見えないものを自分で創造できる日本のすばらしい文化


日本には目に見えないものや言葉として表現されていない者に対して自ら創造し楽しむという素敵な文化
が存在します。

その典型的なものは俳句や能です。

俳句は五・七・五のたったの17文字の文書の中で文字にされていない思いや表現が隠されています。

俳句を読むときには文字にされていない行間は読む人が創造するのです。

個人の創造は無限です。ですから五・七・五のたったの17文字で長編小説に勝るとも劣らない表現を感じることができるのです。

昔、武士が切腹をするときなどに詠む時勢の句などは、その侍の生き様全てが五・七・五の17文字に託されているといっても良いと思います。

能なども必要最低限の表現しかしない。その中から見る人が自分の頭の中で想像をめぐらせるのだ。

だから「無限に膨らむ」。これが分かると能や俳句は実に面白く、味わいがある。

日本人には「表現されていないものから自分で創造する」という文化があり、それは日本人の能力でもあると思います。

これは日本人同士のコミュニケーションの中にも大きく影響していると思います。
日本がは欧米人ほどハッキリとものを言わないというのもこういう文化の影響なのかもしれません。

以心伝心というようなものも日本人典型的なコミュニケーションスタイルです。

そしてそれは日本人独特の「礼」でもあると思います。

それは「心遣い」「気遣い」というようなものに近いと思います。

日本語にはの外国語にも存在しない「甘え」という言葉が存在します。

これは上記のような「言わずとも伝わる」という習慣に根ざしていると思います。
土井健郎著の名著「甘えの構造」にもそういったことが書かれています。
アメリカに留学した経験のような人なら分かると思いますが、アメリカでアメリカ人の家庭に食事に呼ばれると、まず主人がお酒がソフトドリンクかどちらを飲むかと尋ねてくる。そこでお酒をくださいいったすると 次にはスコッチバーボンかと聞いてくる。それを決めると、次にはどうやって飲むかと聞いてくる。そして食事が終わると、今度はデザートを食べるかどうか、次にはコーヒーか紅茶かを決めなければならない。とにかく何でも言葉に出して明確に表現して伝えなければ伝わらない。
日本ではあまり考えられないことだと思う。日本人ならある程度相手を察して、「お口に合うかどうかわかりませんが・・」と言いながら適切と思うものを出すでしょう。

こういった文化の違いはビジネスコミュニケーションや外交などでも問題になることが多々ある。
よく外交では日本人政治家は「遺憾」という言葉を使います。
これもこれも明確に相手を非難するのではなく「遺憾」という非常に抽象的で柔らかい表現でけん制する。「あとは察して欲しい」といういわゆる「甘え」と言えるのかもしれない。
グローバル化してきた現在の世界ではこういった日本人のようなコミュニケーションは通用しないと批判する人に多くいるが、欧米人のようにはっきりと相手を指摘することが本当に良いことなのだろうか
日本人ような「相手を察する文化」って素晴らしいと思います。
何もハッキリものが言えないからといって、自虐的になる必要はないと思います。
もっと誇りに思っても良いのではないでしょうか。

相手のほうが「礼儀を知らない文化だ」というくらいに日本の文化に自信持つべきではないでしょうか

欧米人の多くは日本に来たとき日本人の礼儀のよさに驚かされます。そして賞賛されています。
決してなめられているのではないと思います。

僕は日本の技術だけでなく、こんな日本人の文化もいっしょに、輸出し、世界に普及させていければよいなぁと考えています。

「おもてなし」や「気遣い」が当たり前になっている日本の「礼」の文化はすばらしいです

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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