人生は長い。だから失敗もする。挫折もする。そんな時このことわざはありがたい。
しかし7度転んでも8度目にをければそれで良い。などと呑気に考えることではないと思う。
一度転んで気がつかなければ、など転んでも同じことでしょう。
一度で気がつく人間になければならないと思う。
そのためには「転んでもただでは起きぬ」というような気迫が必要だと思う。この言葉はなんだか意地汚い印象を与えるが、先人の偉人たちの中には、大きく転んでそこに悟りを開いた偉人は数多くいる。
こういう人たちは決して「意地汚い」のではないと思う。まさに「真剣」だったのだと思う。
真剣だからこそ、転んだときに、転んだことをうまく活用し、必死で知恵を絞り出した結果なのだと思う。
失敗を恐れるよりも「真剣」でないことを恐れるべきだと思います。
僕自身、人生で脳出血という大転倒を起こしてしまった。
この2年間、本当に真剣だったと思う。自信を持って真剣だったといえる。
47年間生きてきた中でこれほど真剣だった時期は無かったと思う。
そしてそこに必要だったのはやはり「希望」だった。
確たる自信がない中で、ある意味無理矢理自分に「希望」を持たせた。
正に根拠のない希望である。
そしてその希望信じたからこそ、前向きに歩き出すことができ始めたのだと思う。
僕は「希望」に対して明確な根拠など必要ないと思う。
そもそも根拠のある「希望」など存在しないと思う。
でも人間は根拠のない「希望」でも「希望」を信じることによって、心は前向きになれるものです。
そして心が前向きになれば、不思議と良い発想が湧いてくるものです。
結果として「希望」の成功率が高まってくるのだと思います。
これは僕自身のこの2年間の葛藤の中で得たものです。
これは金融機関の「投資」とは全く違うものです。「投資」の場合、投資家は限りなく成功するという
根拠を求めてきます。それはビジネスとしてのリスクヘッジとしては仕方ないことだと思いますが、
人間の生き方とか、人類の未来に対して明るい未来の「根拠」を求めても仕方がないと思います。
その意味で政治家が「明るい希望を持てるような社会にすることを誓います」などと言っていることがとても滑稽に見てしまいます。「未来への希望」など個人個人が心の中で持つものであって、
第三者がその根拠など示せるはずがないと思うからです。
今の若い人たちに言いたい。
閉塞感のある世の中だから自分たちには希望がないなどと感じて、うつ状態に陥り、集団で自殺などしないでほしいと思います。どんな世の中であっても、希望を持つことができるのです。
世の中の状態よりもあなたの心の持ち方ほうが大切なんです。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。