そのせいか、最近のネガティブな記事が多いですね・・
というコメントやメッセージを頂く
「自己犠牲」という言葉の語彙からくる暗いイメージなのだろうか
でも僕は時分では決してネガティブになんかなっていないし、
この言葉が人をネガティブにさせることはないと思っている
「自己犠牲」とは
僕の解釈では「己を捨てる」事だと思っている
僕のブログの冒頭に僕自身が気持ちを強く持つため・・と題して
書いている文章の中の「無私無欲」とほぼ同じだと思っている
人が苦しむ根源は己(つまり自我)が存在するからだと思う
自我があるから、悲しみ、怒り、憎しみ、、といったような感情が出てくるのだと僕は思う
自我はいわゆる仏教で言う「煩悩」の根源だと思う。
それゆえ、自我さえ捨てることができれば、悲しみ、怒り、憎しみ、、
といったマイナスの感情をも捨てることができ、
どんな事象でも冷静に観ることができ、そして粛々と進めることができる
いわゆる「心頭滅却すれば火もまた涼し」である
自我さえ捨てることができれば、
障害の物理的な痛みや苦しみにさえも「勝つ」ことができる
そして僕は自我を捨てることができた方が人はある意味「前向き」な行動になれると思っている
自我・・
そのなかには個々の「こだわり」や「思い入れ」が存在する。。
ほとんどの人間が大なり小なり持っていると思う
僕の場合、
健常者の頃、水泳が得意で体力があったとや、スキューバダイビングが好きで、世界中のいろんな海を潜った経験があり、
そんなことができる自分が
自分の「こだわり」や「思い入れ」だったと思う
いわゆる「自分が自分であるためのステータス」のようなものだったと思う。
でも
こうやって半身不随の障害者になってしまうと、
それら自分のステータスだった事は全てできなくなった
そんな自分の「こだわり」や「思い入れ」を持てば持つほど、それができなくなった自分が
息が苦しくなるほど悲しく、怒り、病を憎む思いが心の中に広がり苦しんだ
だから僕は「無私・無欲」でありたい、
自我を捨てそんな「こだわり」や「思い入れ」を捨てれば、過去を振り向き続けて、苦しむこともなく、積極的に生きることができるのではないか
そう思っている
そんな思いで僕は「無私・無欲」になり、自我を捨てることにこだわっている
所詮、僕も生身の人間、、
自我を完全に捨てることなんて不可能な事は分かっている
だからこそ、すこしでもその境地に近づきたいと思っている
そんなことを日々考えている中に三島由紀夫の本に触れ
「自己犠牲」という言葉に出会った
この言葉を読んだ瞬間に「無私・無欲」に一致するものがあると感じた
だから最近「自己犠牲」というテーマの記事を多く書いているのだと思う
そんな意味で、「自己犠牲」という言葉は少なくとも僕の中では決してネガティブではない
その言葉で少なくとも僕は、障害の苦しみの感情をどこかに追いやることができ、ある意味前向きに行動できるのだから・・
それが僕なりの「自己犠牲」という言葉の解釈だ
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。