一時そんな「自宅療養」できる環境がうらやましいと思ったことがある。
僕は零細企業の社長だったから、仕事がができなくなった(仕事をしなくなった)
その瞬間に収入が途絶える。
この3年間
どんなに体が痺れても、
どんなに痛くても
どんなに動かなくても
仕事を途絶えさせることはできなかった。
重たい身体を引きずりながら何度もハローワークにも通った。
今考えると自宅療養なんてできなくてよかったのだと思う。
自宅療養なんてしていたら今の自分はなかっただろう。
自分でなんとかしなければなない。
一度起業家になると起業家であり続けなければならないのだろう。
結局は自分で起業しようとしている。
古い考えかもしれないけれど男である以上、一度(起業)を決めたことだから
最期まで自分の足で立ち続けたい。
そんな思いがどこかにあったのだろう。
障害者で無職、無収入、労災もなし、、
女房、子供もいる 自宅療養なんていしていられない。
お金に余裕のある有名人のようにはいかない。
そんな追い詰められた状況があったからこそ、男としての「意地」のようなものが
起業に向かわせたのだろう。
僕は両親とも北陸出身である。
そんなせいか子供のころから人間は「忍耐・努力」と言われてきた。
特に「忍耐」という言葉を聞いてきたような気がする
そんな「血筋」のせいか「攻撃」よりも「忍耐」を男の美学と感じる。
決して弱音を吐かない。
苦しくて地を這い刷り回ってからでも立ち上がる。
いつも朝起きるとそう思うのだ
朝起きると身体が硬直して動かない。。
半身が痺れている
立ち上がろうとすると激痛が走る。。
毎日がこうだ。
メゲそうになる。。
「負けてたまるか」
そんなとき心のどこかの「男としての、人間としての」プライドが
僕を立ち上がらせているような気がする
誰も見ていないけれどたったこれだけのことが「男としての、人間としての」
そして僕の生きる美学だと思う。
男として、人間として凛として美しく背筋を伸ばして生きていきたい。
どんなに苦しくとも・・
そして美しく死にたい。最期の瞬間まで自宅療養なんてしてたまるか。
自宅療養中に死亡・・良く聞く報道だ。
自宅療養なんてするから生きる力が弱くなり死んじまうじゃないのか。
僕はどうせ死ぬのなら、最後まで志をめざし歩き続け、
歩き続けている途中でぶっ倒れて死にたい。
その方が人間として美しいと感じる。
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。