これは悲劇をもたらす。。。
そのままの意味だと
「考えるのをやめること」である。
僕達は日々の生活の中で
驚くほど「思考停止」している事を意識しているだろうか
例えば
テレビニュースを見ていて
キャスターのコメントに納得してしまったとき
これは、相手の考えに迎合し
感心しているだけなのに
自分も同じ考えを持ってしまう事・・
既に思考停止している状態である
同じくキャスターのコメントに
納得できず怒りを覚えてしまうとき・・
これも相手の考えが自分の考えと
違うことを許容することができない状態である
自分の固定された考えを
変化させることができず
「思考停止」している状態である。
思考停止していないという状態とは、、、、
上述の場合だと、
ニュースキャスターのコメントの内容を咀嚼し、
そういう考え方もあるということを理解し、
新たな自分の考えに吸収させる状態だと思う。
なぜ人は思考停止してしまうのだろうか?
思考を停止させてしまうと
・とても楽になる。
・自分で新たに考える必要がなくなる。
・自分の発言に責任を負う必要がなくなる。
・他人の考えを自分の考えであるかのように
用いることができる。
しかし、考えるのをやめてしまうということは非常に危険だと思う。
自分以外の何かに流されてしまう
からである。
我々は様々な組織(基本的には学校、ある人は特定の宗教団体、
ある人は就職した会社のカリスマ性のある経営者等)
から「教育」を受けて、
何が正しいのか教えられている。
しかし、
もしその教育が間違っていたとしたら、
正しさの判断基準がすべて崩れてしまう。
一般的な日本の学校であれば
大きく間違っていることはないだろうけど
、
どこかの国で「日本人は悪」と教育されたら
それが「正しいこと」になってしまい、
その人のすべての判断基準になってしまう
最も危険なのは
宗教やカリスマ的経営者などのいる
特定の組織で行われる教育だと思う。
宗教信者やカリスマ的経営者のいる企業組織の
すべての人が
思考停止になっているわけではないと思うけど、
「単なる信者」ではなく、
その教えが絶対だと考えてしまう、
いわゆる「嵌る人」ような人
は特に危険だと思う
こういう人は
宗教なら・・
例えば、
豚肉は食べてはいけないとか、
飲酒はいけないとか、
嗜好品はいけない等々
いわゆる戒律というヤツを盲目的に、
ひたすら実践するような信者だと思う。
こういう人は
なぜ、そのような戒律ができたのか、
その戒律ができた時代背景や
そのときの状況や、
或いはまたその戒律を作った人の人格や
実際の行動などから、
咀嚼せず、
「これは絶対だ」と
思考の根本として
植えつけられてしまっていると思う。
だからこの手の熱心な信者は
教会の教えが正しい
という思考停止状態から
抜け出すことができないように
なってしまうのではないかと危惧する
そこによりかかっておけば
精神的に楽であり、
最終的な責任を教会や預言者?に
転嫁することができる。
教会や預言者?が正しいということにして、
それを広めるだけで
その組織から認められ、
自分自身の責任を放棄したままでいられるのではないか
。
教会が正しいことの根拠の
説明を求められても、
決して自分の考えではないにも関わらず。
世界で拡大し続けている多くの実例があると思う
そういう人(布教活動者)は
教会の聖書等々に書かれた内容を
そのまま言うことしかできないのではないだろうか
これが「考えること」をやめている状態だと思う。
周りのみんなが言うから
そうだと思い込んでいる状態ではないか
たとえどんなに正しいことでも、
それを理由に考えることをやめてしまうのならば
それは思考停止している状態だと思う。
例えば
男女平等は大切だ・・とか
世界平和のために活動しよう・・とか
自分より相手(他者)の幸福を先に考えよう
等々、、
これは正しいことかもしれない。
でも、このような「理想」を実現する事が
一哺乳類でしかなく、
基本的に(食物連鎖でも分かるように)
弱肉強食という本能を根底に持つ
人間にとって、
如何に難しい事かというような咀嚼や考えなしに
この「理想的な言葉」だけを理由にして
自分の考えの正しさをアピールする人も「思考停止」していると思う。
結局、自分以外の何かに流されている状態。
自分の新しい考えを生み出すことができていない
「○○は言われた。」のように
「有名な学者の発言」
「肩書き」
「表彰」を
用いて正しさをアピールし、
さも自分の考えであるかのように発言する人は、
自分の考えに責任をもてない人だと思う。
こういう人が、
本当「現実の困難」に遭遇し、
あっちを立てれば(例えば、幸福にするれば)、
こっちが立たず(例えば不幸になる)
というような
厳しい決断に迫られた際、
何も決断できなくなると思う。
なぜなら
「信じていた理想」や「教え」
では解決不可能だからである。
多くの場合(ほとんど全てかもしれない)
このような「理想や教え」の場合、
どの思考プロセスを通じても、
固定化された同じ結論にたどり着くように
なっているものだと思う。
しかし、
現実は「そんな(理想的な)結論」にはならない、
或いは、解決にならない場合が
多いものだと思う。
例えば、
「世界中の人間が幸せになるため」
の「理想や教え」は
どの思考プロセスを通じても、
「世界中の人が幸せになる」
という結論にたどり着くという論理構成に
なっているのではないかと思う。
しかし
現実はそうはいかない。
もし、世界中のま60億人の人間が、
日本と同じような豊かで
(少なくとも物質的に幸せ)な
暮らしをしたら、
今の地球のエネルギー資源や、
食糧資源では賄うことができなくなる。
誰か(多くの場合第3諸国)の
貧困という犠牲の元に
今の日本の豊かさがあるのだと思う。
それが現実である。
そのような現実の厳しい状況に直面
したとき、
たぶんそのような(思考停止している)人
は何も解決できなくなり、
ただじっと、何もしないで(できないで)
うずくまっているような状態になるのではないかと思う
危機的な状況の中で
何もしない、何もできない状態・・
それこそが危険であり、
このような人が
一国の元首(大統領や首相)だったり、
或いは企業の社長だった場合には
その国や企業は非常に危険になり、
危機を脱出できないばかりか
間違った判断だけでなく
思考停止から来る
八方塞りの「恐怖」のようなものから
ベストでもなくとも、
ベターな対処さえできなくなり、
本人に悪意がなくとも
理想とはまるで逆の凶行にさえ出てしまい
国民や従業員を
皆不幸にしてしまうのではないかと感じるからだ。
過去、崇高な理想を掲げた国家元首を
見ればよくわかると思う。
ヒトラーしかり、
スターリンしかり
毛沢東しかり
他にも数年前なら
日本のH首相とかは
典型的な自分だけの現実味のない
理想を掲げてしまい、
それが現実では
うまくゆかず、
思考停止に陥ってしまったのではないか
と思うのだ
H元首相は
本人に悪意がないため、たちが悪い・・
最近ではイスラム国の連中や
このイスラム国の
巧なネット勧誘動画を見て感化され
そこに戦闘員として赴く人たちも
思考停止に陥っているとしか僕には思えない
そんな事からも
思考停止は悲劇さえもたらす
と僕は思うのだ。
大切なことは、
自分の思い入れやこだわりを
できる限り捨て、、
自分をニュートラルな状態にして
自然の節理に逆らわないように
「ゼロベース」で考えること
ではないだろうか
他人から教えられた考えはリセットし、
できるかぎりすべて捨てるのだ。
そして日々の生活 の目の前の現実に必要な判断基準を
自分の力で
見つけ出していく。
そのときも
決して「絶対」という言葉を使ってはいけないと思う。
使うとしたら、
なぜ「絶対」なのかを
すべて自分の考えと自分の言葉だけで説明しなくてはならない。
もちろん「絶対」でなかった場合は
自分ですべての責任を負わなくてはならない。
誰か他人から聞いたを理由に
「絶対」という言葉を使う人は、
ただのその他人(カリスマ的経営者やカリスマ的国家元首)
の手足に過ぎない
ただ利用されるだけの思考停止したロボットに過ぎないと思うのだ。
こんな事を書いている僕自身も
6年前、脳出血で半身麻痺の障害者となり、
自分の会社もなくなり、
何もかも(失ったときには
(当時は何もかもすべて失ったと思っていた)
現実を、正しく認識できず、思考停止に陥って
自暴自棄になっていたと思う。
それでも。
この6年間苦しみながらでも生きてきた結果、
行きついた(僕なりに考えついた)
思考停止せずに
正しい判断をするための方法が
自分のこだわりや思い入れ或いはプライドなどを持つ
「自我」を限りなく捨て去り、物事を客観的に観察する
ということだと考えている。
こんなことを今玄海灘の海が美し組みえるホテルの
一室でひとり書き綴っている
それにしても僕はなぜ、今こんなところにいるのだろう・・
再び何もかも無くした今、
不安感から思考停止に陥らぬよう
考えに考えたい・・
そう思って来たのかもしれない・・
ちなみに上述のような思考停止が
前記事の「突然の会社瓦解・・」の主要因だと思う
残念ながら、記事内容があまりにナーバスな内容なので
公開せず、これまで何度かコミュニケーションのある
アメンバーさん限定記事にしています。
今日だけでアメンバー申請が数十人から来ているけど
これまでコミュニケーションが全くない
しかも何の記事も書かれていない
単にアメンバーさん限定記事が読みたいというだけの申請
は却下している。
公開するのはあまりにも危険だと思うから・・
投稿者プロフィール

- 代表
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。