独り言

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「受容」?悲しみの受容?、障害受容?

受容・・「悲しみの受容」「障害受容」受容という言葉・・なんと冷酷で残酷な言葉なのだ。 愛する人の死の悲しみや障害を負った苦しみなどを「こんなものだ」と受けれること?不可能だ・・経験した事のない人が無責任に言う冷酷且つ残酷な言葉にすぎない。肉親や子供を亡くした方は時間の経過とともにその悲しい事実を受け入れることが本当にできるとでも思っているのか。時間と共悲しみが癒される?それは不可能だ。その人達の時間は亡くしたときの瞬間で止まっているのだ。日常に涙が消えたのは、決して受け入れたわけではない。心の隅にひたすらにコンクリート詰めにして隠しているだけ。それでもときどき辛い想いが心の中に浮かび上がり、ひとり涙にくれるものなのだ。僕の祖母が89歳で亡くなる直前に・・もう60年以上前に満州で戦死した長男の名前を呼んだ。決して長男の死を「受け入れていた」わけでは無かったのだ。死ぬまで「受け入れる」ことなどできなかったのだ。ひとり密かに涙にくれた日々もあったのだろう。きっと祖母の時間長男の戦死通知が来た日から止まっていたのだろう。死の間際まで・・僕の時間も2年半前の倒れた瞬間から止まっている。時間は45...
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人間としての本懐を遂げたい

人の介助なしで生きていけない人間にだけはなりたくないたとえ障害者であっても・・与えられた役目がほしい福祉とい名の元に介助されるだけで、何もさせてもらえないこと、何もやることがないことの方がずっと怖ろしいなぜなら、何もしない、何もやることがない状況は、ただ、ただ痛みと痺れに耐えるしかないことになるから・・果たすべき役割を持ち続けそしてそれをやり続け、役目を果たしたいそれこそ僕の人間としての本懐だ。やるべきことがあることによって一瞬でも痛みや痺れを忘れることができるそれができないのであれば死んだ方がマシだ。死など怖れず、むしろ死を望むだろうそんな人間としての本懐を遂げることこそ最高の生き方であると思っている。たとえ結果が出なくとも、与えられた役割を果たすため精一杯頑張ることができたと言えるような後悔のない人生にしたい
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「不老不死」と「死後に魂が残る」ことは究極の孤独だ

先月のNHKスペシャルで放映されたマサチュ-セッツ工科大学でサーチュイン遺伝子という不老不死の遺伝子を発見したという話題がひそかに注目を浴びているようだ。その話の話題を聞いたときに同時に「その遺伝子を目覚めさせるためにどうしたらいいの?」「不老不死になってみたい」そんな言葉が聞かれるでも 皆そんなに不老不死になりたいのだろうか僕は不老不死になんてなりたくない。なぜなら不老不死なんて究極の孤独以外の何物でもないと思うからだ。不老不死とは恐ろしく孤独なのだと感じたのは高校生の手塚治虫の「火の鳥」の未来編を読んだときだ。未来編の主人公となる人が地球が全面核戦争で破滅する直前に、「火の鳥」から不老不死の体にされてしまうというストーリーだった。そして全人類破滅したあとで、自分だけが生き残り、永遠に生き続け地球が再生するのを見守らなければならないという運命を背負わされるのだ。以下は不老不死になるということに対して最も衝撃を受けた2ページだ。つまり不老不死なんて孤独になる以外の何物でもないのだ。僕にとって孤独ほど恐ろしいものはない。それは僕の辛い体験からだ。僕が半身麻痺の障害者になった当初、ほとんど...
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太陽

を今朝、明け方、何を思ったのか日の出の太陽の写真を撮影したくなり、明け方3時半に起床し、車で六甲山まで出かけた。3ヶ月前やっと乗り始めた車、右手と右足だけで運転できるように改造した車で出かけた。まだ薄暗がりの中、左半身はしびれて何も感じない状態のなかで、少し現実感がない感覚の状態で、六甲ドライブウェイに入っていった。ノブ付きのハンドルを右手だけで回しなが急カーブを曲がる。ハンドルを回しきれなくて、危なくガードレールにぶつかりそうになりながら、、間もなく4時・・日の出時刻は、4時35分だ。それまでに、六甲山頂までたどり着けるか不安だった。途中(夜中に暴走していた連中の車だろう)猛スピードの改造車とすれ違った。かなり怖かった。。。でも何年ぶりだろう。六甲ドライブウェイを走るのは、、、山頂近くまで近づいた空がかなり明るくなってきた。家を出るときは、蒸し暑かったので車はエアコンを付けていた。もしかすると、外は涼しいかもしれないと思って、車のスピードを緩めて、窓を開けた。涼しい風が入り込んできた。。。と同時に沢山の鳥の鳴き声が聞こえてきた。大自然の中にいる感じがした。。東の斜面が見えるところまで...
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なでしこジャパン おめでとう!

なでしこジャパン 世界一おめでとう!延長後半12分の澤選手のゴールはすごかった!3年ほど前、なでしこリーグサイトの管理会社からクレームの嵐のに耐え、徹夜続きで必死でなでしこリーグサイトのWEBあサイトプログラムを製作していた頃を思い出した。。良かった・・おめでとう!
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現実を素直に受け止めるという事

現実を素直に受け止めるという事現実を素直に受け止めるという事はとても大切な事であるこれは「受け入れる」事とは全く違うと考えています。つまり容認するわけではないのです。現実を素直に受け止めるという事で初めて冷静に原因を捉える事ができ、適切な対応策を打つ事ができるのではないか。よく障害受容というような言葉で、「受け入れなさい」などという医者がいるけれどそんな医者の言葉を真に受けて「容認するしかないのだ」などという思い込みが、逆に心に負担や苦しみ、焦り、悲しみなどの気持ちを生まれさせてしまうのではないだろうかと思う。結果として冷静に自分をみつめることができず、適切な対処や対応ができなくなり、追いつめられ、心も酷い状態となり「誤った行動」をしてしまう人も多々あるのではないだろうか。僕は「受け入れる」という言葉と「受け止める」という言葉は全く違うものではないかと考えています。少なくとも僕は全く違うものだと思います。「受け入れる=「容認する」ということであり、「受け止める」=「ありのままを素直に直視する」ということだと考えています。容認したくないものを容認するということは人間の心に大きな悪影響を及...
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それでも希望を捨てず、それでも生きなければならない

人並に歩くこともできず、ただの一歩が苦しくて、精魂込めた一歩だが、幼な子に抜かれゆくそんな自分が悔しくて歩くことさえ嫌になる。痺れる身体を堪えつつ毎日が生きることさえ苦しいけれど、それでも父としての自尊心大黒柱としての自尊心そんな自尊心は捨て去ることは難しく、それにも増して、世の役に立つ人間でありたいとどんなに苦しくても自らの心の中にだけ希望を捨てず、人からみれば大それた夢想家のような志を心に縛りつけ実現を目指して毎日を生きている。まるでドン・キホーテのようだと思いながらも、非現実的な志を捨て去ることはできないでいる。人からみれば非現実的な志でも僕にとっては大切な志。そんな志は・・苦境の世の中の状態や苦しい身体の状態に関係なく僕の心の中になら持てるものそれが僕の志であり、希望なのだ。そしてそれこそが僕の生きる意味であり、生きる力になるのだ。だからこそ、こんな身体で惨めな思いばかりの毎日だけど、それでも希望を捨てず生きなければならないと思う。父である限り、大黒柱である限り、そして男である限り、、
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僕にとって希望や志をあきらめないという事

なでしこジャパンは諦めないという気持ちで闘ったという。苦しい中で諦めない心を持ち続けることはとてつもなく難しく、辛いものだと思う。僕の場合、半身不随の回復を諦めないということだろう。医学的には何歳になっても脳には可塑性(脳卒中によって死滅した脳細胞に代わって生き残った別の機能の脳細胞が代償機能として働き、破壊された脳機能が再構築されること)があるなどと言うけれど、それがどうすれば発揮されるのかどれくらいかかるのかは医学的にはまだ全く分かっていない。 5年かかるのか?10年かかるのか?20年かかるのか?それとも50年かかるのか?こんな状態で希望や志を持ち続けることは正直言って難しい。リハビリを始めてからもう3年近くになるが大きな回復の兆しは全くない。心の弱い僕はどうしてももう無理かな、、という気持ちになってしまうそれでも希望を捨ててはいけない。そして決して諦めてはいけない。毎日一分一秒、いや麻痺側の足で一歩進む度にそう自分に言い聞かせている。たとえ届くか届かないか分からないほど高い目標であっても、諦めてはいけない。諦めたら、その時点で決して届くことのない目標になってしまうからだ。そして希...
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心の挑戦と闘志がなくなったら人生は終わりだ。

左半身不随になってできなくなったことは数多くある痺れや痛みでどうしようもない日もたくさんあるだから確かに健常者と同じように活動できないかもしれない。だからといって挑戦をあきらめる必要ないのではないか。人生、死ぬまで挑戦の連続ではないか特に脳は年齢に関係なく臨界期があるという。脳はいつまでも挑戦し続けられるわけではないかつまり心の挑戦をあきらめる必要はない。何かに挑戦しているときこそ生きている実感が湧くものだ。だから障害者になったからといって挑戦は諦めない。障害者でもどこまでできるか挑戦してみようと思う。確かに健常者なら5分で歩けるところを僕は30分かかるかもしれない。だからといって5分で歩こうとすると挑戦することはバカだと思う。無駄な体力を使うだけだ。健常者が5分で歩けるところを30分かかるなら25分前に出発すれば良いじゃないか。体が痺れて痛ければ、その痺れや痛みが通り過ぎるまで待てば良いじゃないか。慌てる必要ない。障害者でもできる工夫さえすれば、いくらでも健常者並みの活動はできるはずだと思う。こういった工夫をして健常者と同レベルの結果を出すことこそが僕の挑戦ではないかと思う。何かに挑...
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生きる使命とは

自分が生きている理由は何だろう。自分が生きる使命とはなんだろう最近よく思う使命感がなければ、こんな不自由な体で、苦しい思いをして、痛みに耐えて生きていられない。きっと何か使命感のようなものをを感じるからこそ頑張って生きているのだろう僕の使命とは・・?誰か(神様のようなもの)から与えられるのだろうか。そんなものが欲しいと思っているでなければ、なぜこんなつらい思いをして生きていかなければならないのだろう僕が生きる意味は何なのだろうかなぜ生きなければならないのだろうか。僕は今、身の程を知らぬ大それた事をしようとしている。何かに突き動かされるように・・なぜだかどうしてもやりたい・・失敗してもよい。やるだけのことをやってみたい心の底から突き上げるような思いがこみ上げてきている。なぜだか分からない。使命とは、使命感とは誰かから与えられるものではないのではないだろうか。自分の心の中に作り上げられるものではないかと感じる。もしも、この思いがそうであるならばそれを使命と考えることにしよう。でなければ、今の人生は辛すぎる。使命があるから、使命感を感じるからこそ試練を乗り越えることができるのだと思う。自分勝...