な人も、数学に強い人もいる。身体の強い人もいるそうかと思えば、生まれつ...
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結果を恐れず、結果に捉われず・・

人間、結果を気にすると、結果が思ったようにいかないのではないかと感じると焦りが出るものだ。確かに良い結果を出すに越したことはない。でも僕のように後遺症という結果がいつ出るかわからない、もしかしたら一生結果は出ないかも知れないリハビリというものに取リ組むためには結果に捉われてはいけない。結果捉われると焦りにつながる。いつまでも結果が出ないとそれは諦めにつながる。「諦め」・・それは絶対にいけない。なぜなら「諦め」たらそこで本当に終りだから・・そのために結果に捉われず、今やるべきことを淡々と、粛々とたひたすらにやり、努力するしかない。結果は神のみぞ知る。。最大限努力できたことに満足しよう。障害者であるにも関わらず、健常者並みの結果を出そうとするから苦しむのだ。でも努力なら健常者以上にできるじゃないか。そして、その努力ができたことに満足しよう。結果に捉われず、諦めず・・最後まで努力できたことに。。それでいいじゃないか。たとえ思うような結果が出なくても・・それこそが人生の成功じゃないだろうか。
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エンドレスの苦しみなんて存在しない

僕もそうだけど人はつらいときその状態がいつまでも続くと考えがちだ。たとえその時点で解決法がなくても、心さえ止めなければ何かが変わると思う。倒産、破産、解雇、退学・・・こういったわかりやすい現象には多くの人々から助言をもらうことができるでしょう。でも障害者になるとか、人生をかけて得てきたものをはく奪される、また事故によって人を傷つけてしまうなどなかなか簡単には解決のつかない辛さもあります。簡単に「生きてて良かったね」とか「生きているだけで丸儲け」などと言われても「うん、そうだね」とは思えないものです。そんなとき僕もそうだったけど人はそのつらい状態がいつまでも続いていくと考えがちになります。でもそは違うと思う。解決法がないからそのまま何も変わらないというのは違うと思う。僕は障害者手帳をもらったときの病院の診断結果に「左手廃用・全廃」とか「症状固定」と書かれていました。このとき、僕はいろんな人に聞きました。実は僕は脳出血で倒れは急性期病院に運ばれ入院していた初期には1か月もすれば元気に退院できると思っていました。いやリハビリテーション専門病院に移送されたときでさえも、6か月は長いけど6か月も...
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「できない」から何んだ!

息子を肩車できない・・泳ぐこともできなくなってしまった。財布のお札も数えることができない。走ることもできない。。。なんでそんなことで苦しむの?それができないから何?それができたら何!?それができたらそんなにスゴイの!?じゃあ それができたら総理大臣よりスゴイの!?オバマ大統領よりスゴイの!?それができたらイエス・キリストより、ブッダより名が残るの!?総理大臣だって3代前になると忘れ去られている。オリンピックの金メダリストも4年毎に新しい名前に塗り替えられる。イエス・キリストですら、2000年くらいしか名が残っていない。それに比べてこの地球は50億歳だ2000年なんてあっという間の出来事だ。そもそもそれが「できた」からって何の意味も持たない。そんなことを考えて心が病んで生きることの方が損だ。人間の人生なんて長くてたかが90歳そこそこじゃないかそんな短い人生。。宇宙から見れば一瞬の出来事。。しょせん人間なんてたいしたことない。だからそれが「できない」からなどと悩んだって何も変わりはしない。思い悩むだけ損!
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人生は狂わない

僕は結構若くして脳出血で半身不随という障害を負ってしまったが決して人生が狂ったわけではない。そういう人生なだけであるそして今、僕がやるべきことは、この困難を乗り越えることただそれだけのこと。そのためには希望を抱き、心の安寧を保つこと。「もし・・だったら・・ができる」とか誰々が・・をしてくれないから・・ができない自分の思うようにならないから・・ができない歴史も同じだけど、僕にはもう「もし」はないのです。もし・・だったらと言ったところで・・できない理由を並べ立てても・・誰かのせいにしても・・何の解決にもならないのです。僕がやるべきことは・・困難の解決のためにこの身体でできることをただ粛々とやるだけなのです。そこに心の動揺があってはいけない。痛い事に対してなぜ痛いのかと悩んでも仕方ない。痛みとは闘うだけ痛みに対して悩んでも痛みは取れない。不必要に悩むことは心まで病んでしまうだけ心が病んでしまったらそれこそ何もできなくなる。心を前向きにするためには希望を見つけること希望さえみつれば、目標さえみつかれば、心は自然と前向きになり、それ向かって知恵を出すことができ新しい第一歩が始まるはず、、今僕がや...
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逆境と順境

古来、逆境を乗り越えてきた偉人たちは誠に強靱であると思う。逆境は人を強靱にする逆境は決して人生が狂ったわけではない。そういう人生なのだ。だから逆境は乗り越えるものなのだ。乗り越えなければならない。自分に与えられた人生として、素直に「受け止め」今の自分にできる限りの努力を粛々と努め、乗り越えるしかない。だからと言って逆境に会う事が必ずしも人の成長に良いと言うつもりはない。順境だって、その与えられた順境の中でやるべき事を粛々とやらなければならないと思う。自分に与えられた人生をキチンと受け止めなければ、逆境は卑屈を生む。順境だからと言って必ずしも良い(幸せな?)人生になるとは限らない。ややもすると順境は自惚れを生むのではないだろうか。逆境は卑屈を生み易く、順境は自惚れを生みやすいと思う。自惚れも人からやる気を奪うし、卑屈もやる気を奪うと思う。やる気を失った人生は順境であれ、逆境であれ、どちらも不幸せではないだろうか。逆境であれ、順境であれ、要は自分与えられた人生の中で希望や志を持ち続けただひたすらに今やるべき事、やれる事をやっている状況こそが本当の意味で、充実した人生であり、幸せな人生といえ...
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逆境の言う名の幸福

逆境は人を強くするというが我ながら本当にそう実感する。僕の場合、それだけでなく健常者のころよりずっとずっと世界が広がっている。それは自分が障害者になったことによって「役に立たないダメ人間になってしまったのではないか」という自己嫌悪というか、恐怖感が僕を新しい世界へ導いてくれたように思う。少なくとも僕は今、再生可能エネルギー分野においてはその日本の潜在的なポテンシャルを誰よりも知り尽くしていると自負できる状態になっている。「潜在的なポテンシャル」と表現したは大企業ではなく、まだ世に出ていない中小企業が水面下で開発している再生可能エネルギー技術を表現したつもりです。更に向けて世界にこういった最先端の環境技術を導入するサポートをするという立場にいる。倒れる前には考えられなかったことだ。倒れる前の僕といったら一零細IT会社の社長で親会社からの下請けに徹していた狭いITの世界しかし知らない世間知らずの人間だった。到底エネルギー分野のことなんてま全くの素人で自分とは縁のない世界だった。それが今、なんとアフリカのギニアなっどという遠い遠い国に日本の水処理技術を導入するサポートをしているのだ。それもこ...
人間の生き方

死と向き合う

僕の脳出血はもやもや病が起因だから、他の脳出血よりも再出血の確率が極めて高い、しかも今、僕はその中でも最も再出血の確率が高いとされている46歳から55歳の間であるこうなるといやでも死を意識せざる得ない人間いつかは必ず死を迎える。これだけは誰にも避ける事はできない。そう考えると、、生きるとは死への旅路でもあり、死への準備期間ではないかと思えるのだ。如何に後悔なく死を迎える事ができるかが重要だと思えるのだ。後悔の無い人生を送り、後悔なく死を迎える事とは?決してそれは、成功(経済的成功や社会的成功)を意味するものではない。そんな成功をしたからといって必ずしも後悔の無い人生とは限らない。失敗は無念ではあるかもしれないけれど、後悔にはならない。志を達成できなかった人生も無念ではあるかもしれないけれど、後悔にはならない。後悔の無い人生とは死に際に、、成功とは全く関係がなく、自分の持つ能力で精一杯頑張る事ができた、何ひとつ手を抜く事がなかった、と自信を持って言える事ではないだろうか後悔の無い人生を送り、後悔なく死を迎えるためには生きている間に死への準備が必要だ。死を恐れる事よりも死への準備ができてい...