独り言

25m泳いだ!???

今日、午前中市の福祉センターの(障害者用に開放している)プールに行ってみたやっぱり案の定泳げなかった(以前のようには・・)でも何とか25m足をつかずに辿りついた麻痺した左脚と左腕はダランと重く沈んでいく・・それを右手と右足だけで水を(かいて)必死で身体を浮き上げようとしながら横になった姿勢で・・息継ぎは思い切り右手で水をかいて顔全体を水面に上げ・・なんとも妙な泳ぎ方だったと思うもうほとんど意地であるもと水泳選手だった意地意地でも足はつかない!たかが25mで足なんかついてたまるか!と右手だけで必死で水をかいていた・・横泳ぎでもなくブレスト(平泳ぎ)でもない・・これでは泳いだとても言えない感じ・・それでも 25m・・足をつかずに辿りついた・・右手・右足だけで・・たいしたもんだ・・ 我ながら・・苦笑
独り言

役に立つ人間になりたい

僕の望みはひとつだけ、、何でもいいから人の役立つ人間でありたいもちろ半身麻痺という障害も回復できるに越した事はないけど、もう、4年も回復の兆しがないと理性では諦めちゃいけないと分かっているけど、心のどこかで(本能的に)もう回復はほぼ不可能だろうと感じているそれなら、いっそ、この障害の身体で役に立つ事ができないかを考えた方が早いそんな風に感じているだから、障害者でも健常者に負けない何かをできないかいつも考えている僕には右腕と右手の5本の健常な指があるじゃないか!また、僕には普通に働き、読み、書き、計算できる障害のない頭脳があるじゃないか!それだけあれば何かできるはず!痛みや不自由さに苦しむのは僕の心が弱いだけそんな事に囚われて、自我のために苦しんでいては何もできない健常者に戻りたいとか、悔しいとかいう自我を捨てれば、何かできるはず!健常者に負けない何かを、、だから僕は負けない初志貫徹だ!もうすぐ、低温度差発電の実証試験機製作に着手だ今流行りの太陽光発電や風力発電とは一線を隔す新型の発電装置だ!僕は障害者でもこの普及だけは何としても実現したいこれが僕の志初志貫徹だ!これで障害者でも役に立つ...
独り言

毎日、毎日、毎日、

毎日、毎日、毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日耐え続けて、もう、まもなく4年.なぜ、こんなに苦しまなきゃいけない?毎日、毎日毎日、毎日毎日、毎日半身が痛くて、痺れて不自由で毎日、 毎日毎日、毎日毎日、 毎日毎日、 毎日毎日、 毎日いろんな悔しい思いをしながら耐えなければならない?障害者の日々なんてこんなもんさ周囲の人は障害者はその障害に慣れていると勘違いしているかもしれないけど、この苦しみに慣れる、、?障害を受け入れる?どちらもあり得ない!毎日、ギリギリの線で耐え、踏み止まっているだけ、、分かってもらえないのは分かっているだから、ひとり耐え続けるそして負けない負けてたまるか!健常者なんかに!
独り言

元気そうだね

久しぶりに旧友に会った彼が最初に言った言葉思ったより元気そうだね!分かってもらえていないなと思った元気そうにしているだけなんだよ!身体はいつも疼くように痛いけど久しぶりに会った友人に痛そうになんかできるか!やっぱり分かってもらおうとするのが無理なのかな、、この痛みと不自由さの辛さは経験しないと分からない分かる訳がない僕だって健常者の頃は分からなかった仕方ないことだ元気そうにしているだけなんだよだから分かってもらう事は諦めようそして、この痛みと痺れと不自由さに耐えて、絶対に健常者なんか負けずに人の役に立つ人間になる必らず、、別に健常者に恨みがある訳ではないけれど、健常者に負けないと思う心が僕を支えるから、、iPhoneからの投稿
人間の生き方

生きる権利があるから、、、

僕はなぜ生きるのか?こんなに苦しい思いをしてまで、、毎日、不自由と闘いいたみや痺れと闘いそんなにしてまで、、健常者の頃のような散策したり、スポーツしたりというような楽しみはもう無い!なのになぜ生きるのか?たぶん生きる権利があるから生きる権利といえばダライ・ラマのようだけど生きるのは義務ではない義務だったらこんなに苦しい生き方なら放棄させてもらう生きる権利の中には人と一緒に笑う権利人と一緒に泣く権利人と一緒に喜びを分かち合う権利め含まれていると思うこれこそがいきている証だと思うし、その権利を行使したい生きている限り、、あと3ヶ月で障害者になって4年4年もこの不自由な身体とこの重く、痛く、苦しい身体と付き合っていると不思議と回復なんて考えなくなるものだ。それは本能的というか実感として回復は無理と感じるものだ理性では諦めちゃいけないと分かっていても、、、だから僕は今のこの身体でどう生きる事ができるのかを考えている健常者に負けない生き方をするために、、健常者と同様の生きる権利を行使するために、、この生きる権利を行使するためにも負けない負けてたまるかこの障害のくるしみに、、
人間について

負けてたまるか

負けてたまるか負けてたまるか負けてたまるかただそれだけ・・この身体で生き延びてやる健常者に負けてたまるかただそれだけ・・負けてたまるか・・この気持ちがなくなったら僕はもう終わり志も健常者に負けないくらい高い志に挑む・・だから負けてたまるか・・痛みにも・・不自由さにも・・
人間の生き方

粛々と・・

今の自分にできる精一杯の事をただ粛々とこなすだけだって身体機能的にも体力的にもやれることは限られているんだから・・この身体で大きな夢なんて持つことは難しいだから自分にできる精一杯の事をただ粛々としてきただけあとは人事を尽くして天命を待つ・・心構えかなやれることはやったもう動かないかと思っていたやっぱり僕ではダメかと思っていたでも・・動いていた・・これには驚いた・・とにかく僕の仕掛けた「種」によって人が大きく動いていた今後どう動くか僕にはわからないが・・・過剰な期待ははせずにただ運命に身を任せるのみやれるだけのことは粛々とやったのだから・・
人間の生き方

精一杯・・

僕は今、本当に精一杯生きていると思うこれまで生きてきた人生のなかでこれほど精一杯生きたことがあるだろうか左半身麻痺という身体・・左半身は鉛ででできているような重さ・・それはまるで鉛を縛りつけられた奴隷のようだそんな身体を毎日引きずって生きているただ「歩く」ということにこれほどまでに注意深く真剣に歩いたことがかつてあるだろうかちょっと気を緩めると転倒するから・・それに加え、左半身の痛みと痺れとは1日24時間闘っている本当に精一杯生きていると思うもう3年になるけれど・・我ながらよく頑張ってきたなと思う健常者の頃にこれほどまでに一瞬一瞬を精一杯生きていたならもう少しマシな人間になっていただろうに・・今から思うと健常者の頃はある意味、怠惰だったと感じるでも今、精一杯生きているだから何もできなくてこのまま最期を迎えても無念ではあるけれども、後悔はしないだろう人生において無念とは時の運でも「後悔」は努力の跡だと思うたとえ「成果」がでなくても精一杯生き抜くことさえできれば後悔はないと思う無念でも・・
人間について

前向きな心に根拠など必要ない

前向きな心に根拠など必要ないなぜなら根拠のある希望なんてこの世の中にほんとんどないのだから重要なのは根拠なき前向きな心その前向きな心から知恵が生まれるそしてその知恵から夢の実現が叶うのだと思うネガティブな心からは知恵は生まれない「やれる」と信じることが重要その気持ちから知恵が湧く「やれない」と思ったらそこで終わり永遠にやれない簡単に言うと諦めない心、誰が何と言おうと・・
人間の生き方

喪失することによってしか新しい自分は作れないのかも

僕は脳出血により左半身の「多くの」身体機能を失ったほよく僕に会う人は「左手足が不自由で大変だね」と言ってくれるそして最後に「辛いでしょうけどリハビリ頑張ってください」と必ず言ってくれるでも失った身体機能は何も手足だけではないほとんどの健常者の方は気がつかないだと思いますが左半身のいろんな部分がまだ麻痺しているのだ例えば腹斜筋と呼ばれる身体をまっすぐに支えるための筋肉これがまだ麻痺している身体をまっすぐに保つのが辛い他にも三角筋という腕を支える肩甲骨あ足り筋肉この筋肉が完全に回復していないめに重さ7キロ(体重の約1/10)腕は糸かワイヤーでぶら下がっているような状態なので腕がやたら重い。。感覚も失った(感覚を失った結果、疼痛という苦しみにあえいでいる)こんな風に様々な身体機能を失ったでも僕が失ったものはこういった身体機能だけではないこういった身体機能を失うことによってもっと大きなものを失ったそれはじぶんの全精力を傾け築き上げた小さかったけど自分の会社そして一生懸命働いてくれった従業員会社も破産したからだ(社長である僕が倒れたから仕方がない・・零細企業だったし・・)それに伴い僕個人も自己破...