コネクションのある方から再生可能エネルギー技術への投資促進のための
打ち合わせがあった
話を聞いていると僕の今まで生きてきた世界とからは
想像もできない途方もない金額の話だった
帰ってきてから
何か心の中にしっくりこない何かが残っていた
僕は3年前、脳出血により半身不随という身体になってしまい
会社も破産、自分も自己破産
身体機能も無くしてしまった
まさに自暴自棄状態だった。
そのとき
感じていた最大の辛さは何度も書いていますが
「人の役に立たない人間になってしまった」のではないか
という自暴自棄感だった
当時5歳だった息子を抱っこするとさえできなくなり
キャッチボールの相手さえもできなくなった
そんな簡単な父親としての役割さえ果たすことができなくなった
本当に役に立たない人間になってしまった・・と感じていた
だから障害者でも少しでも役に立つ人間でありたい
という思いだけで今日までやってきた
さらに発症当時はほとんど外出できなかったの自宅のベッドで
横になっている時間がほとんどだった
経験したことのない痛みや痺れにも苦しみながら毎日自宅のの天井を
見ているだけの状態だった。
そこで辛かったのは強烈な孤独感だった
人との「つながり」が欲しかった
人との繋がり。。
「絆」とでもいうのでしょうか
そんなものに飢えていた
そして僕にとって「生きる」ということは「人とのつながり」を持つことだ
と思った。
人間は「人とのつながり」がなくなったら死んだも同じと思っていた。
いや、それは今でもそう思っている
人間、孤独ほど辛いものはない
そのは「人とのつながり」を持つために必要なことはと考えたとき
やっぱり「(どんなに小さな事でもよいから)人の役に立つ人間」であることだ
だから障害者でも人の役に立つ人間でありたいという思いだけで
今まで頑張ってきたつもりだ
そこには何も打算もなかった
当時から僕には大きなお金なんて必要ない
そう思っていた
だって何億円、何兆円積んで貰っても
この半身麻痺の障害が治るわけでもない
再び好きだったスキューバダイビングができるようになるわけでもない
のだから・・
だから日本の優れた技術を世界に紹介して世界の人にも
日本の企業にも「こんな身体でも少しでも人の役に立てば」と思い
仲間の力を借りてNPO法人として活動してきたつもりだ
でも
ここにきて
ユダヤ系の投資家の投資家グループと華僑系の投資家グループの話を聞くにつけ
正直彼らは金の亡者だと感じた
僕には必要ないと・・
でも・・
反面
彼らは自分たちが生きるために何が必要かを現実的に考えるリアリスト集団ではないかと
感じたりもした
ユダヤ人は遠い昔から迫害を受け続け、1948年にイスラエルを建国するまでは祖国を持たない
流浪の民だった。彼らが生き延びるために必要だったことも「人とのつながり」だったのではないか
そしてお互いにその「繋がり」によって支え合い生き抜いてきたのではないだろうか
華僑の場合少し事情は違うだろうけど彼らにしても、見知らぬ土地で生き抜くには華僑同士の
「つながり」が重要だったのではないかと思う。
そんな中でその「つながり」を保つために必要だったものが「お金」だったのではないか
この世の中・・
どこまでいっても
何を言っても資本主義である
これが現実である
お金がなければ、電車や車で移動すらできない
お金がなければ食べることもできない
お金がなければ医者にかかることもできない(医療保険にもお金が必要だ)
ユダヤ系の投資家の投資家グループなんて
華僑系の投資家グループなんて金の亡者に過ぎないと侮蔑してしまう気持ちがある反面
彼らは過去の
迫害された歴史から
そして苦難歴史から
この世の中を生き抜くためにお金が必要なんだ絆や愛などというキレイ事では生きていけない
そんな事を歴史上から肌身に、
いや、遺伝子としてまで組み込まれているリアリストなのではないだろうか
と思ったりして、今の自分の「障害者でも世の中の役に立ちたい」という気持ちも
結局はお金なしでは何もできないじゃないかと感じてみたり
そもそも、一銭のお金もなく「世の中の役に立ちたい」なんて
単なる非現実的な夢想家に過ぎないのではないか
と感じたりして
必要以上のお金なんて必要ないと思っていた
自分の心が今揺れている
それにしても今でも、やっぱり痺れと痛みは苦しい・・
この痺れと痛み(視床痛?中枢性と疼痛?)の明確な治療法は
まだ確立されていない
なら
いつまでこの痺れと痛みの苦しみに耐え続けなければならないのか
と悶々とする
こういうとき
「お金なんて必要ない、この痺れと痛みの苦しみとは闘うしかないんだ!
お金は何の解決策にもならない!」
と思ってしまう
超資本主義社会・・という現実に向き合って
昨夜からそんなことを感じていた。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。