人間について

死に対する怖れ

僕は脳出血を起こし、生死をさまよい障害者になってから、健常者の頃より死に対する恐れが少なくなった。ほとんどなくなったといってよいだろう。なぜ死を恐れるのか。僕は健常者の頃、死ぬことでいちばん恐ろしいことは「別れ」だと思っていた。それは「人との別れ」だけではなく、この世にある全ての物との別れだ。見慣れた景色、住み慣れた家、使い慣れた道具、死とはそんな僕とつながりのあったモノとの別れをしなければならないと感じ、その「別れ」が怖かった。でも今は違う。「死とは無に戻ること」だと考えるようになったからだ。この世の全てのものは「無」から生まれた。そして死とは「無」どれだけのことなのだ。「無」になるということは「魂」さえも残らないのだ。そもそも「魂」なんて存在しない。心=脳だと考えた場合、脳が損傷あるいは破壊されたとき心も消滅してしまうのだ。魂も消滅してしまうのだ。 「別れ」が怖いと思うのは生きている証拠だ。魂が存在する証拠だ。魂が消滅し、心が消滅してしまえば、「怖れ」さえも無くなってしまう。無になれば苦しむことさえなくなってしまう。僕は死んでから「魂」などというものが残る方が苦しむと思うのだ。死ん...
人間の生き方

苦の根源

自分はなぜこんなに苦しんでいるのか。脳卒中で障害者となってからというもの、会社の倒産、自己破産という苦境や四六時中襲って来くる痛みとの闘いの中で、そんなことを考えざるを得なかった。そして自分だけでなく、人はなぜ苦しむのか。人は生まれてから誰しも病、傷、老い、やがては死を迎える。この業からは誰も逃れることはできない。にもかかわらず、人は皆逃れようとする。そして逃れることができない。だから苦しむのだ。自分だけがその業から逃れようとして結果として他人を傷付けることになったりして、そこに憎しみや怒りや悲しみが生まれる。そしてさらに精神的に苦しまなければならなくなる。ではなぜ人は病、傷、老い、死というものから逃れることができないのかそれは西洋の思想のような神が与えた試練のようなものでもないと僕は思う。神など存在しない。生きとし生けるものにとって病も傷も老いもそして死も自然の摂理なのだ。どんな生き物もやがては病によって老い朽ち果て、やがて死ぬ。このことはことは自然の摂理なのだ。僕が脳出血になったことも自然の摂理の中のひとつなのだ。だから、恐れることも、気に病む必要はないのだ。恐れるから苦しむのだ。...
人間の生き方

幸福値

人間にとって幸福とは何だろうか。現代の経済社会においては幸福=GDP(モノの生産量)モノの豊かさとなっているような気がする。これからの世の中は経済において「幸福値」というような指標があっても良いのではないだろうか。僕にとって幸福とは「人とのつながり」だと感じている。これは確信に近いものがある。脳出血で半身麻痺いう障害を負ったことによって僕が初めて悟ったことだ。健常者の頃にできたことは、ほぼ全て出来なくなったといってよい。同時に健常者の頃の「楽しみ」もほぼ全て出来なくなった。スポーツはもちろんのこと「のんびりと散歩をする」とか(歩くということそのものが重労働になってしまった)「ナイフとフォークでステーキを食べる」とか(片手しか使えないのでナイフとフォークは使うことが出来ない)「お茶碗を持ってお茶漬けを食べる」とか日常のほんの些細な楽しみさえ出来なくなった。いくらお金を積まれてもこの出来なくなったことをできるようになることはない。だから僕にとってお金は幸せにつながらない。今僕がもっとも幸せを感じる瞬間は「人とつながっている瞬間」だ。だから「人とのつながりの量」が僕の幸せのバロメーターなのだ...
独り言

孫正義さんはエネルギー業界の利権構造の壁を打ち破ることができるか。

ソフトバンクの孫正義さんが今回、自然エネルギー協議会を立ち上げ、太陽光発電パネルのメガソーラー普及構想をぶち上げた。これは既存のエネルギー業界(電力会社などの大手企業)に闘いを挑むことにほかならない。僕も先日からNPO法人の関係で超薄膜太陽光発電パネルの普及促進のために動いている。2、3日前のブログの記事にも書きましたが、この超薄膜太陽光発電モジュールは実に画期的なものです。工場の大きな屋根など、果ては東京ドームレベルの広さの屋根に設置することができるのだ。なぜなら超薄膜でなるがゆえに超軽量なのだ発電効率そのものは悪いが広い面積の設置が可能なので、大きな屋根に設置すると全体の発電量としてはメガワットクラスの発電が可能になるのだ。これを全国展開、いや世界に向けて発信し、普及促進することNPO法人でサポートするのだ。目標はとして全国に数百店舗の代理店展開をする予定だ。数百店の代理店が全国の工場や倉庫などの産業用建設物の屋根に設置すれば相当の電力を賄うことができることが試算できている。方法としては企業の持つ産業用の建築の屋根をレンタルするのだ。そして発電した電気を売電してその利益でコストを償...
人間の生き方

絆の力

たとえ根拠がなくても自分を信じて自分に自信を持って希望を信じるそうして自信を持つことこそ、苦境の中で希望信じることができ、自分自身の心を前向きにし、意欲を燃やすことができるのだ、そんな意欲からこそた新たな知恵が湧き、前に進めるのだ。そう信じてこの2年間、絶えず希望を信じ前に突き進んできた。でも、こんな気持ちをひとりで持続し続けることはとても難しいものだ。どうしても、日々の生活では痺れや痛みなどの苦痛に加え、お茶碗さえもつことのできなこの体の不自由さに苛立ちを覚えたり、過去を振り返るとこんな体になってしまったことが無性に悲しくなってしまい気持ちが萎えてしまうことが多々ある。どうしても、どんなに努力しても・・・自分一人では心を立ち直らせることが出来ないことがある。そんなとき、人とのつながりの大切さを痛感する。特に最近「絆」の持つ力のすごさを痛感する。僕にとって「絆」とは相手を信じることだけでなく、相手から信じられていると感じることのように思う。簡単に言うと「お互いに信じ合うこと」だ。自分が自分自身を信じ、周りの人たちを信じることはもちろん周りの人から「信じられている」と感じることが大切なよ...
独り言

プライド

僕にはプライドがある。人間としての誇りである。男としてのプライド父親としてのプライド夫としてのプライドそんなプライドだけは捨てたくない。死ぬときに自分の人生に後悔を残したくない。それは自分の持っている能力を最大限使い果たしたかどうかである。決して成功の人生=後悔のない人生ではない。たとえ結果は失敗だったしても、最善を尽くすことができた人生であればそれで良い。失敗は無念にはなるけれども、後悔にはならない。生き方に手を抜いた人生や人を欺いたりした人生こそが後悔になる。死ぬときには精いっぱい頑張った人生だったと思いたい。それが僕の人生のプライドだ。だからこれからも苦しいことに対して一切の弱音は吐かないと自分に誓う。またつまらないことに嘆き、悲しんだり人を恨んだり、不平や不満を持たない。そしてからだが不自由でどんなに苦しくとも、どんなに悔しい思いをしようとも傷や痺れがどんなにキツくともたとえ障害者であっても凛として生きていくのだ。そんな生き方こそがプライドだ。これは人間にしかもつことのできないものだ。
人間について

現実を乗り越えるということ。人間の本性を乗り越えるということ。

現実を乗り越えるということ。人間の本性を乗り越えるということ。よく文学と哲学を比較して、文学は人間の真実の姿を描き表しているといわれる。たとえばシェークスピアなどの文学などは、日ごろどんなに善人を装っている人でも、いざというとき、つまり究極の苦境の際には人間の醜い本性を表すものだというようなことを表現している。アンデルセンの童話などにしてもそうだ。原文には醜い人間の本性が描かれている。だから文学者は文学こそ人間の本質を表す、すばらしいものだという。哲学は人間の本質を無視している実現出来もしない理想にすぎないと・・でも僕は思う。確かに人間にはいわゆる動物として持っている本能的欲求というもの思っていると思う。でも、その本能的欲求というものを乗り越えようとすることこそ、人間であるゆえんではないかと思う。釈迦にしても人間のもつ一切の煩悩(我欲?本能的な要求?)を捨てることによって涅槃の境地を目指そうとた。現実的に考えると、人間の煩悩を全て捨てるなどということは不可能なのかもしれない。でも・・それを乗り越えようとする心、その努力こそが大切なのではないか。美しいのではないかと思う。(間違った理解か...
人間について

希望を持つために最も必要だったこと

希望を持つために最も必要なものは意欲だと思う。そして自分に対する「自信」ではないかと思う。それは決して自己を過大評価するのではなく、「自分を信じる」ということと思う。根拠なき自信でも脳(人の心)は、人間は、自信を持つものだと思う。から信じるということはとても大切なことだと思う。なぜなら信じることができると、たとえ根拠がなくても心が前向きになるものだ。心を前向きになる結果として意欲を持つことができる。そもそも世の中自体不確実性に満ちている。そのなかでも人間は生きている。明日、自分は死なないなんていうことは絶対にわからない。皆何の根拠もなく、明日、自分は死なないと信じている。人間は生きている間、様々な節目、節目があり、そして日々さまざまな判断をしている。これはコンピュータなどには出来ない判断だ。なぜなら、日々の生活でさまざまな判断をする時必ずしも判断に必要な情報は全て整っているわけではないから。ではなぜ人間は判断が出来るのか。それは人間の持つ感情というももが、心というものは大きな役割を果たしているのではないか。自分はどういう学校に入ればよいのか。何を専攻すればよいのか。どんな仕事につけばよ...
独り言

人生なんて皮肉なものだ。

本当に人生で皮肉なものだと思う。ここにきてNPO法人の活動が急激に拡大してきた。なんと国家事業でもあったJAXAの次世代型ロケットGXの海外窓口をやるのだ!その他にも最先端の水質浄化装置の海外への販路開拓。エネルギー事情を根本的に変えてしまうかもしれない最先端の蓄電装置の開発支援と海外進出支援。3年前の健常者だったころの僕には考えられなかったようなことだ。僕には到底無縁だった世界と今深く関わり合おうとしている。無限に夢があるように感じる。2年前脳出血で障害者となって生きる望みを失っていたなんて嘘のようだ。それにしてもこれだけ大きな展開になってきていると言うのに体が不自由で動かないと言うのは何とも苛立たしい。。今健常な体を、手を、足を持っていたら。。と思ってしまう。。。資料を一つ作成するのに片手だけのタイピングなので猛烈に時間がかかる。ミスタイプだらけ・・イライラする・・体が不自由になってから人生がこんな展開になるなんて・・皮肉としか言いようがない。もし神様というものは存在するのならあなたはなんて意地悪な人?なんだ・・
最新環境技術

日本の底辺の中小企業が支える再生可能エネルギーの最先端技術(メガソーラー発電とリキッド電池)

日本の再生可能エネルギーの最先端技術を日夜開発し続け、未来の日本のエネルギー事情を支えるのは決して大企業ではなく、創意工夫にあふれた中小のエンジニアリング企業なのだ。このことを先日の九州の企業訪問の旅で思い知った。またエネルギー関係の強化における強大な利権構造は本当に存在するということも目の当りにした。しかし周囲の人は絶対にそんな強大な利権構造に立ちむかっても勝てるはずがないと言われているにもかかわらず、これら中小エンジニアリング企業の社長たちは、そんなことに対しても絶対に気持ちが折れることなく「必ず普及できる、必ず日本のためになる」ということを信じて「絶対に諦めない」という姿勢で立ちむかって行っていた。ここにも「自分を信じる」「希望を諦めない」そんな力強い人間の心エネルギーというもののすごさを垣間見たような気がして、僕自身が勇気をいただいた。そしてたとえ自分が片麻痺の障害者であっても、私も絶対に諦めずにこれらの技術を世界に発信し続けていくことをあらためて誓いました。メディアにはまったく流されていないけれども、その実に素晴らしい技術を持っている中小企業が存在することをここに紹介しておき...