この言葉で思うのは僕の父だ
僕の父はまさしく、忍耐の人だと思っている
中学卒業後、風呂敷包み一つで大阪のメリヤス会社に
丁稚奉公に出てきて、
当時の親方には
朝6時からよるは24時までこき使われて、
文句の一つも言わずに必死で働いてきた人だ
そして当時の親方のはからいで、
分け与えてもらった(その親方からはその土地はくれてやると言われていたそうだ)
に家を建てた。
にも関わらず、
その親方の死後、その親方の息子が
「その土地はうちのものだ、欲しかったら買え」と言いだした。
でも僕の父は文句一つ言わず、約10年の借金をして購入した
そしてさらに売ってもらった事に対するお礼までした。。。
今でもそんな父が不甲斐ないと感じたことを覚えている
これは父が忍耐した一つの出来事だけど、
父は何かにつけて、こんな風だった。
どんな理不尽な事にも文句一つ言わずに生きて来た人だ
このブログ記事にも以前書いたけど
僕が脳出血で倒れた責任は僕の両親(つまり、僕の父)あるから、
裁判になった
ら、僕らの生活の支援業務は僕の両親に生ずる
などと言う理不尽な(僕にとっては許し難い)ことを言った(ヤツ:あえて誰かは書きません)
に対しても文句一つ言わず、笑いながら聞き流し、
今だにいろんな形で僕らの生活を支援してくれている
そんな見方によれば、「お人好し」の父だけど、
僕はせ世界一尊敬している
なぜなら、父は前述の親方から引き継いだ縫製工場を
この忍耐の精神で、親会社からどんな無理を言われても、
文句一つ言わずにその(理不尽ともいえる)要求に応え続け、
バブル崩壊後の不況で周囲の縫製工場が軒並み倒産して行く中で、
その地区(僕が生まれ住んでいた縫製工場の多い地区)で
たった一つ・・
たとえ零細工場であっても、慎ましく、最後まで生き残り、
「倒産」ではなく「引退・廃業」という形で工場を畳んだからだ。
これほど見事な引き際はなかったと思う。
たいていの企業は倒産、つまり債務超過=人(債権者)に迷惑をかける
事でしか事業を閉じることができない中、
父は零細かもしれないけれど、1銭の債務もない状態で廃業した
そのことに僕は大きな意義があると思っているし、大きな誇りでもある
そんな意味では、少なくとも巨大な債務により世界中に迷惑をかけたリーマン
ブラザーズの元SEOのファルド氏なんかより父の方がずっと人間的に偉いと思っている
リーマンなんかに比べたら吹けば飛ぶような塵のような工場だったけど・・
それに比べ、僕は会社を倒産させてしまった、、
いくら脳出血が原因とはいえ、倒産は倒産(債務超過で銀行には迷惑をかけた)だ
だから僕は
父には負けた
と思っている
こんな父の生き方は今の時代、
そんな忍耐はいい様に利用され損をするだけ
と言われるかも知れないけれど、
確かにこれまで、
この「お人好し」のせいで、利用されてきたかも知れない
でも
僕はそれでも良い
と思っている
なせなら、
たとえ損をしても、
父を利用したヤツよりも
父のその生き方は
(少なくとも僕には)ずっとずっと輝いてみえるから、、
そんな父が先日、癌だとわかった、、
早期発見で、初期の癌だからたぶん
大丈夫だろうけど、一日も早く
退院して欲しいと願うのである
たぶん、僕なんか一生かかっても
追い越せない父だろうけど、
それだけ頑張ってきたのだから
長生きして、
残りの人生くらいは我慢などなく
はのんびりと過ごして欲しいと思っている
父こそが「忍耐の徳」というものを僕に
自分の生き様で示してくれているように思う
僕も片麻痺ごときで嘆いているようでは
忍耐が足りんな・・
「忍耐の徳」とは程遠いよな・・って思う
父の癌の知らせが母から来たので、今日は父のことを書いてみた・・
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。