独り言

独り言

宗教的思考停止の典型・・「モンキー裁判」

<以下はモンキー裁判の紹介文からの引用です>『裁かれた進化論』は、1925年の夏に全米にセンセーションを巻き起こした「モンキー裁判」を描いたものである。 この年の3月21日、南部十州でもとりわけ宗教的偏見の根強いテネシー州の議会は公立学校において進化論を教えることを禁止する法律を可決し、即日公布した。 「いかなる教師も、聖書の中にて教えられる通りの、神が人間を創造した物語を否認するがごとき説を教えること、ならびにその物語の代わりに、人間がより下等な動物より進化したものであると教えることは、違法たるべし」 これに憤った若い鉱山技師のジョージ・ラップレェと中学校教師のジョン・トーマス・スコープスは相談して、ラップレェがスコープスを「学校で進化論を教えている」と警察に告発し、裁判闘争に持ち込むことを企てた。 裁判は田舎町デイトンの郡裁判所で7月10日に始まった。被告側の弁護人には当時「全米随一の刑事弁護士」と言われた長老クラーレンス・ダローが陣頭に立った。 「彼はその長い一生を通じて、全米を衝動したアメリカ社会党党首ユージン・デブスの鉄道員組合陰謀事件をはじめ、歴史的な大事件にはかならず勤労...
独り言

なんだか疲れた

なんだか疲れた痛みに耐え、痺れに耐え、不自由に耐え、ひとりもがいている誰も気付いていない馬鹿みたい
独り言

慢性疼痛という厄介な病気?

少し古いニュースですが、7月に慢性疼痛患者の4人に3人「痛みは我慢するもの」 慢性疼痛実態調査というニュースがありました。ファイザーとエーザイは7月10日、全国9400人を対象とした慢性疼痛に関する実態調査で、慢性疼痛患者の4人に3人が「痛みがあっても我慢するべき」と思っているとの調査結果をまとめ、「我慢は美徳の日本人疼痛患者の実態が改めて浮き彫りになった」と述べるとともに、痛みの種類に応じた適切な薬物療法などで痛みを上手にコントロールして、痛みの慢性化やうつなどの合併症による「治療の難渋化」を回避すべきと指摘したとしています。また、この記事のなかで、通院している6割以上の慢性疼痛患者が、通院先数回かえているとの報告。宗圓教授は、「かなりの人がドクターショッピングを繰り返しており、受診先で同じ検査をしているとみられる。『治療効果に不満』との結果が最多だったのは医師にも問題があるかもしれない」などと述べ、医療費の側面からも問題意識を示した。と、書いてありました。一患者として、言わせてもらえれば、我慢するものではなくて、「我慢しなくては非難されるもの」と言い換えて方がいいかもしれないと感じ...
独り言

復活!負けてたまるか!根性

負けてたまるか根性が、何の前触れもなく復活してきた負けてたまるか!障害ごときに負けてたまるか!不自由ごときに負けてたまるか!周囲の無理解ごときに痛みと痺れとは徹底的に闘うぞ!勝つか負けるかだでブログのヘッダー画像まで切り替えた今の想いを忘れぬために・・そして新たに立てた志を達成してみせる!絶対に健常者には負けない。何が何でも・・この先、後悔のない人生を送るために・・
独り言

息子が来年1月3日に検査入院・・アンギオ・・

今日、息子を脳神経外科の定期検診に連れて行ったそしたら・・あ~息子が来年1月3日にアンギオ(血管造影)の検査入院が決まった・・息子は嫌がっていた・・アンギオ(血管造影)の検査って右鼠蹊部からカテーテルを脳血管まで挿入して造影剤を血管に入れて撮影する結構辛い検査だ・・僕のモヤモヤ病が遺伝してしまったために・・なんだか責任を感じる・・ゴメンな・・どうにもならないことだけど・・僕の息子に生まれて来たがために・・過去にも2回も脳血管バイパス手術もさせなければならなかった・・ゴメン。。
独り言

中途障害者の障害という「日常」と周囲の思う「日常」

健常者の方のほとんんどは障害者の方を見たときその障害者の方にとって障害(例えば、全盲・肢体障害)は「日常」だと思っているのではないかと思います。或いはその障害に「慣れて」日常生活できるようになっていると思っているのではないかと思います。僕自身、健常者の頃の障害者の方に対する視点はそうだったから・・「大変だろうな」とは思いながらも・・でも自分が障害者になって、それが全く違うことが分かった自分が障害を持っていることは自分にとって「日常」でも何でもないのだ脳卒中で倒れたあの日だけは僕の周囲の人にとっても僕が障害を負ったことはあきらかに「非日常」だったそう思う実際にいろんな励ました勇気づけの言葉を受けたものだでもときが経つにつれて僕の周囲の人にとって僕が障害者であることは普通の事になっていったと思うつまり今はほとんどの僕の周囲の人(友人や家族)にとって僕が障害者であることは「日常」になっていると感じるでも僕自身は全く違う僕にとって「日常」とは健常者で普通に歩くことができ、普通に左手を使え、ナイフとフォークで食事できる事こそが日常である僕はあの4年前・・倒れた日、障害を負い、左半身が不随になった...
独り言

この国の政治家に志はあるのだろうか・・そして知恵はあるのか

志・・健常者の頃は考えたこともなかったけど・・あえて考えていたと言えば、「目標」でしかなかったその「目標」も自分の欲求を満足させるためのもの零細企業の経営者だった僕は他の零細企業の経営者と同様資金繰りに苦しんでいただから「経済的成功」を目標としていた。それは「野心」でもあったでもそれは所詮は個人の欲望を満足させるものでしかなかったように思う僕は障害者となって初めて、「人の役に立ちたい」という思いが心の中に湧いてきた。。人の役に立ちたいそれは決して自分の欲望ではない。人の役に立つことで自分のこの世の存在意義を確かめたいそう思っただから、そこには「経済的成功」の欲求ようなものは皆無だっただって何兆円積まれても、この障害が回復するわけでもないのだから・・そのとき初めて志というものについてそれが何か分かったような気がするとにかく「人の役に立ちたい」という思いだけであるそこには「野心」のような者は皆無自分は日々生きていられればそれで十分だったから・・自分の甘い人生の中で、初めて「志らしきもの」を持つ事が出来たような気がする今日、テレビの討論番組である政治家が「政治家は志を持たなければならない」と...
独り言

脳卒中の麻痺という後遺症の疑問と厄介さ・・

僕は自分の半身麻痺という後遺症に単純な疑問があるそして健常者の方には見えない(たぶん知らない)厄介な問題がある・・よく片麻痺になると麻痺側に痙性(筋緊張?)が起こるという素人的に考えると麻痺=神経が損傷=力が抜けるつまり筋弛緩というイメージを持つのでのだが・・神経が働かない状態でなぜ筋緊張を起こすのか以下のような記述を見つけたが何を言ってるのかさっぱり分からん-------------------------------------------------------脳卒中により随意運動をつかさどる神経の伝達路が障害されると、病巣の反対側では運動調節機能が失われて弛緩性麻痺となります。しばしばこれが痙性麻痺へと移行していくのですが、その機序としては・上位中枢からの下行路が障害されたため、下位ニューロンが神経化学伝達物質に過敏となり、初めは弛緩性だった運動麻痺が、次第に痙性に変わる。・下位ニューロンと接続する下行路が障害されると、閾値の低い感覚神経(GIa線維)が側芽を発生させて、下位ニューロンと新しいシナプスを形成するので、次第に痙性が顕著になり、痙性麻痺へと移行してゆく。といった説が...
独り言

天空の城に行ってきた

今日、所用で兵庫県和田山に行ってきた以前から行きたい、撮影したいと思っていた場所がある天空の城跡で有名な竹田城跡である・・もうこの身体では無理だろうと思っていたけどレッツトライ・・やればできた!皆、車で竹田城跡に向かうのでその方向は渋滞・・バカだなぁ・・幻想的な天空の城を見たいなら自分自身が城跡に行ってどうする・・幻想的な天空の城をみるならそれがみえる反対側の山のに上らなきゃダメじゃん僕は反対側の(雨雲峡というらしい)に向かった案の定誰も、人っこひとりいなかったひとり麻痺した足をひきずりながら・・予想は的中!雨雲峡の山の中腹当たりに来たときだった少し森が開けた・・その瞬間!そこから天空に浮かぶ竹田城跡が見えた!リュック背負った、脳出血で倒れる前昔購入した一眼レフを慌てて取出し片手で望遠レンズに交換・・まどろっこしい!両手ならあっという間に交換できるのに・・!片手での望遠レンズ撮影はレンズが震え・・ブレる・・手ブレ防止機能を最大にして・・何とか撮影できた!これだ!実際は写真で見る以上に迫力があり幻想的だ!山間部の高い頂きにポッカリと浮かぶ城跡・・正に天空の城跡だった・・この幻想的な風景を...
独り言

先天性障害と中途障害

ある(自称)限りなく先天性障害者の方が作っていらっしゃるユニバーサルマインド(害者、健常者に限らず子供、高齢者、性別などを超えて・・という意味)というホームページに何気なくたどり着いたそこに書いてあった中途障害と先天性障害の違いについての以下の文章に考えさせられた--------------------------------------------------------------------------------------中途障害とは、人生半ばにしてある日突然、事故や病気により障害者となる、又は更に、徐々に障害が進行する事を言います。ある日突然身体機能が欠落し、その事を受け入れられる様になるには壮絶な精神の葛藤があり、ショック、絶望、混乱、現実逃避、希望、挫折を繰り返します、更に、一般的な障害者観、=弱者、世間から守られる立場になるイメージなども精神的な重圧になります。中途障害者は健常者意識を持ちつつ障害者になります、中途障害者の中で障害を受容しきれない人は、「自分は、ほかの障害者とは違う」との意識が強く、ほかの障害者に対して抑圧的な態度を取ったりする人がいます、これとは反対...