チャレンジドという言葉は
知っているでしょうか?
チャレンジドとは
プロップ・ステーションによると
アメリカで障害者の事を呼ぶ呼称
として十数年前出来た造語です。
その意味とは米語「the challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とし、障がいをマイナスとのみ捉えるのでなく、障がいを持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こうという想いを込め、プロップが1995年から提唱している呼称だそうです。
また、「チャレンジド(challenged)」は英語で障「秘密基地」「罠・仕掛け」「忍者」害者をさす。神からチャレンジという使命を与えられた人だとの事
僕にはこの呼称と
その意味には非常に違和感がある
神からチャレンジという
使命を与えられた?
ほっといてくれ!
そんな造語は健常者が「障害」
という言葉を使う罪悪感のようなものから
逃れるための造語としか思えない
僕にすれば「神からチャレンジという使命」
なんて障害という形で与えられたくない!
どちらにせよ
「チャレンジド」呼ばれても
「障害者」と呼ばれても、
生きていく上で身体的障害「壁」が
例えば僕は左麻痺だから
左側に落ちた物は絶対に左手で拾うことが出来ない
お茶漬けもラーメンもは茶碗や
器を左手で持ってずるずると食べれない
そんな絶対に出来ないことに
チャレンジしろというのだろうか
それならまるで虐待じゃsないのか?
僕の前には現実的な「出来ない壁」が
立ちはだかっていることには変わりは無い。
そしてその壁は明らかに
僕の「障害」になっている
そんな超えることが不可能な壁「障害」に
チャレンジするなんて
まるでドン・キホーテと
呼ばれている感じさえする
彼の有名な「感動ポルノ」
という言葉を使うように
健常者の自己満足(マスターベーション)
の目的にチャレンジドなどと呼んで欲しくはない
僕には現実として
生きていく上での「障害」が
立ちはだかっている
だから
その現実を誤魔化さないで欲しい
障害は障害だ
正面切って「障害者」と呼んでくれた方が
僕自身が障害の現実と向き合う事が出来る
カタワと呼んでもらっても
何ら差支えはない
実際、現在ではカタワと言う言葉は現在では
差別用語として認識されており、
使ってはいけない言葉になっているようなので
実際になぜ差別用語になったのか調べてみたら
なんとカタワと言う用語はまだ差別用語なのかどうか
定かになっていないようなのだ!
ウィキペディアによると
<ウィキペディアから抜粋した文章>
現在日本の多くのメディアでは差別用語とされ
放送禁止用語とされるテレビ、ラジオ、新聞など
で使用されることはほとんどない。
しかし、「障害」という直接的な表現をあえて
婉曲的に表現することが
日本人古来の言語的感性であり、
「かたわ」という表現の方が「障害者(障礙者)」
などと直接的に表現するよりも
はるかに障害者へ配慮した言葉であり、
「かたわ」のような言葉自体を
駆逐する態度は言葉狩りの一環であり
正しい姿勢ではないとする見方もある。
自ら障害を持ち「僕は、カタワです」
と発言した乙武洋匡の例もある。
つまり「カタワ」と言う方が「障害者」と言うより
(日本語では)「障害者」と言うより
はるかに配慮した言葉だというではないか!
その通りなのかもしれない
妙な現実逃避的チャレンジドなどという言葉などより
現実の障害者の僕を
「ありのまま」「障害者」呼んで欲しい
投稿者プロフィール
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。