独り言

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自分の過ちが怖い

最近、自分が少し信じられなくなってきている。善かれと思って取りはからったことが思わぬ反対の結果を招き、そのあげく人を傷つけてしまうことさえあるからだ。僕の思いが足りないのか、計らいが足りないのかどこか焦りのようなものがあり「策」を弄してしまっている感じがする。障害者となってからというもの特に最近そんなふうに感じる。昔に比べ人間関係のトラブルが非常に増えているような気がするから、脳の障害が肢体障害だけでなく、精神障害までを超してしまっているのではないだろうか自分の身体的能力や判断能力になんとなく自身が持てていないのか「策」に弄して相手に対する思いやりの心や心情的理解を充分にできていないような気がする。物事の判断能力まで低下してしまっているのではないだろうかとさえ感じてしまい自暴自棄になりそうだ。確かに重篤な再出血の確率61%という常に死と隣り合わせの毎日であるので、以前の自分よりある意味で「恐いものなし」で行動してしまい、慎重さに欠けている気がしないでもない。自分では最大限配慮しているつもりでも大きな穴ができ人間としてとても大切なことが抜けてしまっているのではないかと自分が信じられなくな...
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息子の運動会

昨日は息子の小学校の運動会だった。息子の走る姿を超望遠の一眼レフで撮れた!麻痺した左手が震えて大変だったけどsシャッタースピード1/5000秒にしたらうまく撮れた。1年半前に脳手術したとは思えないくらい頑張っていた。。親としてはな涙が出ほど嬉しかった。
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天候のすぐれない日は体調も、、

今、事務所に向かう阪急西宮北口駅のカフェ。今日は朝から曇天模様、午後からは雨模様らしい。朝から左半身が猛烈に痺れてツラい思考停止と鬱気味情けない無私無欲自我を捨てれば火もまた水のごとしじゃないか。冷静に、冷静に、湧き上がる根拠なき不安は捨て去ろう根拠なき不安なんか持つより根拠なき希望を持った方が得だ。根拠なき不安を持つと知恵もアイデアも枯渇する。根拠なき希望でも希望ならば心は前向きなり、知恵もアイデアも湯水のように湧き上がるさあ今日も希望に燃えて頑張るとするか(^O^)/iPhoneからの投稿
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なぜ障害者になってからの方が事が成せる可能性が増えたのか

なぜ障害者になってからの方が事が成せる可能性が増えたのだろうか僕は思う。障害者にもか関わらず事をするらスゴいのではない・・と逆に障害を背負ったからこそ可能性が開けたのだ・・となぜなら、毎日が悔しい思いばかりしたからだと思う。半身麻痺になった当初は正直言って駅で目の前を歩く人をみるだけで悔しかった。僕は「普通に」歩くことさえできないからのである・・特にハイヒールを履いて歩く女性を見ると自分が情けなくなったものだ。。自分よりずっと細い足のくせにあんな不安定なヒールを履いて歩いていることが腹立たしく感じたものだ。本当のところ心の中では、できるなら目の前を歩く連中の足を切り落としてやりたいというとんでもない気持ちになったものだ。こんな気持ちは確実に僕の心のバネになっていると思う負けてたまるか・・そんな(決してポジティブではない今考えると嫌な自分の心だったが)気持ちが事を興す原動力になったような気がする。それを思えば健常者の頃の僕の心は貧弱なものだった。そんな気持ちになることはめったになかった。それが障害者となってからは、ほぼ毎日そんな気持ちになるのだからその悔しさたるや、健常者の頃にはなかった...
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再起する

資本主義に・・・僕は資本主義の本質に負けたのだ。。リーマンショックで会社が傾き、超巨大資本の会社からのクレームで脳出血を起こし、半身不随の障害者となり、会社を破産させ、こんな身体で無職無収入という惨めさを味わった。半分の人生を棒に振ってしまった。正に資本主義に負けたのだ。そう思っている。。資本主義の本質とは、資本主義社会のなかで強者とはお金を持っている者で、弱者とはお金を持っていない者のこと。強者は自らが持つ金を利用して弱者の搾取を拡大し、結果的に少数富める者は益々富み、大多数の貧しい者は益々貧するようになっていく。現在のアメリカでは5%にしか過ぎない少数の富裕層が全ての富の6割を独占し、全国民の30%が貧困家庭という。この格差こそが、現代の「この世のしくみ」であり、我々が住んでいる資本主義社会の本質であり、現実であることを僕は忘れない。これこそがアメリカの資本主義の「正義」なのだ!僕はそんな資本主義に負けたと思っているしかし、僕は終わらない。そして2度目は負けないそんな資本主義に心の中で挑戦状を書いた。僕は必ず再起する。 そして、この残酷な資本主義の中で勝ち残ってみせるたとえ、障害者...
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できない症候群

走ることができなくなってしまった。。。泳ぐことができなくなってしまった。。。それがつらい・・~ができない~ができなくなってしまった。~もう二度とできなくなってしまった。僕は「できない症候群」に陥ってしまった時期がある。「できない」のは「できないと思う」からそして「知らない」からできないだけなんだ。僕は普通に歩けないでもタクシーにのっているときやソファーにソファってテレビを見ているときに歩けないことを考え悩んでも仕方がない。あるときタクシーや電車に乗っているときの自分は他人と同じであることに気がついた。他人と同じように「移動」できているということに気がついた。僕は道を歩くときは人より歩けないけど、電車やタクシーに乗っているときは以前(脳卒中前)と何も変わらないことに気がついた。その部分は僕にとって不変なんだ。そんな不変な部分が実はたくさんあることに気がつき始めたころから心の道が急に開けてきたような気がする。できないことに「なぜ」と問いかけても何も意味もないことに気付き始めた。雨が降って濡れてしまうときに「なぜ雨が降っているのか」と悩むようなことと同じだ。「雨が降っているなら傘をさせばよい...
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怖いものは怖い!(>_<)

昨日、息子を連れて鈴鹿サーキットに遊びに行った。。さすがにこの足で杖を付きながらあのだだっ広い鈴鹿サーキットを歩き回らされたので後半は左半身が痺れがキツくなって死にそうだった。。それよりも何よりも・・観覧車・・・僕は昔から極度の高所恐怖症・・息子にせがまれて・・渋ぶ・・渋ぶ乗った。。。これがまた本当に怖かった。。一度は脳出血で死を覚悟したとはいえ、怖いもんは怖い!斜め60度くらいからは怖いから外の景色は一切観ず!右手は脂汗でいっぱいで取っ手を握りしめ外を意識しないようにあえて携帯メールを書くことに集中!そうしたら息子が妻に「パパが観覧車に乗ってめちゃ怖がってる」などとメールを送ってた・・父の面目丸つぶれじゃ、、、^^;それでも下手で持ったデジカメを下を見ずに手だけ下に向けて撮った写真がこれだ!脂汗の手で撮影した「渾身の?(苦笑)」一枚
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耐え忍ぶ・・忍耐・努力、そして執念

今日一つの大きな仕事が大きなステップアップした。以前から進めようとしていたメガソーラーファンド組成に関する第1回目の打ち合わせが完了した。やっとここまで来れた・・そんな感じだ。この身体でよくここまで来れたのものだ。金融業界のことなんて全くのど素人の僕がメガソーラーメーカーとファンド組成会社のつなぎ役をすることができた。数十億単位の大きなファンド組成だ。ここまで来るためにはいろいろな障害があった。はじめ、ある人にこのファンドの話を進めたいと相談したとき、僕のような素人では無理だと言われた。どうすればよいか教えてほしい。そうしたら「教えてほしい」なんていうのは甘い考えだ。自分で勉強しろともいわれた。でも僕には執念があった。この身体で、障害者でも役に立つことを証明したいという執念。その執念が「甘い」と言われようがなんと言われようが、わからないことは恥を忍んで聞くしかないと思い、ありとあらゆる方面にアプローチして問い合わせ、聞きまくった。これは父の教えでもある。僕の父は中学生の卒業してすぐ福井の田舎から風呂敷包み一つで大阪に丁稚奉公に来て必死で働いてき人間だ。僕は今でも世界一尊敬する人は誰だと...
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小さいけど、とてつもなく遠い遠い夢

一昨日だったかホンダの三代目 アシモ君が発表された。2代目からの最大の進化は指が人間と変わらないくらい使えるようになった事だそうだ。 欲しい!と思った将来スターウォーズのダースベーダーのよう身体に付けることができるようになって麻痺したり切断され腕でも自由自在に動く手を取り戻す日が来るだろうか。 僕の夢、、小さい小さい夢だけど、とてつもなく遠い夢それは左手で御茶碗を持ってお茶漬けをかきこむように食べる事。 他の事は口を左手替わりにつかえばなんとかできるようになった。柔らかいかばんのファスナーなどは片方を口で咥えて右手でファスナーを引っばればなんとかなる。口を左手替わりに使う事に恥ずかしいという気持ちも、もう無い。人間、イザとなった工夫して何でもできるようになるものだ。これが人の生命力というものなのかな・・・こうなってみると、口とは実に便利なものだ。充分手の代わりなる。 しかしただ一つだけ左替わりにならない事がある。それが食事のときの味噌汁やお茶漬けの茶碗を持つ事だ。これだけはどうしてもできない。だからお茶漬けは情けないかなスプーンで食べるしかない。 一度で良いから茶碗を持ってお茶漬けを口...
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僕の勲章

今日、僕は脳出血を起こしたときのことを考えていた。僕が脳出血を起こした直接の原因は基礎疾患にもやもや病があったとはいえ、間違いなく過労とストレスによる高血圧だった。クライアントからのクレームメールを読んだ瞬間に頭に血が上り僕は倒れた。あの年の9月には例のリーマンショックが僕の会社を直撃した。リーマンショックの翌月の海外向けの伝統工芸品の売り上げは5分の1まで落ちた。僕はどうしていいか分からなかった。目の前が真っ暗になりそうだったことを覚えている。銀行からの大きな借り入れもあった。返済する見込みがなくなりつつあった。同時に親会社から厳しい開発の要求とクレーム。僕の血圧はどんどん上がっていった。僕は必死だった。従業員の給料を何としても払わなければならなかったから。。そして家族を守るため自分の給与も確保するために・・・寝る間も惜しんで働いた。何日徹夜が続いたろう。そしてその年の11月20日運命の日・・取引先(クライアント)からのクレイムメールを読んだ僕は頭に血が上り脳出血起こし倒れた。そして障害者の仲間入りをした瞬間だった。これが僕の脳出血の原因だ。僕は自分の会社を守るため、社員を守るため、...