2012-12

人間の生き方

自己犠牲と絆と自分

かつて、三島由紀夫は、男の美学は「自己犠牲」であると言ったという・・自己犠牲、、素晴らしい響きの言葉であると思うこの言葉に僕自身が引っかかるものがある人は自己犠牲の精神を見せ付けられると、その人に着いて行こうと感じるものだと思う。その人との間に「絆」も生まれると思う自己犠牲はなにも、男だけの美学ではないと思う。女性だって、子供に対しては自己犠牲の精神を発揮する事があるではないか。そんな意味では自己犠牲とは人間としての生き方の美学ではないだろうか。特に、男たるものいつかは一家の主となる。家族に対して自己犠牲の精神を覚悟をしなければならないときではないだろうか。自己犠牲の姿勢の見える父親であれば、自己犠牲の姿勢の見える夫であれば、妻も子供も着いて行こうという気持ちになるであろう。企業経営者にしても同じだと思う。僕はこれまで自己犠牲の姿勢のある社長と全く逆の自己防衛がありありと見える社長の下で仕事をした経験がある。自己犠牲の姿勢のあった社長は、経営が苦しく、社員に給与が払うのが難しいとき、自らは給与を取らず、しかも、闇金にお金を借りてまで給与を払ってくれた。当時、その社長の髪の毛が、みるみる...
人間の生き方

無限の道・・

僕は半身不随の障害者になったと同時に自分の会社の破産と自己破産をした・・そのとき僕はどう考えても僕の人生は終りだと思った。なぜなら、生きる道が全く見えなかったからだもうサラリーマンではなかったから・・・障害者としてできる範囲での「職場復帰」という道はなかったこともある経営者だったから、当然、労災も出ないどうしても自分で稼ぐしかなかった・・でも当時の僕はどう考えても、この半身麻痺の身体で稼げるとは到底思えなかった身体さえ動けば、工事現場の日雇い労働でもトトラック運転手で何でもやってやるのに・・でもそれもできない・・もう道が見えなかった・・どこにも生きる道が見えなかった。。でも今、こうしてなんとか生きている。不思議なものだ・・今から思うと「(生きる)道がない」と思っていたのは自分一人の経験と知識という狭い価値観と経験値の中でしか考えることができなかったからだと思う。脳には約1000億の脳細胞があるというその脳細胞のシナプスと各細が相互に影響しあっていろんな機能(思考も含めて)を作っているというその組み合わせの数は論理的には全宇宙の素粒子の数よりも多くなると聞いたことがあるつまり、「無限に近...
人間について

自分を信じる事とは・・希望を持つということ

人の脳は、信じていることを実現させるように働くことが分かってきているそうです。そもそも「自分を信じる」とはどういうことかというと、「口に出して言うこと」こそが「自分を信じること」になるそうです。人の言語機能の発達から考えると、言葉が生まれたのが先であり、その言葉によって「意識」が生まれたと言われています。言語とは本来はコミュニケーションのために生まれた機能ですでも、言語はそれを口にすることで、その言葉の意味が脳に記憶されるのです。そして、記憶と照らし合わせながら、言葉を繰り返していくうちに、言語の組み合わせができていき、それが意識の元になっていくそうです。ですから、言葉に出している内容は、その人が考えていることに他なりません。意識は言葉によってつくられ、言葉に出したことでさらに意識が確固たるものになっていくそうなのです。例えば、優しい言葉を使っているときは、人は誰しも優しい表情になります。それは、優しい言葉によって、意識が優しいものになったからです。そして重要なことは、そうした言葉が口ぐせという習慣になって5年、10年と定着していくと意識もまた定着していくということなのです。優しい言葉...
人間の生き方

人の世の中、、って

世の中には、賢い人間と賢くない人間がいる。器用な人間も不器用な人間もいる。でも賢い人間と器用な人間だけでも世の中はうまくいかないと思う。ビジネスにおける競争だって、損をする人がいるからこそ、得をする人がいるもんだ。上に立つ人間も、下にくる人間がいるからこそ上に立っていられるそんな人の世をうまくまとめるには、自分の意地を押し通したいときにも、たまには、妥協だって必要だと思う。世の中なんてそんな相対的なものじゃあないだろうかでも、得する人、賢い人、上に立つ人は、そういう自分とは相対的な人間がいる事によって自分が成り立っている事を忘れちゃいけないと思う。いつ、自分がその立場になるかなんて誰にも分からないんだし、病気だって同じだと思う。自分がいつ病の床に伏してしまうかなんて誰にもわからない、でも、自分がそうなったとき初めて「本当のこと」が見えてくるものだと思う。だからって、卑屈になっちゃいけない。八方塞がりでどうしようもないと思える状況になっても希望だけは捨てちゃいけないと思う。どんな状況でも希望だけは持つ事ができる・・・それが人間じゃないかな、、こんな一見不公平に見えるこんな世の中でも希望さ...
人間について

洞察力の向上?・・・

脳卒中になってからというもの・・人の心の動きにとても敏感になったと感じているそれは「人の心が読める」というと語弊があるかもしれないけれど・・人の発言がや表情からその人の「本心」のようなものが透けてみえるのだ。それは霊感とういったような存在もしないくだらい能力ではなく、洞察力とでも言えば良いようなものだと思う。よく自閉症(特にアスペルガー症候群)の子供は人の心に対する洞察力が常人よりも優れていると聞く、「何でお見通し」だという。それゆえコミュニケーションがうまくできないのだと・・それは脳の一部だけが特に優れた能力を発揮していることに他ならないと思う僕の場合、脳の一部を損傷した結果、別の脳の箇所が発達したのかもしれないし、障害者という劣等感から人の目を気にするようになっただけかもしれない。どちらかは定かではないが、いずれにしても、あ人言動と、その人の言動前後の行動が僕の中で妙に一致しないというか不自然・・と感じることがとても増えてきた。。その人の「欲」が見えてきたり・・である妙に敏感になったと感じる今日この頃なのだ。そしてそれは人間としての基本的な機能を失ったことによる自己防衛本能のような...
人間の生き方

記憶と想像力と思考は自由だ

僕は身体は不自由だけれども記憶と想像力と思考力は自由だ!少なくとも夢の中では僕は健常者であり、サッカーもできるし、好きな水泳もできる人は皆、過去を振り向くなというけれど、僕にとって過去の記憶はかけがえない宝ものであるその過去があるからこそ今の自分があるのだ!自分が自分である所以だこのかけがえない宝である記憶は誰にも消す事はできないこのかけがえない記憶をたどる事や想像力と思考が自由である限り、身体は不自由でも、僕は精神的には自由なのだ!iPhoneからの投稿
人間について

人間の欲って・・

あと5日でこの僕がもう齢50歳だ・・50年も生きていると・・まだまだひよっ子だけど人間についていろんな事を思う・・そんな中・・つくづく悲しいと思うのは・・人の欲の悲しさだ人間、欲に負けるというのはつくづく悲しいもんだと思う日頃どんなに偉そうな口を叩いていても・・イザというとき自らの欲に勝てず、「義」を曲げてしまう破産したときには、あれほどまでに泣き、個人の債権者(つまり金貸しを業としていない善意の貸し主)だけには一生かかってでも返すと誓っていた人がイザ免責を受けてみると目の前の金が惜しくなり、結局、今は何もしていないとか・・今から思うとそんな人間をたくさん見てきた。本人だって当初はそんなつもりはなかっただろうけどイザ事が起こると欲に負けてしまう人間の欲って本当に悲しいもんだね。
人間について

堪忍と寛容によって支えられているもの(自分)

意地や面目を立て、プライドを通す事とは勇ましいと思う壮烈にもみえるだろうでも、人間にとって本当に大切なことは古い考え方と言われるかもしれないけれど・・「堪忍や辛抱」の中にあるのではないかと僕は最近思う国家や会社、或いは家族でもそうだけどそれらを帆本当に支えているのはこういう堪忍や辛抱ではないだろうか人の眼につかず名も現れないところで働いているそういう人の力なのではないだろうかいわゆる「縁の下の力持ち」というやつだ。今僕が生活し、生きていられるのもそういう堪忍や辛抱の上で成り立っていると僕は思っているその上で生きていられることを決して忘れてはならない。自分の力だけで生きていられるなんて思うのは思い上がりであり、驕りでしかないそして一言の文句も言わず、支えてくれているような人々に対する感謝を忘れてはならないと思うそれを忘れると必ず将来痛いしっぺ返しをくらう事になるだろうから・・
人間について

己を捨てたい

思い入れ・・こだわり・・つまり自我・・武士道的に言うといわゆる「おのれ」というやつだと思う「己」「自我」・・これが人間を苦しめる大きな原因だと僕は確信している。人それぞれ人間は大なり小なり「思い入れ」や「こだわり」やプライドを持っていると思う自尊心とでも言うのでしょうか自分が自分でああるために必要なモノでもそのプライドがあるからこそ頑張れることもあるのですがその反対にそのプライドを打ち砕かれたとき人は酷く苦しむ・・立もう二度と立ち上がれないと思うほどにうちひしがれるでもそのプライド(「思い入れ」や「こだわり)をつまり「己」を「本当に」捨てることができたとき人は本当に強くなれ、希望を持つことができると思う。僕自身がそうだったように思う。健常斜だったころ僕には無意識に「男とはこうあるべき」とか「夫とはこうあるべき」そして「父親とはこうあるべき」といったような思い込みもっと基本的な・・最低限人間とはこうあるべきだという(「思い入れ」や「こだわり)つまり己と自我を自分がしっかり持っていた事に気が付いたそれを自覚したのは脳出血で半身不随になったときだ。なぜなら半身不随という間として最低限必要な身...
人間の生き方

8歳の戦友の優しさと勇気

僕には勇気ある小さな戦友がいたこれまで誰にも話さなかったけれど・・僕が再出血予防のための脳手術のため入院していたときだった同じ病棟にいたある8歳の男の子僕は彼を「戦友」であり、勇気あるライバルだと思っている同じ病気だったかどうかは定かではないけれど、彼も手術を控え入院待機していたその8歳の戦友は、普段甘ったれた「ママ!」が口癖の男の子でしたいつもママの背中でしかものが言えないような子供だったのに長くつらい入院期聞がその子を成長させていたのか、その子の手術が決まった日、、手術台に向かう廊下から先は家族の同伴は認められていないことを知っていたかどうかは定かでないけれど、、その男の子はママに向かって、「この先はボク一人で行く。ママ、心配しなくてもいいからね」と言って微笑んだと聞きました。この話を聞いたとき、同士である僕は思わず涙しました。一言でも褒めてあげたい。同士たちは皆、そう考えていたはずです。残念ながらこの小さな「戦友」は、術後に意識を取り戻すことなく亡くなりました。でも、彼の勇気ある優しさは今でも私の心の中で生きています