勇気が必要で、とても難しいことだと思う
僕は障害者になって
最も痛感したことの一つでもある
それは障害者になって初めて、
電車で席を譲られたときだった
僕はその瞬間、心の中で愕然としていた。
そして思わず、何もできず、
その場に一瞬立ちすくみ
「ありがとうございます」や
「すみません」
の一言も声が出なかった。
そのとき初めて周囲から
障害者として見られている
現実を知った思いだった
自分が障害者であること(=ある意味自分の弱さ)を認めることが
できていなかったのだと思う
その他にも・・・
街中で運動靴の靴ひもが解けてしまったとき
当然左手は全く動かない上に
しゃがむこともできない僕は
足を伸ばしたまま
まるで前屈ストレッチでもするような恰好で
右手だけで紐を結ぼうとしていた。。
できるわけがない・・
なのに必死で結ぼうとしていた。。
街中の道(歩道)の真ん中で
そんなことをしているもんだから目立つ・・
見るに見かねた、あるおばさんが
さっとやってきて・・
「そんなん無理やん!誰かに頼んだらええのに!」
と言いながらササっと結んでくれた
そう言われながら僕は・・
誰かに頼む??
そんなんでけへん
一瞬僕はそう思っていた
このときも自分が障害者であること(=ある意味自分の弱さ)
を認めることができず、
周囲に助けを求めることが
できない自分がいた。
こんな風に
自分の弱い部分を認めて、
更に助けを求めるっていうことは
とても難しいものだと思う
特に僕の場合健常者の頃
体力には自信のあった方だったから
そんな「今考えるとくだらない」プライドとかこだわり
が邪魔をして
自分の弱さ(障害者であること)を認めて
周囲に助けを求められない自分
がいた。。
でも
こういうことって
(今から考えると)逆に周囲に迷惑をかけることになる・・
例えば僕の場合、
変なプライドで優先座席に座ることを拒み
立ちづ続けて、麻痺足の痺れがひ酷くなり
転倒でもする方がよほど周囲に迷惑をかける
上述のように道の真ん中で突っ立って靴紐と格闘している
のも邪魔になるだけ・・
こういうことって障害に限らずよくあるとこではないだろうか
仕事場なんかでも
任された仕事ができない(重荷)にであるにも関わらず
プライドやおかしな責任感から
「ギブアップ」を言えず
長引かせまくり、
挙句の果てにギブアップどころか
大失敗を犯してしまうようなケース・・
人間、弱さを認めるってとても難しいと思う
もちろん何でもかんでも
簡単にギブアップすべきではないけれど
自分のおかしなこだわりや思い入れを捨て
自分の能力を客観的に見極めて
自分の能力の限界を超えていると
判断できたなら、
すぐにヘルプを出すべきだと思う
でも
それを簡単にできないのが
人間の心の難しいところなんだと
わが身を振り返りながら思うのだ
投稿者プロフィール

- 代表
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。