重度の感覚障害からくる難治性の疼痛(視床痛)という
「障害」を負って最も怖いと感じたこと・・
それは、
「いつまで続くかわからない」不自由と痛みと痺れの
「いつまで続くかわからない・・」
というフレーズだ・・
正直それは恐怖だった・・
どんな病気にしろ、怪我にしろ「終わり」はある
癌でさえも最悪「死」という形で終わりを告げ
(死を悲しむかどうかは別にして)
そこで少なくとも「苦痛」は「終える」
たとえ「終わり」が死だったとしても
「苦痛の終わり」には違いない
でも
この半身不随という障害ってやつは、「死」という形でも
終わるかどうかさえも分からない
少なくとも
「半身不随という障害」が起因で死を宣告され、死ぬことはほとんどないだろう
もちろん寿命を迎えて、結局癌や心不全や再脳出血で死を迎えることはある
確かにそのときは僕の「苦痛」は終わる・・
でもそんなのいつ来るかわからない・・
要するに「死ぬまで」または「残りの半生」
この不自由と痛みと痺れ続くのだ
死ぬまで続く・・
生きている限り続く・・
この言葉は当事者にとっては
「永久」と限りなく等しい響きである
この世は諸行無常という
そしてすべの事象は移り変わる・・
だから、
どんな苦しみも辛いこともいつかは終わる・・
ともいう
でもこの不自由と痛みと痺れが
生きている限り続き
死ぬまで続くといのなら
少なくともこの僕にとってこの障害は
諸行無常という自然の摂理(ことわり)から
はずれているように思えてならない・・
こういうことを障害を負った当初、僕は感じ取った、、、
そしてそれ(生きている限り続く・・とか死ぬまで続く・・ということ)
は僕に想像を絶する恐怖を与え、
考えれば考えるほど、気が変になりそうなくらい怖くなり
発狂寸前の精神状態だったと思う
でも人間、不思議なもので
もう5年も不自由と痛みと痺れで苦しみ続けると
痛みも痺れ不自由も
決してなくなったわけではないけれど
「耐える」ことができるようになっている気がする。
これは決して「慣れ」とか一般にいう「障害受容」ではない
「慣れて」もいないし、「受容」もしていない
ただ耐えているだけなのだ
たぶんこのままずっと
「死ぬまで」耐え続けるのだろう・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。