人間の生き方

僕は明日からも進化することを誓います

今年もあと1日となった。明日で僕も48歳だ。脳出血で半身マヒの障害者となってから丸2年、麻痺側の手足はほとんど変わらないけれども今年幸運に恵まれました。なんとこん身体で新たな事業を立ち上げることができた。もちろん自分一人の力でできたのではなく、周りのみんなの力を貸していただいてできたことだ。大人はいよいよNPO法人を実稼動させる年だ。僕は今思う。2年前は経済的にも精神的にもどん底だったがここまで来れた。それは現実を受け入れるために、自分自身で常に心のパラダイム転換に務めてきた結果だと思う。悲しい時、苦しい時、その苦しいと思う心や楽しいと思う心に押しつぶされないようにするために、無私無欲に心がけた結果、乗り越えてこられたと考えている。来年からもこの先ずっと無私無欲で自らのパラダイム変換を続けること、そうし続けていることで何かが変わると信じる。僕が心のパラダイム転換という人間にとって非常に重要なことに気付いたことが幸運だったと思っています。これがなければ乗り越えてくることができなかっただろう。これはもう何年も前に読んだ「七つの習慣」というで学んだことだ。その時もこの本の下記の一節がなぜか僕...
人間について

豊かなのに幸せになれない?

昨日サンデーモーニングで「豊かなのに幸せになれない」というテーマで番組をやっていまたがその中で日本はアメリカ型の物質的豊かさを求めてきた結果、夢や希望を持つことができない世界にしてしまった。また高福祉社会のデンマークでも必ずしも幸せではない。物質的な福祉の仕組みでは人が必ずしも幸せになれない。というようなことを言っていたのですが僕はやはり夢や希望は「世の中の状態」のことではなく「心の状態」のことだと信じています。これは障害を負ってからこの2年間の中で私がたどり着いた一つの結果です。つまり「幸せ」も「閉塞感」も「心の状態」であり「世の中の状態」や「世の中の仕組み」ではないと思う。ではどうすればよいのかということになりますが、「心がしっかりしている人」はたとえ孤独でも幸せをつかむこともできるし、どんな社会でもどんなに荒廃した世の中でも夢や希望を待つことができると考えています。私は戦後世代で戦争のことは分かりませんが、戦後の焼け野原という悲惨な世の中で日本人は何故夢や希望を待ち続け発展できたのか。それは戦争では敗戦しましたが当時の日本人は「心」まで負けて荒んでしまっていなかったからだと思いま...
人間について

痛みと闘う

清原迪夫著の「痛みと闘う」という本を読んだ。現代医学で唯一捉えられないものが「痛み」だそうだ。。こればかりはMRIでもCDスキャナでも捉えることができない唯一のヒントが患者からの言葉だという。しかしその言葉も患者が本当に感じていることを適切に表現しているとは言いない僕自身、左半身にしびれや痛みがあるが、たしかにこれは表現が難しい「何とも言えない強烈不快感」である。当初、僕はこの「得体の知れない不快感」をどう表現して良いのか分からなかった。とにかく「辛い」としか言いようがないのである。清原先生がいわく、痛みとは「叫び」であり言葉ではない。経験したことのない人に正確に伝える言葉がないので「痛む」「しびれる」「こわばる「めくれる」などの表現を使っているにすぎないと・・まさにその通りだと思う。「医療は痛みに始まり、医療の終わりは痛みの終わりである」とも書かれている。そして痛みを和らげる唯一の方法とは患者のそばに座って患者の訴えを聞いてあげ、体の痛みや心の痛みを鎮める努力をしてくれて傍にいてくれるヒトであるという。人は心で痛みを和らげることができ、逆に心で激痛にもなりうるという。最新の医療知識と...
人間について

「大切なのはお金なんかじゃない」は本当に、キレイ事か

どこかのFX投資のコマーシャルで、「大切なのはお金なんかじゃない!」とか言いながら「またキレイ事言ってしまったよ。」というようなことを言ってるコマーシャルがありますが、決してキレイ事ではないと僕は言い切ることができます。今の僕は本当にお金なんかほしくない。と言っても全然必要がないわけではないですが・・最低限の生活ができればそれで良いと本当に思っていますそれよりもこれからやろうとしている事業で仕事してる方がずっとずっと何百倍も楽しくて仕方がないのです。環境技術を探す社会の役に立つことができそうだこの高揚感は何物にも変えがたい快感です。先日も東京まで東北大学のネイチャーテクノロジー研究会に出席したときも本当に楽しかった。健常者のころスキューバダイビングが好きでモルジブなどの南の島のリゾートホテルに行った事があり、その時のすごく「幸せ」を感じたのだがそのものでもずっとずっと楽しく高揚感のある研究会だった。「人の役に立つ」社会の役に立つ」ことができることに触れることがこれほどまでに高揚感をもたらすのか。自分でも驚いている。自分の心の中のパラダイムが完全に変換していると感じている。お金なんて人間...
人間について

希望と覚悟

希望は覚悟の上に芽生えて来るものであると思う。これは僕にとって確信に近いものである。苦境の中に置いて希望を持つためには、自らのパラダイム転換が必要である。パラダイムの変革にはリスクを伴う。既存の価値観を捨てる覚悟が必要である。そして新しい価値観を持たなければならない。そこには必ず抵抗勢力が現れる。その抵抗勢力と戦いは続かなければそこには希望は生まれない。抵抗勢力とは、「自らの心の中の抵抗勢力」も大きな抵抗勢力として存在在していることに気がつかなければならない。これは自分自身との闘いである。障害者になってしまった自分も健常者の時の価値観を捨てなければ、希望が見えてこないのは理解している。しかし、自分の中の「既存の価値観を良しとする抵抗勢力」が最も抵抗が強く厄介である。この抵抗勢力に勝ち乗り越えなければならない。毎日自分にそう言い聞かせているがなかなか闘おうとしてくれない。どうしても逃げてしまう。逃げれば逃げるほど余計に苦しくなる。だから闘うしかないのだ。その「闘う覚悟」を持つことが、今の僕にとって唯一の希望への道である。多分この闘いは死ぬまで一生続くであろう。過去の自分は、もう2度と戻っ...
人間について

未来に希望を持つために、 今の子供たちが大人になったとき、どんな世の中になっているか。 以来の

未来に希望を持つために、未来に希望を持つために、今の子供たちが大人になったとき、どんな世の中になっているか。以来の希望を持てるだろうか。そう考えたとき、現状の世界の考えると、あまり明るい未来をイメージすることができないのではないでしょうか。希望とは心の中の状態のことであり、世の中の状態のことではありません。希望とは、人の心の中に存在するものだと思います。そうすると未来に希望をもつために、僕はこう考えます。現状の世界から、フォワードフォーカスして未来を考えると、どうしても明るいイメージを持つことができません。まずは、明るい未来をイメージしているのです。「こんな社会になれば良いな」とか「この社会になればよいな」ということを具体的にイメージしてみるのです。の子供達が、大人になった時の理想的な未来もう心でイメージしてみるのです。そしてそこから、パックフォーカスして、そのために、現在何をすればよいのかを考えれば、良いと思うのです。何かが出来るはずです。そう考えれば、心の中に、希望を持つことができます。希望を持つことができれば、心が前向きになり知恵とアイデアも沸いて来ると思います。しかし映画ターミ...
エコロジー

持続可能な社会を実現できるのか

20世紀後半から環境破壊が世界的に問題視され「持続可能な社会」をめざそうとCOPなどの世界的な取り組みが進められていいますが、ますます理想と乖離してきているのが現実です。なぜなのだろうか。人間が利便性を追求する限り、どんな「エコ製品」を作ってもそれを大量消費し、環境破壊を促進してしまっているのが現実です。人間は「生きる幸せとは何か」という価値観を根底から覆さないといけないのではないだろうか。これも「ネイチャーテクノロジー研究会」でしたことだが、割れた茶碗を再度破片を接着し修理して裂け目の上から漆で絵柄をあしらい再利用するという江戸時代から存在するこのような文化は世界中探しても日本にしかないそうです。そういえば、最近の製品は壊れたら捨てて新しいものを購入するというサイクルになってしまってないだろうか。昔はテレビでさえも映りが悪くなれば、真空管の交換をして「修理」をして再度利用したものだ。最近の電化製品は電子基板に依存しているので、調子が悪くなっても素人では到底修理などできない。「電気屋さん」でも不可能だ。だから、廃棄して、新しい製品を購入するしかない。「修理して使う」というライフスタイル...
人間について

エコテクノロジーは人類を幸せにするか

テクノロジーが進んでいるにもかかわらず暗いニュースが多い理由が分かった気がする昨日、東京上野国立科学博物館で行われた東北大学環境科学研究科ネ石田研究室のネイチャーテクノロジー研究会に参加してきた。この研究会で「エコジレンマ」とい石田先生の言葉に出会った。テクノロジーが進んでいるのに不安は増大し生活劣化を起こしている。ということを指すらしい。なるほどと思った。この研究会に出席するために上京中の新幹線の中で書いた前の記事でも書いていたように、テクノロジーが進んでいる広告媒体があふれているのに、ちっとも人類が幸せに向かっている気がしない。メディアからは暗いニュースばかりが発信されている。テクノロジー進めば進むほそど、れ以上に人間の欲望が増大してしまうからだろう。最近のエコロジー「ブーム?」でいわゆるHV車を筆頭に「エコ商品」が大量生産され、消費者はエコに役立つと思いそれを大量に買い込む。LED関連商品、液晶テレビetc.にもかかわらず一向に生活上の「不安」は消えない。し、社会全体が「劣化」しているように感じる。僕も以前から漠然と感じていたことである。今回の研究会を通して、その秘密が江戸時代の...
人間について

文明が進化し人の心が荒廃?

今、東京に向かう新幹線の中で書いている。最近気になることがある。高機能な家電がどんどん開発されている今朝新大阪に向かう途中の吊り広告に某家電メーカーがカメラが主体が携帯電話機能が主体かわからんような「携帯電話?」が発売されると書いてあった。iPhoneにはじまってiPAD、アンドロイド携帯・・液晶テレビに始まって、LEDテレビ、3Dテレビ・・その他、世界的なHV車の進化、宇宙開発技術の進展、科学技術の進化は留まるところを知らない。インターネットなどは僕がIT業界に飛び込んだ15年前には想像もできなかった世界になっている。本来文明の進展は人類に幸せをもたらすものではないか。そして文明は確実に急激に進展している。にもかかわらずメディアから発信されるニュースは暗いニュースばかりに感じる。世界がウィキリークスに憂慮、世界が北朝鮮核開発に憂慮争、中国の超高性能原潜開発成功に憂慮COP15結論見送り・・挙げればキリがないくらい、暗いニュースのオンパレード。いったい何なんだ・・すくなく科学技術は進展しているが人と人との信頼関係は逆にどんどんう失われていっているように感じる。皆心が「一人称」になってき...
独り言

今の日本にできること

今の日本にできること現在の日本は、僕のような障害者のようなものではないだろうか。などと、考えています。大東亜戦争に、敗戦し、「普通の国」なら持っている。「身を守る手足」つまり軍隊に障害を負っているようなものだ。だから国際社会において、集団的自衛権という社会貢献を行うことができない。今、盛んに、日本も核兵器を持つべきだ。という論議が、あちこちで巻き起こっているが、どうせ憲法上持つことができないことに対して、がこうだと、議論しても、仕方がないと思う。僕が健常者に戻りたいと、いくら考えても、仕方がないのと同じだと思う。そんなところから、今の自分と、重ね合わせてみたりしている。今の自分を考えると、やっとこの2年で、体の不自由だが、事業を起こすことが、できた。健常者の頃のように書類を自由に扱い、足で走り回って営業活動をしたわけでもない。ただ電話とインターネットだけで、自分の考えを伝え、アピールし仲間を募ってきた結果です。たとえ手足が、不自由でも、知能障害になっているわけではないので、頭さえ使えば、なんとかなるという確信の持てるようになっている。今の日本も同じではないだろうか自民党を含めた自称「保...