人間について

人はあらゆる煩悩に苦しむ

煩悩とは、、強欲や快楽欲などのようなものだけではない永遠に続く平穏を願う気持ち或いはいつまでも健康でいたいという気持ちまた或いは、仕事上なら多分これで上手くいくだろうという期待家庭なら決して裕福で無くても平凡な家庭を願う気持ちそんな気持ちさえも煩悩であるそんな煩悩が人間を苦しめるなぜなら、永遠の健康も永遠の平穏もありえないし、正しい事をしたからその通りにうまくいくとは限らないから正しい事なんて、所詮人間にとって正しい事に過ぎないし、永遠の平穏や健康も、この世の中、諸行無常である限りあり得ない人はいつかは病気になり、死を迎えるこんな煩悩(心)を持っている限り人は永遠に苦しみ・苦悩から逃れる事はできない。という事なのだろうか、、
人間の生き方

自分を救うのは自分以外にいない

ブッダの教え(原始仏教)「ダンマパダ」を読んだそこには苦悩する自分を救えるの神でも仏でもない苦しい自分を救う事が出来るのは自分以外にいない自らの心の持ち方である自分を変えることが唯一の救われる道であるこれはあの仏教の創始者ブッダ(お釈迦様)の言葉だブッダの教え「ダンマパダ」はには・・ブッダはまた輪廻なども信じていなかった地面の下の地獄があるとか空の上に天界があるとかそういうことも一切ないそして、どこかに心優しい救済者(よく言う神や仏や先祖の霊)がいて、苦しみを救済してくれることなどないこの世は因果律によって粛々と動いているだけで不可思議な力を持った救済者など、どこにもいない唯一自らの苦悩を救えるのは自分の心の修練以外にないということ見抜いていたという。。天国や地獄や死後は仏になる(成仏)というような考え方はその後、ブッダの教えを引き継いだ僧侶らがどうしてもブッダのように悟りを開けないことから「大乗仏教」が栄えた頃に都合の良いように作った作りものだそうだたぶん誰か他者(神や仏や先祖の霊)が救済してくれると言った方が布教し易かったのだろう・・これって最近の新興宗教と同じじゃないか・・まさし...
人間について

感覚障害という世を感じれない辛い障害

僕の脳出血による障害は左半身の運動麻痺と感覚障害の二つである僕は身体が不自由であるという運動麻痺なんかより、感覚障害の方がはるかに辛いのだ感覚障害なんて、目には全く見えないから未経験の人には全く理解不能だろう感覚障害とは、僕の場合、いわゆる五感のうち、左半身の皮膚感覚や左半身の動きが認識できないというような障害である五感といえば、古来からの分類による5種類、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚と言われているしかし、人間の感覚はもっとた多様なものを認識する感覚がある五感のうちの触覚(つまり肌で感じる感覚)だけでも、触覚(接触感)、痛覚、温度覚(冷感 温感)、圧力感 深部感覚(関節覚ともいう関節の動きや位置や角度感) それに位置感覚と距離感(肌と外部のものとの距離感)である人間には少なくともこえれだけの感覚があり、これらの感覚を状況に応じて駆使して自分の置かれている世の中を認識しているのだ。例えば手で熱いものに触ると、すぐに自動的に温度覚が働き、熱いと感じ、脳は火傷の危険えお予知し手をすぐに離せ!という運動命令して、熱いものから手を離させるのだでもこのとき決して痛覚が働くことはない。「痛み...
人間について

器用貧乏、隣のアホに使われる、、か 皮肉だな

器用貧乏、隣のアホに使われる・・・僕は関西人だからこう(アホ)になるけど関東なら器用貧乏、隣の馬鹿に使われる・・なのかな・・いずれにしてもこの「器用貧乏、隣のアホに使われる」という言葉を、僕は耳にたこができるくらいから聞かされたものだなぜかというと父は日頃から「自分より有能な人間を動かせるようにならなければ大成はしない」という事を僕にっ伝えたいという意図で言っていた簡単な話、自分のができない事をそれができる有能な人を(悪く言うと)おだて倒して、その気にさせ、自分の代わりにやらせてしまえということだと・・父は大阪で丁稚奉公してから、自ら縫製業を営んでいたそんな父は中卒であるがゆえに、自分の知識の無さにかなりのコンプレックスを持っていたと思う。それゆえ、自分より有能な人間を追い越せないそんな歯がゆさから本能的に自分ができないなら、自分より有能な人間にやらせる(やってもらうしかない)という術を父なりに考えていたのだろうだから、(経営者或いは管理者は)自分より有能な人間を動かせるようにならなければ、その会社や組織は、その人の器以上には大きくはなれないそのためには自分より有能な人間をおだて倒して...
人間の生き方

これからが本当の人生の勝負

夢の中まで、自分が障害者になった、、心身ともにもう完全に障害者になったのであろうだからこそ、これからが障害者としての人生勝負だ!健常者になんか負けてたまるかべつに健常者が憎いわけじゃないけ、れど彼らは絶対に障害者を理解しないし、理解は不可能だ僕自身、健常者の頃を思うとそうだったから、それはそれでいい無理もない話だただ、そんな理解されない状況の中で生きていくためには、自分なりのやり方(障害者なりのやり方といったほうがよいだろう)生きていく!もう、周囲の健常者に惑わされたり、気をつかったり、あげく、自己嫌悪に陥ったりしない自分のやり方を貫くのだ!そして、障害者でも、身体の半分が使えなくても、健常者に負けない事を示したい。もういろんなモノを捨てたいや失った夢の中でさえも、失ってしまった身体機能、自尊心、自分が自分であるためのこだわりや思い入れ、これ以上失うモノはないだからもう何も怖いモノはないもしかしたら、少しだけ、釈迦の言う「空」という境地に近づけたかも知れないそうなればしめたものやるべき事を淡々と粛々と、他人にも、自分の「我」惑わされず、行動あるのみだiPhoneからの投稿
人間について

夢に初めて障害者の自分が出てきた・・

は半身麻痺の障害を負ってもう4年と3か月・・昨夜やっと夢の中に障害者となった自分が出てきた今まではずっと夢の中では健常者だったお茶碗も持てた走ることもできた山を登るともできた。でも昨夜、初めて、泳げなくなった自分がいた苦しんでいたスムーズの左手が水から上がらない水面が波だってしまうこんな泳ぎじゃなかったのに水泳部ではあれほど猛特訓したのに・・3年間も、猛特訓今じゃ暴力と言われるけれど水着一枚でコース台に立っている後ろから監督に竹刀で殴られながら・・県下一の厳しい練習だったそれほどまでにして会得した自由形だったのに今、手も上がらないどうしてなんだ!そんな風に叫んでいる夢だった。やっと心底、現実を受け止めたということか。。これまでは自分が障害者であることにそのこと自体に心のどこかで現実感がなかったと思う「そんなはずがない」そんな気持ちがどこかにあった・・・4年半も・・それをやっと受け止めたのかもしれない・・だちしたらこれからが本当の障害者としてのスタートなのかもしれんない。。そんな気がする
独り言

苛立ち・・

今日は異様なくらい苛立ち、屈辱感に打ちのめされた・・別に誰かに屈辱的な言葉を言われたわけじゃないかれど・・自分ではすぐできると思って請け負った作業が、存外片手ではどうにも進まない・・また「こんなことさえできなくなったのか!」と言う思いに捉われた・・自分で勝手に屈辱感を味わっているだけなんだけど悔しいんだだって手早く作業することや段取りが得意だったはずなのに・・これが・・できないんだ・・どうやっても・・手早くできない・・悔しい・・自分で自分を屈辱的にしてしまった・・僕は自我がまだまだ強いのだ・・これではこの先もまだまだ屈辱感を味わってしまうだろういけない・・早く自我を葬らなきゃ・・こんな苛立ちを毎日感じていたら。精神が持たない精神が病んでしまいそうだ・・それにしても辛い・・障害って
人間の生き方

全てを捨てる・・自分で自分を救うために

障害者になった事によるあらゆる苦悩をから逃れたい・・痛み、不自由、屈辱感、自己嫌悪、これらの苦悩や苦しみから逃れるためには・・やっぱり「我」を捨てなければならないとあらためて思う少なくとも中途障害を負うということはあらゆる場面で屈辱感に苛まれ、自尊心も大きく傷つけられるだから、そんな自尊心やプライドなどというものさえも捨ててしまわなければならないそんなものは捨てないと身体だけでなく、心までもが傷だらけになってしまい生きていけないから・・自分を苦しめる根源は「我」の存在であるとつくづく感じているだから、やっぱり「我」を限りなく捨て去る必要があると確信に近いものが僕にはある物理的な痛みさえも「我」を本当に無くすることができれば、痛みに苦しむことも無いのではないかと僕は思う心頭滅却)すれば火)も亦涼)しの状態に持っていかなければならない。じゃあ「我」を捨てるということはどういうことか・・自分の持っているモノを捨てることであるかもしれないそれは精神的なプライドやこだわり野自尊心も、そして物質的な所有物も含めて、全てを一旦捨て去らなければならないと思うなぜなら、自分の持つ所有物には自分の精神的な...
人間の生き方

安楽死

今日何気なくこんなニュース記事をネットで見つけた---------------------------------------------------------------------------ベルギーでは2002年に安楽死が合法化されたらしい、2011年には1133件の安楽死があった。そのうち86%が60歳以上で、72%ががんに冒されていたという。また、同国で安楽死を希望する患者は、成人で判断能力がある人物でなければならないほか、持続的で耐え難い精神的・肉体的苦痛を感じていなければならないなどと制限が設けられている。----------------------------------------------------------------------------このニュースを見て僕は妥当な法律だと感じた・・よく安死を求める人に対し、「死ぬ気になれば何でもl耐えられるじゃないか」とか「死ぬ気になれば何でもできるじゃないか」という人がいるでもこういう人は「本当の生きる苦しみ」というものを知らないだけの戯言だ「死ぬ」より苦しい「生きる」なんていくらでもある僕が苦しんでいる視床痛だっ...
独り言

不快の嵐と不快の津波、。

今日はなぜか、左半身不快の嵐のように不快である。。半身不快の塊のようである。天候の変化が原因か?痛いわけでもなく、痛いような、痺れるわけでもなく、痺れるような痒いわけでもなく、痒いような言葉にはとても現し切れない表せるならただ「不快」としか言いようがない。僕は重度の、感覚障害である痛覚、触覚、温感、冷感といったすべての感覚がめちゃくちゃになっている例えば、冷たいものが痛みとして感じる手を、触れられているのに、腰のあたりを触れられているようにも感じる指が手の平に触れているだけなのに指が手の平やな、突き刺されているような激痛を感じるもうめちゃくちゃである。これらの、めちゃくちゃな感覚が左半身中覆われるのであるそれはもう、言葉では言い現す事なんてできないただ、不快としか言いようがない。いや、苦痛である左半身全体か苦痛である強い弱いはあるけれど。少なくとも毎日この苦痛に見舞われている我ながら、自分よく耐えていると感心するだが今日は特に不快で、苦痛だ苦痛のあまりベッドの毛布を口に押し込み声をださないよう耐えている感覚障害、、感覚(いわゆる五感)とは人間にとってこの世の中を感知する機能であるその感...