中枢性疼痛の痛みが始まってから5年(正確には4年6カ月)だ・・
こんな痛みが5年続くとうことがどういうことか
想像すらできていなかった
でも恐怖でもあった
なぜなら予測はできていたから・・・
少なくともこの痛みが
いつ終わるか分からないということだけはは理解できていた
ある医師の言葉で・・
この痛みが始まったのは脳出血で倒れ、
急性期病院(倒れた直後運び込まれICUで応急処置をされた病院)を退院し
回復期病院(いわゆるリハビリ病院)に入院しリハビリをして
約5カ月くらい経過した頃からだった
実際、この中枢性疼痛というやつは
脳卒中発症当初から出る場合もあったり、
脳卒中発症後半年から1年、2年経過後出る場合もあり
正確には分からないらしい
初めはこの痛みが
いったい何の痛みか自分でも全く理解すらできなかった
表現さえも不可能だった
ただ、左半身が不快な痛みで苦しい
としか言えなかったように覚えている
これが中枢性疼痛というものだと分かったのは
ずっとあと(リハビリ病院を退院後)になって自分で勉強してからのことである
たぶん医師には分かっていたのだろうと思うけど・・
担当医には
そんなことでリハビリができなくては回復できませんよ
というヤケに冷たい言葉を言われた記憶がある。
そんなとき
僕の担当医が変わった
若い女医だった。たぶんまだ20歳第前半だろうと思われるくらいの若さだった
彼女に当時自分を襲っている「不快感」を訴えた
彼女はそのリハビリ病院が提携しているある大学病院から赴任してきたのだ
その大学病院は脳卒中のあるリハビリ方法の研究で有名な大学病院でもあった
そんな病院から赴任してきたのだから
僕を襲っている「不快な痛み」についても何か対処してくれるだろうと思い
自分なりの表現で辛さを訴えた・・
そのときに帰ってきた言葉が未だに忘れられない
「難治性の疼痛ですね。私はこれまでにその痛みに耐えきれず精神的に破たんし、廃人のようになってしまった人を何人もみてきました」
この言葉は僕にとって衝撃だった・・
その前後の言葉は全く覚えていない
だからどうすればよいというようなアドバイスは無かったような気がする
「廃人のようになってしまった人を何人もみてきました」
この言葉だけが僕の頭に今でもハッキリと残っている。。
それでも僕は今、、何とか「廃人」にならずに生きている・・
たぶんそれは 今から考えれば
耐えきれない痛みという苦しみを乗り越えるために
精神的に破たんしないよう本能的にネガティブに対抗するポジティブな思考を持つよう
それでプラスマイナス=ゼロにしようとするかのごとく
無理やり希望とか、志だとか言って身の程に合わない目標を持ったりしたんだろう
その結果、良いのか悪いのか
今、様々なj環境技術や再生可能エネルギーの事業案件
が僕ののもとに舞い込んでいる・・
皮肉である・・
5年間痛い・・・そしてその痛みに何とか耐えてこれた・・
我ながら人間って強いものだと思う。。
それにしても忘れられない言葉である・・
「廃人のようになってしまった人を何人もみてきました」
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。