独り言

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原発再稼働問題の議論の不思議

関西電力の大飯原発の稼働問題がとうとう再稼働に踏み切るようだ。僕は以前からこの議論どうも腑にお落ちないというのは、そもそも「原発は再稼働しなければ安全なのか」という単純な疑問だ。原発は稼働していようが停止していようが核燃料プールが存在するご存知のように福島原発の4号機の核燃料プールが大丈夫かどうかの議論もある。原発が稼働していなくても核燃料の崩壊熱により温度は徐々にではあるが上昇し続けるもちろん稼働中に電源喪失してしまったら数時間で温度は急上昇し短時間でメルトダウンを起こすから危険がある停止状態なら温度上昇は緩やかなので対処の時間的余裕はあるからより安全(そもそ現体制でも対処できるのか疑問だが・・)そのことは分かる。でももし地震により(福島原発4号機の)核燃料プールの倒壊したら・・大量の放射能が放出され地球の北半球全体が汚染されてしまうらしいこの状態で「原発停止状態は安全」ということなるのだろうか。大飯原発付近に東日本大震災より大きな地震が来ないと誰が断言できるのか?素人的に考えても使用済み核燃料プールの存在そのものが問題になるのではないのか問題は再稼働か否かではなく廃炉か否かではない...
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痛みと痺れと不自由と志の狭間

今日も朝から左半身が痺れているずっと、、ずっと、、だときに手の平を真っ赤に灼けた鉄板に押し付けけれたような激痛に襲われる歯を食いしばる何だ!この激痛は、、正直つらい午前中はベッドにうずくまって耐えるのみこの痛みと痺れに打ち勝つために志を想おうと努力する今週の大一番の事を考え交渉の方法を考えようとするそうすれば気が痛みから逸れるかも知れないと期待して、、でも痛みと痺れは治まらない、、それどころか、心の気力が一枚一枚剥かれてくるような気がする痛み、、これだけはどんな最先端技術を使っても捉える事はできない。命と同じではないか命もCTスキャナを使ってもMRIを使っても捕捉不可能だ。唯一痛みを捉える事ができるのは病者の言葉ではないだろうかそれも病者が的確な言葉伝える事ができるかどうかは疑問だ僕でも自分の痛みや痺れの苦しみを言葉で的確に伝える自信はない唯一言える事はこの痛みと痺れは言葉ではなく、病者の「苦痛の叫び」以外の何者でもない病者はただこの苦痛が去るのをひたすら耐え待ち続けるしかない。痛みとはなぜこれほどまでな厄介で残酷なのだろうか僕はただ自らの志だけを想い続け痛みが去るのを待つ待ち続けるぞ...
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障害は個性になんかならない

ある人から僕の事を「あなたを障害者だとは思っていない 個性として捉えている 乙武さんのように、、乙武さんに比べたら軽いもんだよ、あなたの障害」と言われた障害が個性?そんな甘いものか?それで、乙武さんの五体不満足という本を読んでみた彼は自分の障害を「個性」として捉えるという一瞬、すごい考え方だと思ったでも僕にはできないと正直思った乙武さんが自らの障害を「個性」と思えるのは多分 先天性の障害だからだろうと思った彼には健常者の頃の自分の記憶はないだから「元に戻りたい」とか「当たり前にできていた・・が出来なくなってしまった」というような悔しい気持ちを持った事はないのではないだろうか僕の場合、不自由の比較対象は周囲の健常者ではなく、「過去の健常だった頃の自分」との比較で悔しい思いをするのだが、彼にはそれは無いだろう更に気が付いた事は本の中に障害による痛みや痺れの苦しみというような文字は一切出て来なかったことだ僕は一日中24時間左半身に痺れと痛みを感じて苦しい。見た目の障害の程度は彼の方が数倍、いや数十倍不自由な身体をしているでも違うと感じた(少なくとも本を読んだ限りでは)彼には健常者の頃の記憶が...
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痛みの中の理不尽、痛みの中の怒り

昨夜仕事上で理不尽があった怒りがあった仕事に理不尽はつきものだけど日ごと上の理不尽は単に対立としてしまうのではなくうまく受け止め乗り切るべきものだと思うけど、僕は身体が痛い、痺れる痛みや痺れも受け止めつつ理不尽や怒りまで受け止めるのはさすがにつらい今日処理しなければならない僕も生身の人間だ憤るときは憤ってしまう怒りが治まらない神や仏でもないいい歳して、僕よりも20年近く年上のくせにいつもは人生の先輩づらしているくせに何でもかんでも僕に言ってくるなって心境だそんなにいイヤなら自分で直接そう言えよ昨夜から眠れていないはぁ~今日は大事な友人の結婚式で今から九州に行かなきゃならんのに・・粛々とできることをやるしかないか・・人間感情の動物だとつくづく思う痛みも堪え、怒りも堪えた上で、無私で無心に粛々と・・って難しいな今日は単なる愚痴記事でした
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僕も支えたい

僕は人と繋がっていると感じているとき何て言うかいっしょに何かに向かって歩いていると感じるときが一番、希望というものを感じている気がする。生きている気がする生きていて楽しいというか、生きていて良かったと感じるひとりはイヤだ人って人と人とが支え、支え合っているときが最も希望というか、生きがいを感じることができるのではないだろうか最も生きている実感を感じるのではないだろうかお互い「支え合っている」・・この感じ・・を感じているときが好きだだから僕も支えられるだけでなく誰かを少しで良いから支えたい支えさせてほしいだって人だから「人」という字も支え合っている字だだから、僕も人でありたいから僕も人を支えたい障害者でも・・それが僕の希望になるような気がするから
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今年はやっぱり冷夏かも・・

今、天気図を見たらオホーツク海高気圧の勢力が強そうだこの間の以下の記事でも予測したけど・・やっぱり今年はやっぱり冷夏かも・・そうしたら関西電力の言うような電力不足にはならいかもでも・・もう大飯原発の再稼働は決まってしまったようだしもしこの夏、電力不足にならなかったら関西電力は「大飯原発を再稼働したからだ」というだろう。なし崩し的にやっぱり「原発は必要」という論拠に持っていかれそうな気がするこんなんで良いのだろうか・・やっぱり原発は永遠になくならない・・?次の地震が心配だ・・
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この身体で人生を全うする勇気

左半身不自由で痛み、痺れるこの身体正直言ってまだまだ自分の身体をコントロールできていないいつ痛むのかいつ痺れるのかどうすれば痛みが和らぐのかどうすれば痺れが和らぐのかまだ分からない完全にコントロールし切れていない。苦しいときは意識が朦朧とするほど苦しくて歯を食いしばる死ぬ事よりもこんな身体で生きる事の方が勇気が必要だあと何年こんな身体で生きなければならないのか10年?20年?30年?この身体で与えれた人生を全うする事の方が死ぬ事より苦しいと思うだからこそ挑戦してみようこの不自由で、痛み痺れる身体で与えられた人生を、そしてこの身体で何ができるかできる事をただ粛々と与えられた人生を全うするまでやり続けるのだそう!それが僕の運命への挑戦だこの人生を全うする事こそが僕の志できる事ないか 痛みよ!痺れよ! 不自由よ!そして孤独よ!どこからでもかかってこい!死ぬ事よりもこの身体で人生を全うする事の方が勇気が必要だそれが僕の運命なら勇気を持って受けて立とう!
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梅雨は拷問・・

この週末の2日間は辛かった・・左半身猛烈な痺れ・・左脚なんてほとんど接地感覚ゼロ着地の度に激痛・・歩くということそのものが拷問・・この蒸し暑さのせいか・・キツ。。。梅雨は僕にとって拷問や
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我ながらよく頑張ってるよな・・

今日も朝から体調は劇悪・・梅雨前線のせいか 台風が近付いているせいか左半身は猛烈に痺れていて、一足歩くたびに激痛が走る左半身一皮めくれている感じの苦痛感・・たまらんどうも気圧の「変化」に弱いみたいだなぁもときどきベッドにうずくまりながら、痛みに耐えそれでもPCに向かって仕事をしている・ギニア向けの浄水化装置の提案の手配・同じくギニア向けの太陽光発電パネルの提案書作成・韓国向けに提案する風力発電装置のテスト機の手配我ながらよく頑張っていると思うなぁ・・オリンピックのマラソンでの誰かの言葉じゃないかれど自分で自分を褒めてあげようと思うでも無理にでもこういう仕事をしていると夢が湧き気のせいか苦しさも和らいでいるような気がする心の作用かな・・ほんとに独り言でした
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この痛みには困ったもんだ

しかし痛い幻肢痛や視床痛はよく真っ赤にに焼けた火箸をちぎらされているような痛みとはよく言ったもんだ僕の場合、突然左手親指に左手人差し指がめりめりと食い込んでいるんじゃないかと思う激痛に襲われるあまりの激痛に右手で左手親指に食い込んでいると「感じられる」左手人差し指を引き抜いて振り払おうとしてしまうのだでも左手人差し指なんて実際には食い込んでいないのだまさに幻肢痛だ存在しないはずの痛みを脳が勝手に感じている・・いったいどうすればいいんだ?!医療者側からも明確な治療法はないと言われるほんと厄介なヤツだな僕のイカれた脳は・・キチンと正しい感覚を感知してくれよ。。