人間について

先の見えない不安って・・

先の見えない不安って皆あるだろうけど・・・僕も脳出血で半身麻痺の障害者になってしまったときこれからどうなるだろうという不安でいっぱいだったでもよく考えて見えるとそれは本当は先が見えないことに不安だったのではないことに最近気が付いた先が見えないなんて障害者だから障害者になったから先が見えなくなったのではなくたとえ健常者であっても皆、この先何が起こるかわからない中で生きているじゃないか本当は先が見えないことに不安なのではなく先の見えない将来に何か起こったときに対処できる自信がないことに不安なのだそう僕もそれまでのように歩くことさえできなくなった自分にこれまでのように対処できる自信がないことに不安だったのだと思う実際この数か月、東京までこの身体で何十往復もしたし、会社が倒産寸前のとき、この身体で債権者会議にたった一人乗り込み、対応もでき、なんとかその場を乗り切った(そのあと結果はダメだったけど)この身体でそんな事までできた今は障害者になった当初のように対処できる自信がないということはほとんどなくなり逆にこの身体でも何だってできる自信ができているだから今はそれほど「先の見えない不安」は大きくな...
独り言

あの事業仕分けの結果責任は???

不思議に思うこと、、あの(悪名高い?:少なくとも僕は最悪だったと思う)民主党政権下での事業仕分けの結果責任は誰も負わないのだろうか?本来なら日本の重要な科学技術のひとつが新たに開発されるはずだった事業が、あの事業仕分けにより廃止された影響で、その技術の中枢を担っていた僕の知り合いのある会社が倒産に追い込まれた。僕はあの事業仕分けによってどれだけ多くの企業が倒産に追い込まれ、どれだけ多くの地方自治体が、地方経済の発展を阻害されたか分からないと思っているにも関わらず、「政権を離れたから」というだけで、誰も責任を取る様子はない少なくとも事業仕分けの結果評価くらいすべきではないかと僕は思っている政治家は本当にこれで良いのだろうか?企業ならたとえ社長を退任しても現役時代の行いの結果、大きな損失や社会的被害が出たなら、損害賠償請求されるのが当たり前だ。当時の民主党の仕分け人といわれた民主党議員はその結果評価と責任を明確にすべきではないのか?当時、官僚を追求しまくった議員達にはその事業仕分けの結果評価と同時に「なぜ、その事業が必要ないと考えたのか?」「廃止した根拠は?」「これでどうやって地方経済の活...
人間について

人間、走る必要なんてほとんどないのかも・・

脳出血で半身不随の障害者になってから、この6年よく考えたら、一度も走っていないのだ・・だって走れない身体だから・・当り前かそれにしても健常者の頃、僕はよく走っていたと思う元々体力には自信がある方だったし脚力もそこそこあった仕事にしてもフットワークが良かったと思う。そのせいか、よく走っていたと思うでも、この6年全く走っていない・・振り返っても走る必要もなかったしそもそも走れない身体になったから走れないことを前提に行動するしスケジュールも組む東京に出張など行くときには事前にほぼ全ての行程(歩く道や場所)をイメージトレーニングする。。そしてすべての行程の時間をできる限り正確に予測するその上で、50%近くの時間の余裕を取るそんな風に自分なりに工夫してきた。これまで大変だったのは予期せぬ尿意くらいだこれがまた大変だった記憶がある。。苦笑どんなに膀胱が破裂しそうになったとしてもお手洗いに走ろうにも走れないのだから・・ひたすら我慢するしかないそれくらいしか走れないことによる困った事は思い出せない。その他の事はほとんど事前に予測できるから(予測して行動を計画していた)のだろう。慌てて走る必要に迫れて困...
人間について

過去は終わってしまったし、未来は分からない

人は不安になるなぜなら、たぶん人(僕)は(できもしないのに)未来を自分勝手に予測しちゃうから・・そして過去を悔やみ、未来を嘆くのだと思う・・過去は終わってしまったし、未来は分からない大事なのは今この瞬間の判断だと思う僕も脳出血になって「障害者」となったときには過去を悔やむというか時間が巻き戻せるものなら巻き戻したいと何度思ったことか・・でも過去は変わらない過去は、もう終わってしまったのだからいくら嘆いても過去は何も変わらないそしてこれから障害者として生きる不安から未来を嘆いたでもこれもいくら嘆いても未来なんてどうなるか誰にも分からない。もちろん、想定して準備する(備えることは)できるけどどうなるかなんて嘆いても絶対に分かる訳がないなのに、未来に嘆いて苦しんでいた。無駄な心の嘆きだったと思う大切なことは今この瞬間の判断に集中することそれによって未来も変わる。人間の人生は二者択一の選択の連続だと思うその瞬間瞬間の二者択一の選択をどっちに向かうか(どっちを選択するか)によって未来が変わる因果律だ・・・だから今この瞬間の二者択一の選択判断に集中することが最も大事・・終わってしまった過去を悔やん...
人間について

不労所得・・

僕は物心ついた頃には朝起きるとお袋も親父も既に仕事していてお袋は7時頃に仕事から戻ってきて朝食の支度をして、皆で朝食を食べお袋は8時半過ぎにはまた仕事に出て行ったといっても両親は自宅から100mほどのところに縫製工場を持ちそこで仕事をしっていたから会いたいと思えば、すぐに会いに行く事ができた。親父は親父で町工場の経営者だから昼夜なく働いているのを幼い頃からみていた。だから夕食もお袋の仕事が一段落してから(つまり、キリの良いところまでは仕事していた)いつも20時頃が夕食の時間だった。そんな環境だった僕は、大人は一日中仕事をするものだと思い込んでいたし、四六時中父母は工場の採算が合う・合わないとか仕事がある・ない・・で喧嘩をしていたそのせいか仕事をしないとお金はもらえない(食っていけない)のだつまり働かざる者食うべからずという考えは知らず知らずに当たり前の事と考えるようなっていたと思う。。でも最近思う事、感じる事はこの「働く事」に対する考えが大きく変わってきている気がする。「働かざる者食うべからず」が当たり前ではない人達が多くいるように感じる最近、若者たちが働くところがなく、あってもブラッ...
エコロジー

やっぱりわからない原発固執

さっきまでNHKで「メルトダウン」という福島第一原発事故の原因究明のドキュメンタリー番組をやっていたけどやっぱり、わからないなぜ、政府(経産省?)が原発推進に固執するのか・・一度事故が起きるとあれほど予測不能で且つ収集不可能な事態に陥る非常にリスキーな原発をなぜそれほどまでに推し進めようとするのか確かに原発ほど出力変動少なく且つ安定した発電装置はない事は認めるけど・・原発に関わる多くの(中小・零細企業も含めた)企業の存亡がかかっている事も理解できるけど・・・それでも・・そこまで危険を冒す必要があるのだろうかと感じた。日本ほどの技術力があれば、(政府が本気にさえなれば)原発に代わる安定した発電装置と電源を顔開発し、作り上げられると僕は思うんだけどなぁ・・やっぱりわからない・・原発推進に固執するその本当の理由が・・メディアもメディアで表面しか報道していないような気がする。もっと本質(原発推進に固執する本当の理由)まで切り込めないのだろうかやっぱりわからない・・
独り言

脳の損傷による痛みって・・

先日、久々に東京に上京してとある企業に行くとき結構歩いたといってもせいぜい1.5キロくらいでも僕にとっても地獄のような距離だった歩けば歩くほど麻痺側の左脚が痺れてきて、後半はほとんど感覚がなくなり、足がどの方向に向いているのかも分からなくなり、盲人用のタイルの2CMほどの出っ張りにつま先が引っ掛かり転倒しそうになったでも。。この左足の猛烈な激痛と痺れ・・左足には何の問題も起こってないんだ損傷した脳が勝手に痺れと痛みを(たぶん幻覚のように)感じているだけ・・それが分かっているから左足に猛烈な痛みと痺れは感じていても心の中ではこれは幻覚・・これは幻想・・左足には何の問題も起こっていない・・だから休むな・・歩け!と言い聞かせ歩き続けたそれでも感じている猛烈な痛みと痺れせいか額からは脂汗が噴き出していた・・脳の損傷により身体に痛みを感じるなんて面倒くさい身体だ・・
人間について

すべての苦しみは自己が原因

自分が苦境や苦しみに陥った原因を人は外部(他人や自分の環境)のせいにしがちだあいつのせいで、・・政治のせいで・・生まれた環境のせいで・・でも、それは違うと思うようになった「外部のせいで・・」とか「あいつが悪い、憎い」と思う心が自分を苦しめているだけなのだ。すべての苦しみは自己が原因である・・と・・自己が変われば苦しみも消える・・そう思うえば、憎しみも怒りも消える憎しみや怒りの炎は、自ら消さなければ自分自身をも焼き尽くしてしまう
人間について

免責は受けても罪は消えない

自己破産で僕が思うこと・・免責は受けても罪は消えないと僕は思っているそんなことを考えるのは、ある知人の自己破産者の事を思い返す度にそう思うのであるどいうことか確かに免責は法律的に責任がなくなる事であるでもそれでその人の犯した過ちの罪が消えるのか?といえば、そんなことで消えるものではないと思うのだというのもその知人はサラ金に借金しまくり、友人・知人にも(必ず返すから信用してくれと・・)数百万借りたりしていた挙句、自己破産した。。で免責を受けた。。実際、自己破産で免責不許可になるのは本当に少なく破産手続き中に財産隠匿とか、免責を受けるために債権者や裁判所を欺くような悪質な行為をした場合に限るらしいで結局、彼は免責を受けた免責後・・彼は、いかにも俺は無罪j放免だ!といわんばかりに彼を信頼して数百万貸してくれた友人にも、大きな顔で何の謝罪もなく、(その友人は貸した数百万がか返してもらえないせいで悲惨な状況になっているにも関わらず)自分は再びのうのうと俺には関係ないとばかりに生きている僕はそれを客観的見ていて何かが違う間違っていると感じていたその僕の結論が・・「免責は受けても罪は消えない」という...
人間について

苦境やピンチのストレスが創意工夫を生み出す

苦境やピンチのストレスが創意工夫を生み出すこれは僕が作った僕自身の事を表す言葉だ。ピンチになり、八方塞がりの状態になったとき、誰しも「救い」を求めたくなるものだ。そして(あまりに苦境なので)打開策を考えるのもイヤになるものだ。僕自身、脳出血で倒れ半身不随となり会社も精算、無職無収入になったとき何かに救いを求めていたと思う。絶対絶命で、がけっぷちでもうダメだと生きることすら、諦めかけようとしてしまうようなギリギリの状態そんな状態(正確には客観的状態ではなく、実は心がそんな状態なだけ)になっていた。だから、何の打開策も思いつかない。そんなとき、悲観、悲しみ、焦り、そして何より先の見えない恐怖感に囚われがちになるそうなると、心がパニックに近い状態になり、何も考えられなくなる事が多いと思う。でも、我ながら思うのだが、僕の場合、絶対絶命のピンチのようなときにこそ、必死で考えられるというか必死で考え、必死で行動する。そうすると、不思議な事に打開のためのアイデアが浮かんでくる。もちろん、ピンチの最初はもうダメかと諦めかけようと思う。それでも、諦めず、考えに、考え、とにかく情報収集しまくるそうすると、...