理解してもらえないのは理解させないのが悪い?


僕はこのブログの記事で「弱音」を吐いてきた

というか

この脳卒中後の後遺症というものがどれだけ辛いものかを

出来うる限り言葉で

表現出来るように心掛けてきたつもりだ。

でも、言葉ではどうしても表現できない苦しみは理解してもらえない

特に僕の後遺症の感覚障害や疼痛(中枢性疼痛[視床痛とも言う])などは

医者でも理解していない(これは医師の態度や言葉から断言できる)

よく僕の記事を読んで頂いた同じ脳卒中後の後遺症で

苦しんでおられる方からメッセージを頂く・・

「よくこの苦しみを伝えて下さった」

と・・

ということは

多くの同じ脳卒中後の後遺症を持つ方々が

その苦しみ、辛さ(或いは哀しみかもしれない)を

周囲に(正確に)伝えきれずにいるということではないか

そのことは、

この後遺症について理解してもらえていない事を意味すると思う

僕は昔、ビジネスの中で

相手に伝えたつもりで伝わっていなかったときは

聞いた側の責任ではなく、伝えた側の責任だ

と教わった・・

でも・・

こういう後遺症というマイノリティな病気?になって思う

こういう病気?の苦しみだはそうではない・・と思う

こういう病気?の人たちが理解してもらえないのは

理解させないのが悪いのだろうか??

と・・

でもそれは至難の技だと思う

例えば

原爆症で苦しむ(苦しんだ)人たち・・

水俣病で苦しむ(苦しんだ)人たち・・

らい病で苦しむ(苦しんだ)人たち・・

その他マイノリティな病気で苦しむ(苦しんだ)人たちが

自分たちの苦しみを

大多数が経験したことのないマジョリティの人たちに

理解させ、納得させるなんてほとんど不可能近いと思う

自分が経験した事のない症状の苦しさを

言葉で表現できず、理解させていないからといって

理解できない、理解しなくて良い・・

理解するのは無理だよなんて言う人がときどきいるけど

それで良いのだろうか・・

たとえば、熱が出たときの苦しみは

人間であれば、ほとんどの人が経験しているから

「熱が出てしんどい」と言うだけで、

その苦しみは伝わるけれど

もし、生まれてこのかた熱なんて出した事ない人に

熱が出たときの苦しみを、どう伝えるか考えてみると

それが如何にに困難であるかが分かると思う。

「熱は痛いの?」と聞かれるかもしれない

「熱が出ると身体のどこがどうなり、どう辛いの?」

と聞かれたら正確な言葉で

生まれてこのかた熱なんて出した事ない人に

伝えることはできるだろうか?

それほどに実は病気の苦しみを伝えるこてとは

難しいのだと思う。

だから、ほとんどのマイノリティな病気で苦しむ(苦しんだ)人たち

は口を閉ざすしかないのだろう・・

口を閉ざしているからといって、

その人たちがその病気を「受け入れ」「病気共に生きている」

などとキレイ事を言う人がいるけれど

それは絶対に間違っていると僕は思う。

僕はそういう人たちは一生苦しみ続け

死ぬ瞬間まで苦しみ悶えていた・・

というくような生き地獄のような生き方をしていることくらいは

想像を働かさなければいけないのではないか・・・・

だからといって、

どうなるものではないけれど・・

周囲が少しでも自分の苦しみを

(理解できなくても)理解しようとしてくれる姿勢は

苦しみに耐えるための

心の支えになると思うのだ・・

今日は何を書きたかったのかな・・

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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