百人百様の苦


脳卒中の後遺症の片麻痺という障害が

これほどまでに百人百様だとは思ってもみなかった

不自由さも苦痛も

人によって全違うのだ・・

いや百人百様どころか

千人千様といっても

万人万様といっても過言ではないくらいだと思う

同じ半身運動障害があっても

痛みを感じる人感じない人

感覚のある人ない人

親指は動くけど小指は動かない人

逆に小指は動くけど親指は動かない人

症状の違いを挙げていけ枚挙いとまがない

無限にあるのではないかと思うくらいだ

それもそのはず、脳細胞(シナプス?)も数は1000億個もあるという

その中のどの脳細胞が死滅したかによって

障害が変わってくるというのだから・・

極端な話、

1000億種類の障害があると言っても過言ではないのではないか

ちなみに僕は

発症当初、運び込まれた急性期病院では

左半身の感覚は「皆無」だった

本当に存在自体が分からないのである

例えばベッドで麻痺していない右半身の力で

左側を上にして横になると

何か「ボトン」と音がする

左腕が背中の後ろに「落ちた」のだ

でもそれが全くわからない

そもそも左腕がどこにあるのかさえ(目で見ていないと)わからないのだ。

そんな「完全麻痺というらしい」という状態だった。

(僕の脳出血はもやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)に起因するから
出血部位が脳の深部(中心部)からかなり大量に出血したらしい
結果脳の深部にある視床下部という身体中の感覚が集まる部位が損傷(死滅)し
結果として重度の感覚障害になったらしい。
そして視床痛という激痛に悩まされる羽目になったようだ)

僕は当初、脳卒中による麻痺とは

皆こんな風(感覚がなくなり運動麻痺をお起こす)なるものと思っていた

でも違った・・

それがわかったのはずーっと後のことで

6カ月の回復期病院(いわゆるリハビリ専門病院)でリハビリを受け退院し、

ネットで同じ片麻痺患者と(yahooにある片麻痺患者専用のメーリングリストで)

メール交流するようになってからだ・・

僕は麻痺側の感覚が無く、

痛みや痺れがあるのは当然だと思っていた

でも

同じ片麻痺でも運動麻痺だけで、「感覚麻痺」のない人が存在することに

そのころ気がついて驚いたものだ

何が言いたいか

僕は外見上、

いわゆる片側「運動麻痺」の片麻痺障害者であるけれど

麻痺側に感覚がないことには誰も気付かない

痛みや痺れに苦しんでいることさえ誰にも見えない

いつだったか、

杖をついて歩いているときに

「それだけ歩けりゃ充分じゃないか」

と言われたことがある

でも

僕が歩けば歩くほど

麻痺側の痛みと痺れが脂汗が出るほどに憎悪し

苦しんでいることは

その人には見えないのだなって感じた・・

つまり同じ片麻痺でも

苦しみ方は百人百様なのである

全く違うと言って良いと思う

その人が(本当に感じている)苦しみだけは

絶対に第三者からは見えない

「それだけ歩けりゃ充分じゃないか」

って言葉で

人には

人に分かってもらえない(外見上ではわからない)

苦しみがあるものなんだ

って思った

これって

いわゆる「見えない障害」であり

「見えない苦しみ」だと思う

特にパニック障害やトラウマ、PTSD、OCDやうつ病など

最近増加傾向にあるという心の障害なんかがそうだと思う

だから人の苦しみは

外見上で判断してはいけないって感じる

苦しみって五体満足な健常者でも持っていると思う

それも死ぬほどの苦しみを・・

僕自身・・

障害を負ってかから、正直苦しかった

釈迦ではないけれど、

本当に「生きることは苦である」と感じたものだ

そしてこんな人生なら自ら命を絶ちたいと何度も思った

でも自分で自分の命を絶つことなんてできなかった。。

自分の命を絶つことなんてことは「正気」ではできないと悟った

「狂気」でないとできないと・・

苦しみによって心が「狂気」にまでならないとそれは無理である

と・・

そしてもう5年間も生きている

でも世の中には

健常者でも自ら命を絶つ人はたくさんいる

ということは

僕の苦しみはそういう人たちよりも

言い方はよくわからないけれど「軽い」とうことになるのだろう

身体は確かに障害を負っているけれど・・・

まだ自ら命を絶つほどに心に障害(傷?)を負っていない

ということなのだろう

心の障害は見えない

だから安易に人を外見だけで判断できないんだなって思う

その人がどんな「苦」を心に背負っているかなんて

誰にも分からないのだから

たとえ、僕よりずっと重い身体的障害を負っている人でも

僕よりずっと心は健康で

生きがいを持って生きている人はたくさんいるような気がする

あの天才物理学者のスティーブン・ホーキング博士だって

目しか動かせないという僕より遥かに重い障害を持ちながら

あのアインシュタインをし凌ぐ物理学理論を構築したのだ

きっとスティーブン・ホーキング博士は

僕なんかより遥かに重い障害だけれども

僕より遥かに心は健康なのかもしれない

もちろん誰にも分からない(伝えない)苦しみだってあるだろう

人の苦なんてほんと百人百様だと思う・・

あの筋ジストロフィー四肢麻痺になった春山満氏が

会社経営なんかできて成功できているのも

身体は障害者だけれども

心は身体的健常者以上に「健常」なのかもしれない



要はその人が苦しいって思えば苦しいのだし、

同じ障害でも、苦しくないって思えば苦しくないのだろう

健常でも苦しいと感じるなら、

その人にとっては

誰が何と言うと

「苦」以外の何ものでもない

のだろう・・

そんなことを考えると人を外見や状況だけで

人の苦楽を判断しては、大きな間違いを起こすのだろうと思う

だって人の心の中なんて誰にも見えないのだから・・

逆に考えると、

どんな身体的障害であっても

本人が苦と思わなければ

苦ではないし、

人生楽しいと思えば

本人は本当に楽しいんだろう

というか

楽しくなれるんだろう

要は心に障害さえなければ

どんな身体的障害があろうと

人生の「苦」にはならないんだろう


“It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye.”

「本当に大切なものはね、目には見えないんだよ。心で見なくちゃ」
            星の王子様(サン=テグジュペリ

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
タイトルとURLをコピーしました