ふと、そんなことを考えていた・・
半身不随という障害者になってしまった今の僕には
以前持っていた「生きる楽しみ」・・(いわゆる娯楽というやつ)の99%は失ってしまった
ちょっとした観光や旅行。近所の散策でもよい
そんな小さな楽しみさえも今の僕には苦痛でしかない。
何事にも「楽しむ」なんていうことは不可能に近い
そもそも僕にとっては
歩行移動だけで半身が猛烈に痺れ激痛が走り、激しく辛いのだから・・
散策ですら「楽しみ」なんてものではない。
もちろん、身体を動かす楽しみ(いわゆるスポーツ)は100%できなくなった
そんな「生きる楽しみ」をほとんど奪われている今、僕は今何を支え生きているのだろう
考えた末に出来てきた一つの結論・・
それは「使命感」のようなモノである
それは簡単に言うと
「自分が必要とされているかどうか」
である
必要とされているから
そこへ行く(身体が痛くても移動する)し
必要とされているから
全身が痺れて(痺れが酷い時には健常な半身側まで痺れが回る)横になっていたいけど、
打ち合わせにも出席する
誰かに必要とされているから
心に鞭を打って無理もする
そして決して弱音は吐かない
重要なのは>必要とされているかどうかである
つまり、まだ僕が
「役に立つ人間」であるかどうか
なのだ
それが「使命感のようなもの」となり、僕の心を突き動かし、
「辛くても生きろ!」
と自分自身には発破をかけるのだ
だから僕はいつも
「自分にまだ役に立つことがあるかどうか」
いつも探し求めていると思う
そして必死の思いで「これならできる」と思った事はすぐにでも行動に出る
身体がどんなにつらくてもそういう行動していないと
僕の生きる支えである「使命感のようなもの」
が消滅してしまうような気がするから・・
だから急ぎもする。思い立ったらすぐに性急に動こうとするのだ
もちろん性急といってもこんな身体だから、
実際にはトロいと思われるかもしれない動きだけれども・・
今の僕の生きる理由はそこにしかない
と僕は感じている
僕は、
いわゆる健常者の頃のような「生きる楽しみ」は
ほとんど捨てた・・
そんなものは僕にとって生きる支えにはなりはしないから・・
投稿者プロフィール
-
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。