2012-04

人間について

再生可能エネルギー分野にまで経産省と東電の利権が・・・

今日は久しぶりに僕がNPOで携わっている再生可能エネルギー技術についての記事を書きます。現在、脱原発に向けて、様々な再生可能エネルギー利用技術が全国各地で開発の動きがあります。いわゆる太陽光発電や風力発電などです。しかし、大きな問題の一つとして出力電力が不安定であるということがあります。例えば太陽光なら夜は発電できず昼間しか発電不可能です。曇りの日と雨の日では発電量が全く変わってしまいます。風力発電についても同様に常に一定の適度な風が吹いているわけではありません。特に風力発電の場合、落雷などによる事故が多く発生しております。こういった不安定な電力を送電線に送電した場合どうなるか。送電線に逆潮流が起こり、電圧低下などの電力変動による瞬停など送電線への悪影響が懸念されます。これは資源エネルギー庁でも既に想定されておりこれがかなり大きな悪影響を与え、大きな電力損失になるそうで損失想定は10ギガワットだそうです。世間では太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーによる発電システムは注目されていますが、この問題については専門家の間でも意外と知られていません。しかし日の電力会社はこの盲点を突き、再...
人間について

あの世や神や霊や魂なんて存在しない方が良い、死後は無のほうが良い

最近、神?や守護霊?が・云々というコメントがときどきあるので、僕があの世や神や霊や魂なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと信じている考えていること、またそう考えるようになった理由をもう一度書きます。僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ・・・1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じ...
人間について

常に死を意識して生きるということ

人は必ず死にます。こんな事を言ったら「ポジティブ」ではないかもしれないけれど、少なくとも僕は常に心のどこかで常に死を意識しています。今日明日に死ぬとは言わないまでも、再出血で死を迎えるのは明日なのか1か月後なのかこの3年間自分の身体に裏切られ続けてきた経験上、自分の身体を信じていないところがあります。増して僕の基礎疾患のもやもや病による脳出血を起こした場合、再出血率は45歳~55歳までの間が最も高効率であり、61%もあると知ればなおさらのことです。これは諦めではなく、この現実に怯えているわけでもありません。むしろ自分と真正面から向き合うことになっています。人が死を意識するとこれまでの人生で「どのように生きたのか」がすべてになってきます。結果ではなく、その過程の時間すべてなのです。「その時点」まで、、より有意義に、より楽しく、より充実した時間でありたいのです。だから僕は常にポジティブシンキングをしようと努力しているのかもしれません。ポジティブシンキングが良い結果を生むから無理に前向きになるのではなく、今この瞬間の、そして「その時」までの生きている時間を大切にしようとすると自然とポジティブ...
人間について

ダメなときほど理由がたくさんある

本当に辛いときに人からアドバイスを受けても、、「でも」「だって・・」「そうは言っても・・」自分のことを大切に考えてくれている人からアドバイスをもらっても否定的なことしか返せない。「それは・・・・だからダメ」といったような「できない理由」のオンパレードになってしまいます。僕も障害を負った当初は(今でもときどきそうかもしれないけど)そうでした。何を言われても「そんなこと言ったって・・」「僕の気持ちが本当にわかるわけがない。だから簡単に言うんだ。そんな簡単にできるか」などと思っていた。だから助言を無駄にしていたと思う。何を言われてもできないと・・でもあるとき僕は僕自身に「じゃあお前はこの先の人生を完全に諦めるのか?!」と自分で自分に怒ったことがある。このまま「できないこと」を何か(人とか世の中とか病気)のせいにしていて何か解決できるのかこのままでいいのか!・・とそう!・・このままなんかで良いわけがないのです。人間ダメなときほど出来ない理由がたくさんあるものなのです。そう考え、>出来ない理由を言うことも考える事も止めた。だっていくら誰か(人とか世の中とか病気)のせいにしても何も変わらないし何も...
人間の生き方

エンドレスの苦しみなんて存在しない

僕もそうだけど人はつらいときその状態がいつまでも続くと考えがちだ。たとえその時点で解決法がなくても、心さえ止めなければ何かが変わると思う。倒産、破産、解雇、退学・・・こういったわかりやすい現象には多くの人々から助言をもらうことができるでしょう。でも障害者になるとか、人生をかけて得てきたものをはく奪される、また事故によって人を傷つけてしまうなどなかなか簡単には解決のつかない辛さもあります。簡単に「生きてて良かったね」とか「生きているだけで丸儲け」などと言われても「うん、そうだね」とは思えないものです。そんなとき僕もそうだったけど人はそのつらい状態がいつまでも続いていくと考えがちになります。でもそは違うと思う。解決法がないからそのまま何も変わらないというのは違うと思う。僕は障害者手帳をもらったときの病院の診断結果に「左手廃用・全廃」とか「症状固定」と書かれていました。このとき、僕はいろんな人に聞きました。実は僕は脳出血で倒れは急性期病院に運ばれ入院していた初期には1か月もすれば元気に退院できると思っていました。いやリハビリテーション専門病院に移送されたときでさえも、6か月は長いけど6か月も...
人間の生き方

結果を恐れず、結果に捉われず・・

人間、結果を気にすると、結果が思ったようにいかないのではないかと感じると焦りが出るものだ。確かに良い結果を出すに越したことはない。でも僕のように後遺症という結果がいつ出るかわからない、もしかしたら一生結果は出ないかも知れないリハビリというものに取リ組むためには結果に捉われてはいけない。結果捉われると焦りにつながる。いつまでも結果が出ないとそれは諦めにつながる。「諦め」・・それは絶対にいけない。なぜなら「諦め」たらそこで本当に終りだから・・そのために結果に捉われず、今やるべきことを淡々と、粛々とたひたすらにやり、努力するしかない。結果は神のみぞ知る。。最大限努力できたことに満足しよう。障害者であるにも関わらず、健常者並みの結果を出そうとするから苦しむのだ。でも努力なら健常者以上にできるじゃないか。そして、その努力ができたことに満足しよう。結果に捉われず、諦めず・・最後まで努力できたことに。。それでいいじゃないか。たとえ思うような結果が出なくても・・それこそが人生の成功じゃないだろうか。
独り言

希望と絶望の狭間で生きる

僕は自分の障害者手帳を見る度に絶望的な気持ちになる。障害等級:2級障害名:左上肢 全廃 廃用    左下肢 著しい障害症状固定「全廃」・・使いものにならない事・・機械ならスクラップ行きだ「症状固定」・・つまり一生治らないとうことだ。僕は元々左利きだった。中学高校と水泳もやっていたしそれなりに自慢の腕と脚だった。毎日2万メートルの練習で必死の思いで鍛えた腕と脚・・それが一瞬にして廃用??全廃・・悲しすぎる。。「喪失」の悲しみが襲う。。そして絶望的な気持ちになってしまう。それに僕は自分の会社までも失った・・こんなことが頭によぎると絶望感しか生まれてこない。この絶望感から逃れたいからこそ、僕は新たな希望を求める新たな希望を求めることでしかこの気持ちを癒すことはできないから・・だからできる限り大きな希望・野望・志といったものを求めてしまうのだろう。きっとこうやってこれからも心の中は絶望感と希望の狭間で揺れながら生きていくのだろう。
人間について

許すということ・・それは「学習」することだ

怒り・憎しみ・悲しみ・嫌悪といった相手もしくは自分の状況に対するネガティブな気持ち僕の場合、自分を襲った病に対する悲しみや何とも言えない怒りが心の奥底にある。同時に自分病気を理解してくれない周囲への怒りなどが湧くことがあるこういった気持ちは決して良いものではない。こういったネガティブな気持ちにならないためにはどうすれば良いのかずっと考えてきた。自分なりに出した結論、それは「学習が足りない」ということである。人間というものに対する学習相手というものに対する学習(認識とでもいうのでしょうか)状況に対する学習例えば人間というものは誰しも病に襲われるのであるという学習である。あの釈迦が悟ろうとしたようにどんな人間も病・老・死から逃れることはできないという学習と深い認識であるそのことをしっかり学習(認識)することにより自分を襲った脳出血も人間にとってごく当たり前の事だということに気付く。人間、誰しもいずれは病の床に臥せ死を迎えるのだそのことを深く学習し認識するのだ。そのことによって冷静に受け止めることができる。これが「許す」ということなのだろう。相手の無礼に対する怒りにしてもそうだ。殺人・盗難・...
人間について

障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。

最近思う・・僕は障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。いや「空」にほんの少し近づけたのかも知れない。倒れる前の健常者の頃の僕は小さな会社のくせして、少し驕っていたかもしれない。経営者気取りで・・自分は何か大きな経済的成功でもできると錯覚していたのかも知れない。それは「欲望」によるものだったような気がする銀行から身の丈に合わないかなりの借り入れをして、目の前にかなりの会社の預金があることをいいことに生活も放漫になっていた気がするそんなお金、自分の実力でも何でもなくただの借金に過ぎない事に気付かずに・・でもそれが今、会社もなくなり、お金もなくなり、身体の機能まで無くなってしまった。あるのはこの何もできない障害を負った身体だけ。。今の自分は本当に智力も体力も何もない。そうなってはじめて他人の力を他人の智力や体力を借りなければならないことに本能的に気付いたような気がするそのためには自分の欲望を前面に出すわけにはいかない事にも気付いたような気がするそして何もできなくなった今、初めて自分の欲望が「人の役に立つ人間でありたい」という気持ちに変化したと感じる。この障害を負った何もできな...
独り言

急に全てが動き始めた、、

ここにきていろんな事が急速に動き始めた。ギニアへの浄水化設備導入障害者で運営する会社の立ち上げ某市への脱原発スマートシティ構築プロジェクト密かに進めていた健康食品の販売プロジェクトどれも気味が悪いくら今のところ順調だ。おまけに僕の障害を3年で回復させてみせるという理学療法士まで現れた。気味が悪いiPhoneからの投稿