人間について

言葉・・

他の人間にはお笑いぐさでも、僕にとっちゃ生き死ににかかわる問題かもしれない言葉だってあるんだよ
独り言

心の凹みは凹んだ原因を超える希望で穴埋めするしかない

先日言われた「障害者は気持ち悪い」という言葉に自分でも思わぬほど心が凹んでしまった。。でも!この凹んだ「くだらない:原因を超える希望が僕にはあるつい先日、以前僕の書いた最新薄膜太陽光発電パネル技術に関する記事を読んで頂いたある読者の方からその方の運営する倉庫の屋根にも付けたいというお問い合わせが来たそこでこの薄膜陽光発電パネル技術業者さんに繋いだところ詳細な倉庫の屋根の図面がほしいとの依頼があった。さっそくお問い合わせのあった方に倉庫の図面を送ってもらい、本日着いたので、PDFデータ化して薄膜陽光発電パネル技術業者さんにメールで送ったゆっくりではあるけれど、すこしずつ僕の希望になる物事が一歩ずつ進んでいるそんな仕事をしていると今、もう元気になっている。。心の凹みも埋められたような気がする。凹んだ心にはは凹んだ原因を超える希望が一番の特効薬かもしれない。そういえばアメリカのある脳学者がこんなことを言っていた「もしトラウマを治癒したいのなら、トラウマになった原因を追求しても症状の解決には繋がらない事が多い。なぜなら原因を追及するという行為は原因となった事象をさらに思い起こさせてしまうからだ...
独り言

曇天+いやなこと・・

よく考えてみると、どうしようもないことが起きたのではないしかしほんの小さなことでもよくないことが重なると気持ちのリセットがきかず、気持ちが折れやすくなる。自分で抑えきれるはずのことでも連続して起きてしまうと、自分を見失ってしまうものだと思う。今の僕が正にそれだ・・普通なら気持ちは簡単に立て直せるはずの事なのに立て直せない・・良い話もいろいろ来ているに・・この身体に響く曇天も僕を苦しめる・・明日~天気になあれ~!心もね
独り言

弱気、、いつのまに、、

いつのまに僕は障害者になってしまったんだろういつのまに僕の会社はなくなってしまったんだろういつのまに僕は自己破産してしまったんだろういつのまに僕は人から遠ざけられる人間になってしまったんだろうわかるんだ左手がダラりと下がった僕が近づくと皆、一瞬戸惑いの表情を見せるから、、いつのまに僕は障害者になってしまったんだろう何かヘマをしたのかな何か悪いことをしたのかないつのまにこんなに不自由で情けない身体になってしまったんだろう学生時代に鍛え、泳ぎの得意なあの身体はどこへいってしまったんだろう今じゃあ御茶碗すら持つ事ができないもうあの身体は戻って来ないのかな?いつのまにこんなに弱気になっているんだろういつのまに、、正直、いつのまに?って感じるそしてなぜ?って思っている
人間について

忍耐の徳・・

生きてゆくには辛抱づよい努力と忍耐が必要だしかもその道は険しく遠い・・思わぬ災厄や病苦にもみまわれるだろう許せぬ仕打ちにも会うこともあるだろうしかしその災厄や病苦や仕打ちに耐え抜いたあとに見える未来があなにかあるはずだそう思って何事にも耐え抜こう
人間について

人間って心の生き物だな・・

昨日「気持悪い」って言われてから若造ごときの言動に気にしていないつもりだった・・でも、どうやら僕の心のどこかに傷を負っているようで今朝どうしても起き上がる気力が出ず、頭の中にときおり「気持悪い人間・・・」という言葉がよぎるその言葉がよぎるだけで、ただでさえ麻痺して重い身体に力が入らなくなり、今頃まで寝込んでいた・・たぶんこの麻痺した足では、走り寄って言い返すことさえできなかった自分がどこかで情けないのかも知れないもう14時だ・・あかん あかんこんな自分を客観的に観察するにつけ人間って心の生き物だな・・とつくづく思う人間って身体に傷を負っても心にさえ傷がなくしっかりしていれば気力で身体を動かせるけど身体に何も傷なくても心フが弱くなると身体が動かない・・「気持悪い」・・たったこれだけの言葉なのに自分が傷付いている。。自分が弱いなって思う不思議なものだ・・人間ってやっぱり心が全てって感じがする
独り言

片麻痺の障害者って気持ち悪いん?

今日コンビニの前で、杖も使わずに無理してヨタヨタ歩いていたら、車から若造に「モタモタすんな!障害者なんか気持ち悪いんじゃ!」って言われてしもた、たかが若造の言葉やから気にせえへんつもりでも「気持ち悪い」はさすがにちょっと凹むなぁ・・片麻痺の歩き方って、そんな風に見えんるんかな・・・(._.)自分がこんな風に言われて、昨今問題になっている学校でのイジメの問題で生徒が自殺してしまう気持ちがよくわかるような気がした。最近のイジメって皆で一人の生徒に対して「キモい」とか「ウザい」とかって言ってイジメめるらしいけど今日、自分が言われて気が付いたけど「キモい」とか「ウザい」とかって言われても自分ではどうしようもないんだよね「能力」の問題を言われているんじゃないから・・・例えば、「走るのが遅い」とか「勉強ができない(頭が悪い)」とかって言われるのなら、これは能力の問題を言われているんだから奮起して、トレーニングなり、勉強なり頑張れば見返してやれるでも「キモい」とか「ウザい」とかって人格そのものを否定してしまう言葉だと思う。究極的には存在そのものを否定されている事になるんだと思う。思春期の少年少女には...
人間について

人の「本性」なんて・・

僕の家内はよく、人間はイザというとき(危機のとき)に人間はその本性が出る・・と言っているけど・・・今やっているNHKの朝ドラでも主人公の恋人?の愛(いとし)君は人の顔を見るとその本性が見えるよいう設定だけど僕はそもそも人には絶対的な「本性」などというものは無いのではないかと思っている西洋では人間は性悪説だと聞くキリスト教がそうらしいだから生まれてきた人間の子供は元々「悪」だから洗礼を受けるという(あまりキリスト教に詳しくないのでよく分からないけれど・・)僕が思うに・・人間は本当に苦しいとき「本性」なんかが出るのではなく心の葛藤の中に居るのだと思う心の葛藤の結果、その人にとっての「ギリギリの選択」をするだけではないだろうかそれが結果として、裏切り行為になってしまったり、人の心を傷つける暴言になったり、果ては殺人に至ったりするのではないだろうか最悪の行動である殺人にしてもその前には葛藤の連続でありその人の育ってきた経緯や経験などが相まって「その人にとって」それ以上の選択の余地がなかっただけではないだろうか僕だって半身麻痺の障害を負ってからこの4年間、何度死のうと思ったか数知れないでも今は生...
人間の生き方

より充実し人間味のある人生

障害者になる前の僕は正直言って薄っぺらな人間だったと思う経済的成功求めつつ、早期に引退して、将来は海外のリゾートなんかで、のんびりと過ごす、、などという生き方ができれば充実した人生になるのではないかなどとと考えていたように思うそれに比べて今は、そんな理想とは全く正反対の生活をしている。体の不自由な毎日が苦しい、その上経済的にもギリギリの状態であるその代わり毎日が、一分一秒が真剣である。例えば歩くということの中でさえ左足を一歩踏み出す瞬間は真剣であるちょっとでも気を緩めると転倒して大怪我をする可能性があるから・・僕のそれ(45歳で倒れるまで)までの人生でこれほどまでに瞬間、瞬間を真剣に生きたことがあるだろうかそしてこの4年間ほど「人間が生きる」ということについて深く考えた事があるだろうか障害を負ったおかげで、僕は経済的成功によりのんびりと優雅な人生を送る人よりずっとずっと人間らしく、一分の隙もないほど毎日が充実していると思うそしてより地に足の着いた暮らしをしていると思う。どちらが幸せなのかは価値観によっても変わるだろうけど、少なくとも僕は今、一瞬、一瞬を「後悔のない生き方」をしていると自...
人間について

神想定謙虚論・・

僕は脳卒中になって以降、脳のことをいろいろ勉強した見た結果神や霊(ご先祖の霊)とかの存在を一切信じなくなった・なぜなら(自分の実体験からも)死は「無」であると確信しているからだそして神とか霊をが見えるというのは「脳の側頭葉のイタズラ(幻想或いは幻覚)」に過ぎない事も分かってきた。たぶん死を、あるいは死=無に帰するということが受け入れられない人間が作ったファンタジーに過ぎないでも反面僕は神や霊(ご先祖の霊)を信じるのは悪いことだとは思っていない。(逆に良い事ではないかと思っている・・)実際にほとんどの人間は信じている。だから寺があり、神社がある。 そして墓があるなぜ神や霊(ご先祖の霊)を信じるのはよいのかというと「神想定謙虚論」という言葉に出会ったときからだったそれまで存在もしない神や霊(ご先祖の霊)とかを信じるのは馬鹿らしいと思っていたでも「神想定謙虚論」というのは 神とかの存在を信じることは自分を見ている「神」の目という第三者の目によって常に行動を見られていることを意識することになる。だから謙虚になるというらしいなるほど・・と納得しただから僕は神や霊(ご先祖の霊)とかの存在は信じない...