独り言

独り言

人生なんて皮肉なものだ。

本当に人生で皮肉なものだと思う。ここにきてNPO法人の活動が急激に拡大してきた。なんと国家事業でもあったJAXAの次世代型ロケットGXの海外窓口をやるのだ!その他にも最先端の水質浄化装置の海外への販路開拓。エネルギー事情を根本的に変えてしまうかもしれない最先端の蓄電装置の開発支援と海外進出支援。3年前の健常者だったころの僕には考えられなかったようなことだ。僕には到底無縁だった世界と今深く関わり合おうとしている。無限に夢があるように感じる。2年前脳出血で障害者となって生きる望みを失っていたなんて嘘のようだ。それにしてもこれだけ大きな展開になってきていると言うのに体が不自由で動かないと言うのは何とも苛立たしい。。今健常な体を、手を、足を持っていたら。。と思ってしまう。。。資料を一つ作成するのに片手だけのタイピングなので猛烈に時間がかかる。ミスタイプだらけ・・イライラする・・体が不自由になってから人生がこんな展開になるなんて・・皮肉としか言いようがない。もし神様というものは存在するのならあなたはなんて意地悪な人?なんだ・・
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プライド

僕にはプライドがある。人間としての誇りである。男としてのプライド父親としてのプライド夫としてのプライドそんなプライドだけは捨てたくない。死ぬときに自分の人生に後悔を残したくない。それは自分の持っている能力を最大限使い果たしたかどうかである。決して成功の人生=後悔のない人生ではない。たとえ結果は失敗だったしても、最善を尽くすことができた人生であればそれで良い。失敗は無念にはなるけれども、後悔にはならない。生き方に手を抜いた人生や人を欺いたりした人生こそが後悔になる。死ぬときには精いっぱい頑張った人生だったと思いたい。それが僕の人生のプライドだ。だからこれからも苦しいことに対して一切の弱音は吐かないと自分に誓う。またつまらないことに嘆き、悲しんだり人を恨んだり、不平や不満を持たない。そしてからだが不自由でどんなに苦しくとも、どんなに悔しい思いをしようとも傷や痺れがどんなにキツくともたとえ障害者であっても凛として生きていくのだ。そんな生き方こそがプライドだ。これは人間にしかもつことのできないものだ。
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孫正義さんはエネルギー業界の利権構造の壁を打ち破ることができるか。

ソフトバンクの孫正義さんが今回、自然エネルギー協議会を立ち上げ、太陽光発電パネルのメガソーラー普及構想をぶち上げた。これは既存のエネルギー業界(電力会社などの大手企業)に闘いを挑むことにほかならない。僕も先日からNPO法人の関係で超薄膜太陽光発電パネルの普及促進のために動いている。2、3日前のブログの記事にも書きましたが、この超薄膜太陽光発電モジュールは実に画期的なものです。工場の大きな屋根など、果ては東京ドームレベルの広さの屋根に設置することができるのだ。なぜなら超薄膜でなるがゆえに超軽量なのだ発電効率そのものは悪いが広い面積の設置が可能なので、大きな屋根に設置すると全体の発電量としてはメガワットクラスの発電が可能になるのだ。これを全国展開、いや世界に向けて発信し、普及促進することNPO法人でサポートするのだ。目標はとして全国に数百店舗の代理店展開をする予定だ。数百店の代理店が全国の工場や倉庫などの産業用建設物の屋根に設置すれば相当の電力を賄うことができることが試算できている。方法としては企業の持つ産業用の建築の屋根をレンタルするのだ。そして発電した電気を売電してその利益でコストを償...
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死を怖れ始めた自分

昨日、記事を書いていて、自分の大きな変化に気がついた。自分が死を怖れ初めていることに気がついた。1年ほど前までの僕は死を怖れていなかった。むしろ死を望んでいた。当時はそれほどまでに生きることの方が苦しかったのだ。毎日24時間46時中続く中枢性疼痛(たぶん経験したことのない人には分からない苦しみ)・・当たり前にできることが出来なくなったことで恐ろしく不自由な毎日・・そんな現実を受け入れることが出来なかった。。だから生きることの方が苦しいと思っていた。毎日、一日を生きるのが精一杯だった。こんな苦しい思いをしてまでなぜ生きなければならないのかと思っていた。だから死を望んでいたように思う。ところが今、死を怖れている自分がいるのだ。。そんなことから半身麻痺という障害を少し乗り越えたのではないかと感じている。あれほど苦しいと感じていたことを受け入れ初めているのではないか。生に対する欲求が生まれ始めている自分がいる。さあ、これから僕はいつまで生きるのだろう。。それは「自然の摂理」に任せるとするか!
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病の始まりと病の終わり、健常者(医師や介護者)と病者(障害者)の関係

病の始まりと病の終わり、そして健常者と障害者人間はそれぞれ異なる人生観を持っていても、極限の状態にあっては生死を超越した安楽を願う心に違いはないだろう。病は痛みに始まり、病の終わりは痛みの終わりである。そして痛みの終わりは死でもある。そんな痛みと闘い続けているとき、病者の傍に座って訴えを聞き、身体の痛みと心の痛みを和らげ鎮める努力をしてくれて手を握ってくれヒト・・そこに病者は尊い愛をみる。病者(もしくは障害者)と健常者を隔てる壁は高く厚い別世界と呼んだ方が当たっているほど両者の感じ方、考え方には隔たりができてしまうのだろう。それがたとえ肉親や親子であってもその隔たりを埋めることは至難であると思う。健常者の方々、いや特に病者を診る立場にいる医師たるものは、その壁を乗り越え、少しでも病者の世界に近づく努力を続けてほしい。そのためには、単に医学の知識を習得したり、最新の検査設備や医療機器を駆使することではなく、病者の言葉に耳を傾けることが最も大切なことではないか。これが病者(障害者である)私からのメッセージである。
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イメージ通りの動きが出来ないもどかしさ

ここ数日梅雨前線や低気圧の影響か恐ろしく体が辛い。朝起きても左半身の痺れがひどいまでに左足は完全に硬直状態だ!パソコンの部屋に入って仕事がしたいが、思うように体が動かず部屋まで行くのが辛い僕の家は2階建てでリビングが2階で仕事部屋が1階なので仕事部屋いくためには毎回階段の上り下りが必要なのだ。「いいリハビリになるね」などと言わ出たことがあるが、僕にとってはそんな生易しいものではないのだ。体は思うように動かない、しびれが辛い、でも頭だけは働いているフル回転している。それが辛い。頭で考えているイメージ通りに物事が出来ないからだ。もどかしいにつきるのだ!辛いなどという気持ちを通り越して腹が立ってくる。なんとかならないものか。これ・・
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これは執念なのかも知れない

人の役に立つ人間でありつづけたい。人から介助を受けやければ生きていけない、施しを受けなければ生きていけないそんな役煮立たずな人間にだけはなりたくない。それはもう執念に近かった。なぜなら2年半前のあのとき、僕はもう何の役にも立たない人間になってしまったと感じた、父親としても夫としても何の役にも立たない人間になってしまった・・と感じたあの辛さを二度と味わいたくない。自分が役に立たない人間と感じることがこれほど辛いことだとは思わなかった。これは味ったことのない人には分かるまい。だから、少しでも役に立つ人間でありたい。もう二度とあの心の辛さを味わいたくない。生きていて、生きているにも関わらず、そして人とのつながりを持つことができているにも関わらず、人の役に立たない人間であるということ、そう感じてしまうということそのことの辛さは計り知れない、少なくともそれは僕にとって生き地獄だ。生きている意味がないに等しいほど辛く苦しく、悲しいことだ。だから、そんな辛さから脱出するため、ただそれだけのために人の役に立つ人間でありたい。そんな僕の気持ちを満足させるためだけに立ち上げた環境技術データベースサイトであ...
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全ての事象にリアリティがない

リアリティがないそうだリアリティがないのだ!脳出血以来、すべてのものにリアリティがなくなった。目に見えるもの耳に聞こえるもの人の言葉すべての感覚からリアリティが消えた・・・そう現実感がすべて消えた今やっとわかったような気がするやっと言葉が見つかったかもしれない。たとえば道を渡ろうとするとき・・走ってくる車は認識できる。だから通り過ぎるまで待つ。でも見えている車にリアリティがないのだ。ぶつかっても痛くもなく、死なないような気がする。言葉も理解できる。計算もできるこうやって文章も書けるでもそこにリアリティがないリアリティを感じないそんな「感覚のない感覚」が苦しいただ人の心の中だけは透けて見える気がする言葉の奥に潜む心そんなものが見えるようになった気がする。そんなものが見えると苦しい。怒る、悲しい、腹立たしい素直に楽しめない、喜べない。
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村上春樹氏と日本政府とどちらが非現実的な夢想家 ?

村上春樹氏のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチが話題になっていましたが、僕は村上春樹氏のスピーチに少し疑問を持っている。彼は日本の戦後を「効率至上主義」だとして、結果として核を利用した原子力発電という方向に走ってきたと日本の方向性を批判した。そしてそれを疑う(あるいは批判する)人は「非現実的な夢想家」とされてきたと自分を弾圧されている思想家のごとくスピーチしていた。僕が疑問を持ったのは村上春樹氏が本当に「非現実的な夢想家」なのだろうかという点だ。視点を変えると、村上春樹氏の方が現実主義者でないかと思うのである。なぜなら捉え方を変えると「原発廃止」よりも「原子力発電の安全運営」の方が「非現実的な夢想」とも言えるのではないかと感じたからです。僕はもともとエンジニアだったから戦後の日本人エンジニアの方々がどれだけ苦労をして不可能と思えるような技術開発をしているかを実感しているつもりだ。エンジニアだった当時の僕の50歳代の上司の技術開発に対する「執念」たるやすさまじいものがあったことを覚えている。「そんなこと不可能だろう」と思うようなことを「何が何でも実現する」というようなものすごい気迫で僕たち...
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梅雨の朝

湿り気湧き立つ梅雨の朝、痺れ湧き立つ我が身体、心も湿らす朝涙