脳出血で半身マヒの障害者となってから丸2年、麻痺側の手足はほとんど変わらないけれども
今年幸運に恵まれました。なんとこん身体で新たな事業を立ち上げることができた。
もちろん自分一人の力でできたのではなく、周りのみんなの力を貸していただいて
できたことだ。
大人はいよいよNPO法人を実稼動させる年だ。
僕は今思う。2年前は経済的にも精神的にもどん底だったがここまで来れた。
それは現実を受け入れるために、自分自身で常に心のパラダイム転換に務めてきた結果だと思う。
悲しい時、苦しい時、その苦しいと思う心や楽しいと思う心に押しつぶされないようにするために、
無私無欲に心がけた結果、乗り越えてこられたと考えている。
来年からもこの先ずっと無私無欲で自らのパラダイム変換を続けること、
そうし続けていることで何かが変わると信じる。
僕が心のパラダイム転換という人間にとって非常に重要なことに気付いたことが幸運だったと思っています。
これがなければ乗り越えてくることができなかっただろう。
これはもう何年も前に読んだ「七つの習慣」というで学んだことだ。その時もこの本の下記の一節が
なぜか僕の頭の中に入りこみ、僕の心を捕らえて離さなかった。
そしてそのことが今の僕の心の支えになっています。
パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことで、
人間は物の見方や捉え方を変えることで行動まで「無理せず」変えることができるということです。
下記がその「7つの習慣」の本の一節です。
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ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。
乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んで
いた。すべては落ち着いていて平和な雰囲気であった。 そこに。ひとりの男性が子供たちを連れて車両に
乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
しかし、その男性は私の隣に座って目を閉じたまま、周りの状況にまったく気付かない様子だった。
子供たちといえば、大声を出したり、ものを投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも
騒々しく気に障るものだった。
ところが、隣に座っている男性は、それに対して何もしようとはしなかった。私は苛立ちを覚えずにはいられなかった。
子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。
周りの人たちもいらいらしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、
「あなたのお子さんが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」
と言ってみた。
するとまるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかりもの静かな声で
「ああ、ああ本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出て来たところなんです。一時間ほど
前に妻が・・・・あの子達の母親がなくなったものですから・・・いったいどうすればいいのか・・子供たちも混乱
しているみたいで・・」
その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。
突然、その状況を全く違う目で見るることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、違って行動した。
今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動⇒態度を無理に抑える必要がなくなった。
私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
一瞬にしてすべてが変わった。
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この短い文章が僕の人生に多大な影響を与えた。
敵だと思っていた人間が、次の瞬間味方にみえる。そうすると「無理なく」行動を変えることができるのだ。
すべてはこの考え方(もの捉え方の変換(価値観の変換と言った方が良いのだろうか)が僕を支えてきたないのだ。おかげで脳卒中、会社の破産、自己破産という苦境からもなんとか脱出することができそうだ。
世の中は諸行無常であるすべてのものは変わり続ける。これが宇宙の原則だ。
だとしたら自分自身も変わり続けるなければならない。
諸行無常であるからこそ、これからも一つの価値観にとらわれずに、時代の変化あるいは自分自身の環境の変化
に対して一つの視点からのモノの見方にとらわれずに無私無欲で自分の心のパラダイム転換を永久に続けていくことに努力しようと思う。
そうしていれば、何が変わる苦境は続かないと信じる。諸行無常、いつかは闇が明ける
しかし、物質的豊さを求めない。そうすると、また心の挫折がやってくるように思う。
そしてもう一つ
僕は明日からもう一度人間の進化をやり直すつもりで、この脳出血の後遺症と闘い続けよう
と考えています。そして明日から進化をし続けます。
脳卒中による麻痺などの後遺症は、最近の脳科学の進歩によって脳が持っている「可塑性」
という能力で回復が可能であるということが最近多くの研究者から発表されています。
テレビなどでも「脳の代償機能による奇跡の回復療法」というような番組を見かけますが
と僕は自らの経験上、実態はそんな生易しいものではないと思っています。
その最大の理由は僕なりの言葉でいうと下記の2点が大きな壁になってると僕は感じています。
1.代償機能が働くときは未体験部門の担当が代行しているようなものだ。
2.脳の持つ運動感覚や触覚などの機能は人間が生まれてから後天的に獲得した機能ではなく
人間の進化とともに獲得した機能である
脳は「可塑性」はあるがゴムのような伸縮性のないとある脳神経学者が書いていた。
つまり手足の怪我が治癒するように「元に戻る」事は無い、はあくまでも新たに再構築されるのだという。
このことを読んで、僕は「赤ちゃんからやり直す」というような覚悟をした。
生まれて45年で築き上げた機能を取り戻すためには、更に45年がんばって90歳まで頑張ろうなどと
考えていた。
しかし僕はある時気がついた。
人間が作った構造物「階段や舗装された道」を駆けたり、あるいはキーボードというものを打ったりする能力は
後天的なトレーニングによって獲得した能力であるが僕のような感覚障害「触わられてもどの部分を触られているか分からないというような障害」や「モノを摘む」あるいは「歩く」というような動作能力は後天的なトレーニングによって獲得した能力ではなく人間が生まれたときから持っている遺伝子の中に組み込まれた能力であり、それは人間が進化の過程で獲得した能力ではないかということに気がついた。
ということはそれを失ったものだから、後天的なトレーニングだけで再獲得できるものではない。
再び「進化」しなければならないのではないかということに気がついた。
それでもあきらめない。
それならもう一度現在の環境に適応して「進化」すればいいじゃないか。
だから僕は明日(来年)から「進化」し続けることを誓います。
心のパラダイム転換を続けながらも・・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。