人間について

償うということ

3年前、僕は脳出血で会社を破産させ、自己破産もして免責を受けたでも僕は免責を受けたからといって債権者に対して償ったとは思っていない面積とは単に法律的に返済を免除されただけなのだ僕はそう思っていただから僕は仕入れ先さんの負債だけは免責を受けた後に返済した確かに苦しかった自己破産をするということは現金預金を99万円未満にしなければならない。もちろん車などは資産とみなされるので売却した本当に現金預金を99万円未満にされてしまうのだ免責を受けたとき、確か現金預金は98万程度だったと思うでも仕入れ先さんの負債額は6十数万円だったと思うでもたかだか98万の中から僕は返済した。なぜなら金融機関(銀行もサラ金業者も)の貸金は商売だだから必ずリスクヘッジしている銀行なら信用保証協会を保証人にしているから貸し倒れしても保証協会からお金は戻ってくる仕入れ先さんは違う物品商売上の信頼関係だ仕入れ先さんは僕の会社を信頼して商品を出してくれたのだ。それを裏切るわけにはいかないそう思っただから返した僕の良心が咎めるから・・でも僕のある知り合いは違ったその知り合いも自己破産したサラ金からだけで2千数百万円も借りていて...
人間について

痛いけど苦しいけど

痛いけど・・苦しいけど・・痛みを堪えて、働かなきゃならんだって僕は一家の大黒柱・・障害者なんて言い訳は誰も聞いちゃくれないそれに僕には志がある僕に集まってきた再生可能エネルギー技術に関する情報を生かし、少しでも普及に役立つことそして、障害者でも役に立つ人間でいられることを証明することだから、そのためにも働かなきゃならん働かなきゃ何の活動できない 資金もない家族を食わせることさえできなくなる今この瞬間も左手に杭でも打ち込まれている様な激痛が走っている・・でも堪えて、堪えて・・自分の心の中に創った志を想うようにする・・そうすると不思議と堪えることができるから
人間について

幸せだと気付かなかったこと

手が動く足で歩ける目が見える耳が聞こえるそして健康である健常者の頃、すべて当たり前のことだと思っていたとんでもない勘違いだった今僕は左手は「全廃」両手作業は一切できない(左手が廃用になって初めて気が付いた手作業99%が両手作業だったって事を)お茶碗を持って味噌汁ひとつ飲めない左足も満足に動かないから杖でせいぜい数十メートルしか歩けない盲人用のタイルの突起でさえバランスを崩す有様だ80歳くらいの老婆にさえ追い越される 惨めな気持ちになる「当たり前だったこと」にもっと感謝すれば良かったと思うでも・・ でも・・ でも・・今でも目は見える(ちょっと老眼気味だけど)耳は聞こえる右手は利き手ではなかったけど、この3年で2倍以上器用になった左手の代わりに口も使えるようになったそして何より健康である中枢性疼痛の痛みには苦しんでいるけれど内臓の病気は一切ないこの3年、風邪も引かなかった。もちろんインフルエンザにもかからなかった脳が損傷しただけで他の臓器はすべて健康である。そして何より仕事ができている!それだけで充分幸せではないか今でも充分感謝できるではないか
独り言

激痛

今日も朝から左半身激痛である正直つらいそれでも耐えて仕事に行かねばならぬ働かざる者食うべからず資本主義の鉄則である
人間について

滅私で疼痛を乗り切る

視床痛(別名:中枢性疼痛)が今日も酷かった・・死六時中続く左半身の痛みと痺れ・・「痛みの元」が存在しないのに脳が勝手に痛みを感じるしかもモルヒネなどの通常の痛み止めは一切無効・・この中枢性疼痛という後遺症で自殺する人がいることも理解できる。とにかく痛い、左半身全ての皮を一枚剥がされたような激痛・・手の抗に五寸釘を打ち付けられたよう痛み・・赤く焼けた鉄板を押しつけられたような灼熱痛・・現代医学ではまだ原因がほとんど分かっていない推測の域を出ない だから有効な治療法がないだから患者は耐えるしかない ただひたすら・・もう3年半も耐えた・・もういい加減にしてくれ僕はこの痛みに耐えるとき「滅私」とか「無私無欲」と唱えるなぜなら自我があると気が変になりそうになるから「心頭滅却すれば火もまた涼し」といわれるけれど確かにそう唱えていると不思議と耐えることができるこんなとき脳に心が宿っていると感じる脳=心=魂と確実に感じるだから滅私にトライすることで疼痛を乗り切るそれしか方法がないから・・身体が不自由なのは工夫で何とでもなるでも、この痛みだけはたまらん精神までおかしくなりそうだ。。自我がなければ、身体の...
人間について

人は心の世界に棲んでいる

人は心を傷つけられると死のうとするけど身体を傷付けられたときには生きようとするそんな意味でも人は心の世界に棲んでいると思う
人間について

武士道

武士は自ら道徳の規範を定め 自らそれを守って模範を示すことで民衆を導いていったのである。新渡戸稲造がその著書「武士道」で言うように武士道においては「恥」は死よりも悪いものとされる。「恥」とは卑怯なまねをしたり、自分の怠惰によって仕事に不都合を生じたり、不忠を働いたりすることだ。そんなところから「花は桜木、人は武士」 という言葉が産まれ、侍は 日本民族全体の「美しい理想」となった。「大和魂」は 武士道がもたらしたもの、そのものであった。 日本民族固有の美的感覚に訴えるものの代表に「桜」がある。桜は古来から日本人が好んで来た花であった。西洋人は バラの花を好むバラには桜が持つ純真さが欠けている。バラは、その美しさの下にトゲを隠し持つ 朽ち果てる時は、 生に執着するがごとく そのしかばねを 枝の上に残す日本人が愛するのは桜の花だ淡い色彩と ほのかな香りその美しさの下にはやいばも毒も隠していない散り際のいさぎよさ まさに死をものともしない自然のおもむくままに、散る準備ができている。 これこそ武士道の精神であると思うこれが本来の日本の姿であり、日本人の姿であると思うその淡い色合は 華美とは言えな...
人間について

自殺は自分を大切にしないことになるだろうか

自殺・・今の時代自殺=悪 生きる=善ということが常識となっているようだが本当にそうだろうか昔の人(特に武士は)生き恥をさらすくらいなら死を選ぶというように「死は生きるための選択肢の一つ」としてあった今の時代、死という選択肢を持つことができないことにより苦しんで生きる(生き地獄)を味わっている人は多いのではないかと思う死によって自分のプライドや誇りを守ることもできるのではないだろうか日本人の仏教の流れからくる武士道の精神それは、、、運命に身を任せるという平静なる感覚不可避に対する静かなる服従危険災禍に直面してのストイックな沈着そして生を賎しみ、死を親しむ心これらは決して自分を蔑ろにすことではなくむしろ自分自身の生きるための誇りやプライドを守ることになるのではないだろうか「誇りやプライドのために」生き、また「誇りやプライドのために」死を選択できるというようなこと人間にしかできないこと決して「悪」ではないと思うのだが・・なぜなら人間には心があり、その人間の心の重みは肉体よりもずっと重いと思うその心が死んだ状態で肉体だけが生きることに何の価値があるのか!と感じるから必ずしも肉体の死=悪ではない...
人間について

心の傷は時間が解決してくれるのではない「忘れる」以外に方法はない

人が受けた心の傷・・時が解決してくれるという人がいるがそれは違うと思う時が解決しくれるように思えるのは、「忘れる」ことができているからだ。心の傷を負うときとは・・・大切な人の死・・僕のように一生の障害を負ってしまうときそれ以外にも人から受けた侮辱。屈辱・・それは怒り・悲しみ・憎しみ等の心の傷として残るそんな心の傷が癒えるのはその出来事を「忘れることができたとき」以外にないと思う。どうしても忘れられないとき、時は解決してくれない。時は何の役にも立たない。じゃあ「忘れる」ためにはどうすればよいか思い出す「きっかけ」にできる限り遭遇したい事だと思う。長い間、その「きっかけ」に遭遇しなければ「忘れる」ことができ結果として「時」が解決してくれたように思えるのではないかところが日々その「きっかけ」と向き合わなけばならないような状況においては「忘れる」ことは不可能に近い。そうなると「時」は解決してくれない僕の場合、僕が過去に水泳ができていたという記憶が僕を苦しめる。水泳能力の「喪失」の苦しみだ過去に水泳ができていたという記憶を「忘れる」ということはほぼ不可能だでも僕がもし僕が過去に水泳ができていたと...
独り言

僕の苦の根源

僕の苦の根源・・以下は3年前まだ充分にPCも打てなかった状態でありながらも悔しさのあまり投稿した記事だ仮名は田中でも実名は岡下このときのトラウマはまだ僕の心から抜け切れていないたくさんの弁護士にも相談したそうしたら片方は嘘・偽りを言ってど金をださせようとした恐喝または詐欺罪もう片方は「悪意の遺棄」どちらも民事ではなく刑事告訴できるという確かに悔しいけどそんなことはしたくないこの複雑な気持ち、自分でもどうしてよいか未だにわかない未だに苦悶している・・このことを考えているときは誰も信じることができなくなってくるだから、何とか忘れようとして痛くても痺れても働いて、働いて、働いて また働いてそしてさらに再生可能エネルギー普及なんて夢を無理矢理見ようとしているのかもしれない大きな志を持つことで全て忘れたいだけかもしれない