人間の生き方

人間の生き方

生きなければならないから、希望を創る

希望って、、やっぱり、どこかに存在するものじゃなくて自ら創るものだと思うどこかに存在するわけではないから探すものでもない何にも無いところから創るもの。僕自身、脳卒中で倒れ、障害者になってから会社も失い、身体機能も失いな~んにも無くなってしまったでも、いまは少なからず希望があるそれは、こんな身体でもう生きていたくないというような状況のなかで生きている限り「生きなければならない」という重荷を背負わされたがゆえに否が応でも生きていかなければならないそして、生きていくためには希望が必要だったのだと思うでも、どこにも希望なんて見えなかったそんなものどこにも無かった、、だから、何にも無いなかで、自分で創るしかなかったのだと思うだから、必死の思いで自分なりの希望を創ってきたと思う。そして今それが自分にとっての希望になっているのかどうかまだわからないけれど、少なくとも自分自身が希望だと思っている限り、僕の希望であり続けるのだろうだから生きようと思えるのだ。iPhoneからの投稿
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一蓮托生かぁ

俺とお前は一蓮托生だ!なんて最高の人間関係であり、尊い「絆」だと思うでも実際のところ俺とお前は一蓮托生だ!なんて言う奴に限ってイザというときには逃げるそれにイザということには力になるよなんてなんて言う奴に限ってイザというときには逃げるなざなら葉隠武士道でも言けど、イザとは「今この瞬間の事」だからであるそれどころかそう言う奴に限って相手には一蓮托生を求めているけれど自分は何もしない最近の世の中、親子でさえ一蓮托生であり続ける親子って少ないと思う実際に僕の身の回りにそういうのが二人もいる一つは取引先の厄介なおっさんいつも俺たちは一蓮托生だみたいなことを言っているくせにキチンと支払いさえしないそれどころか自分の欲のために自分の子を保証人にまでして借金するから始末が悪いそしてイザとなったら逃げる僕は何もひねくれているわけじゃないけれど僕はある意味仕方のないことだと思うなぜなら、人間には自己防衛本能ってヤツがあるから・・最近、僕はなんか人の「心の裏」が透けて見えるような気がするんだそれは何も超能力とかいうようなものじゃなくって障害を負って以降というもの人の言動と行動の「不一致感」にとても敏感にな...
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運命、自我、自由意志・・

僕の左手・・何の傷もない健常そのものだ・・・筋肉も付いている確かに僕の左腕だのはずだ・・なのに動かない・・僕の意思を無視するそして 痺れ、痛むこれは本当に僕の腕なのか・・?僕の肩から確かにぶら下がっているこれはサウスポーだったあの僕の自慢の左腕なのか?左足も同じだ・・何の傷もない健常そのものだ・・・なのに動かない・・僕の意思を無視するそして 痺れ、痛む・・これは本当に僕の足なのか?僕にこんな「運命」が待っているとはよもや思わなかった不自由のなるってこういうことだったのか存在するのに僕を無視する健常なのに動かない・痛む・痺れる困ったもんだこんなことになる事が「僕の運命」だったのか?って・・感じているそして運命ってなんだろうって運命っていうことは「最初から決まっていた」っていう事?僕は昔アインシュタインの運命論を支持(信じて)してきたアインシュタインによると・・人間は生まれた瞬間から死ぬまであらゆることが運命付けられているというそれは物理学の法則からの考えだ僕も理系だったし、いわゆる科学者の端っくれだったからアインシュタインの言うことも何となく理解していたつもりだつまり、物理の法則によると...
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幸せって何だっけ?

幸せってなんだっけ?障害というものを背負ってしまい人は何のために生きるのか?いつも自問自答している僕はは幸せとは人によって違うものだと思う幸せなんて十人十色百者百様、ある人にとって幸せであってもある人には幸せではない。また逆にある人にとっては不幸せであっても、ある人にとっては充分幸せであるだから自分が幸せだと思えば、幸せなんだし、不幸せだとおもえば不幸せなんだと思うこれは人間が大昔から考えてきた難しいテーマだそしてその人の感じる幸せや不幸せは永遠には続かないって事に気付くのが大事じゃないかな例えば女性なら・・「もっと綺麗になりたいのだけど・・・」そう思って、いろいろやってみるけど、なんだか疲れたわ・・・「いい会社に就職したい。」そう思って、がんばって就職したけど、ひどい会社だった・・・「バックがほしい。」貯金をみんな降ろして買ったけど、飽きちゃった・・・「彼氏がほしい。」彼氏がいれば、きっと幸せのはず・・・でも、いざ彼氏ができると ケンカばかりだし、ちっとも幸せじゃない。「車、家がほしい、・・・とりあえずお金が欲しい。」たぶん、車が手に入ったら しばらくはうれしくてドライブしたり、 車...
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希望や強い目標は不満足から生まれる

希望や強い目標は不満足から生まれると思う満ち足りた人間からは絶対に生まれないそれは別に大金持ちにならずとも現状に不満足のない状態からは本当の目標や希望は生まれない。本当の目標とは・・本当の希望とは・・・どんなに未来が不透明でもどんなに未来を信用ができなくとも決して捨てられないモノだと思う。なぜなら経済的にも身体的にも、あらゆる不満足に埋もれてしまっているから今僕は、希望を捨てたくても、捨てられない・・
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無我夢中で走り続ける

自転車を安定させるためには、、走り続けることが大切スピードを緩めたり、止まったりするとあっという間に不安定なる人間の心も同じだと思う将来が不安だからと言ってゆっくり考える時間なんて作るとロクでもない事ばかり考えるものだ僕なんか、立ちとまって考えた瞬間から、自分の障害の事が気になり始め、障害の事ばかり考えるようになってしまうそして、何故こんな身体になってまたんだ、と過去を振り向き始め、そして、未来が不安なる自分の心の周りがいつの間にか不安だらけになり、不安に囲まれて、逃げ場がなくなってしまう。やはり、不安を解消する唯一の特効薬は目の前の事に無我夢中で取り組む事だと思う無我夢中の「無我」の状態が大切なのだと思うそうして無我夢中で走り続けているうちに、いつしか心は安定し、心が安定すると、前向きになれる前向きになれば、知恵も湧く立ち止まってはいけない走り続けるのだ!実際の身体はもう走る事なんてできないけれど少なくとも心は無我夢中で走り続けなければならない心が立ち止まってしまうと無意味な不安が増幅するだけ、不安は人の行動や判断を狂わせるそして何よりも不安からは知恵はでないだから走り続けるのだ!無...
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主人公

僕は世の中の中心だ自分が世の中の中心に居るのだと僕はいつも思っているそれは自己中心的という意味とはちょっと違う僕は障害者である世の中にとっちゃ小さな脇役に過ぎないでも、少なくとも僕は僕の人生の主人公だ自分が、世の中の中心に居るのだそんな意味で、僕は自分が世の中の中心に居るそう思っている主人公だから、大きな壁が立ちはだかる僕が主人公の僕の人生という舞台では身体障害という試練に合う主人公だから苦しむ主人公だから痛い主人公だから悲しい主人公だから憎しみを持つそして苦しい主人公だから波瀾万丈でも、主人公は最後まで舞台を降りないだから僕は障害を負ったからといって人生の舞台から降りてはいけない立った一回きりの人生なんだから自分が主人公だと思って人生を楽しもう障害の苦しみも、いろんな、辛い、悲しい出来事も自分が主人公だからと思っていれば少しは慰みになるでも、やっぱり自分の人生はどう考えても自分が中心に居るだって自分の人生なんだから、、世の中では小さな小さな脇役でも自分の人生の中だけでは僕は主人公でありたい人は皆、人それぞれに人生波瀾万丈なのだ。そして人は皆、自分の人生の主人公だから、最後まで自ら舞台...
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死んでも這い上がる!Never Give Up !

僕にはネバー・ギブアップと自分の心を奮い立たせるときに必ず思い浮かべるシーンがある言わずと知れたスポ根映画の最高峰(だと僕は思っている)映画『ROCKY』のこの場面だ。。このアポロにパンチを食らい倒れてから起き上がるまでのほんの十秒ちょっとのこのシーンが僕の心を奮い立たせる・・なぜなら、この倒れてからロッキーことシルベスタ・スタローンは四つんばいになって両手両足をバタつかせながら必死で立ち上がる。セコンドではマネージャーのミッキーが「立ち上がるな!そのままダウンしておけ!」と叫んでいるにも関わらず、必死で立ち上がろうとする僕はボクシングなんて全くやったことがないけれどやっぱりこのシーンのロッキーの心の中に「今ここで終わらせない!死んでも立ち上がってやる!」というNever Give Up !の精神を感じてしまう。このシーンを初めて観たのはまだ僕が中学生の頃だったと思うけどこの十秒ちょっとのシーンに心が震えたことを覚えているそれから約35年後の今、僕は半身麻痺の障害者となり、人生のどん底に突き落とされたいろんなことができなくなった自分を感じるとき、痛くて、痺れて、痛くて、どうしようもなく...
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やらなければならない事より、やりたい事

昨夜は久しぶりに再生可能エネルギー技術についての記事を書いたいつの間にか夢中になっていて、気が付いたら、午前3時前になっていた僕にとって、再生可能エネルギーに関する内容を書く事は、世の役にたちたいといういわゆる使命感というようなものではなく、やっていて楽しいというか、無我夢中になれるものになっている気がするやっぱりこの不自由で苦しい身体で生きていくためには、やらなければならないという使命感のようなものよりやっていて無我夢中になれる「やりたい事」が大切だとあらためて感じた人間は本当に「やりたい事」を見つけたとき、そこに「ヤル気」が生まれ、楽しさを感じると思う。たとえ、障害を負って苦しくても、せっかく脳卒中を生き延びられた人生なのだから、「人生は楽しまなければならない」のではなくて、「人生は楽しまなければもったいない」と思うのだ自分自身がたのしんで生きている事こそが、周りにも幸せを与えるような気がするから、、そんな意味で、この身体で、「やりたい事」を見つける事ができた僕は幸せだと思う。
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安楽死

今日何気なくこんなニュース記事をネットで見つけた---------------------------------------------------------------------------ベルギーでは2002年に安楽死が合法化されたらしい、2011年には1133件の安楽死があった。そのうち86%が60歳以上で、72%ががんに冒されていたという。また、同国で安楽死を希望する患者は、成人で判断能力がある人物でなければならないほか、持続的で耐え難い精神的・肉体的苦痛を感じていなければならないなどと制限が設けられている。----------------------------------------------------------------------------このニュースを見て僕は妥当な法律だと感じた・・よく安死を求める人に対し、「死ぬ気になれば何でもl耐えられるじゃないか」とか「死ぬ気になれば何でもできるじゃないか」という人がいるでもこういう人は「本当の生きる苦しみ」というものを知らないだけの戯言だ「死ぬ」より苦しい「生きる」なんていくらでもある僕が苦しんでいる視床痛だっ...