人間について

キャサリンケネディ 駐日大使の素敵なしわ・・

世間でも結構話題になったけど僕もはじめてキャサリンケネディ 駐日大使の顔を見たときそのしわの深さに驚いた・・何に驚いたかというと彼女が隠さず堂々としている事だった今の日本女性には正直少ないな、、と感じた昨今の日本は男女ともアンチエイジングブーム真っ盛りのようだテレビコマーシャルも健康商品だらけ・・(特にBSは)どれを見て見ても「いつまでも若く美しく・・」といったキャッチコピーのオンパレードんなわけねえだろ・・人が歳をとるのは自然の摂理だどんなに頑張ったってっ「若返」ることは不可能であるにもかかわらず、アンチエイジング、アンチエイジング、アンチエイジングアンチエイジングって歳をとることにあらがうってことでしょそんなことをしようとするから結局できなくて、苦しむんじゃないのか?思うがままにできないことを思うがままにしようとして思うがままにできなくて人はく苦しむ・・その典型的な対象が病・老・死であるアンチエイジングの究極は不老不死である不老不死といえばあの有名な卑弥呼である魏志倭人伝でも卑弥呼が不老不死の霊薬を求めて魏の国に使いを出したという秦の始皇帝も実際に不老不死の薬を求め、かえって死期を...
人間について

現代医学が人間を滅ぼす?

昨日、ひさびさに同級生の友人に会って聞いた話その友人の知り合いの女性が妊娠したと同時に脚の太ももに癌(悪性腫瘍)が判明したらしいその癌は全身に転移していたとのことそれで癌手術をするには出産は諦めなければならないとのことなぜならその癌の手術は大がかりで長時間であるため胎児が死亡する可能性が高いとのことでも手術をしなければ出産はできるが女性の余命は3か月自分を取るか赤ちゃんを取るかのどちらかの選択だったらしい結局、その女性は赤ちゃんを取り、帝王切開で出産し赤ちゃんは無事生まれたがその女性は3か月後に死亡したとのこと話はここまでではないせっかく自らの命を張って(柚譲って)産んだ赤ちゃんが幼児(4、5歳)まで育ったとき、その子の脚の太ももになんと悪性腫瘍ができたのだ・・それは死んだ母からの遺伝らしい残酷な話であるでも・・と彼は言った人間以外の動物は同じような状態になった時点でどうようもなく母も胎児も死亡していただろう、つまりいわゆる自然淘汰であるでも人間だけが、最新医学により子孫を残せてしまう。その結果、本来自然淘汰され遺伝して子孫が残るはずのなかった子孫が生まれ、更にその子孫がその病気の遺伝...
人間について

不治の病、、、

不治の病といえば、代表格は癌であるだから?癌治療法の開発は注目され、その治療法の確立は医療界において夢でもあり、大きな目標となり、多くの資金やエネルギーが注ぎ込まれるでも、不治の病は癌だけではない他にも、たくさんの不治の病はある僕のような脳卒中の後遺症も現代医学では完全回復不可能な不治の病?であるにも関わらず、癌治療ほど注目はされないなぜなのか?考えてみた僕が思うに癌の先には死が待っているそれに引き換え、脳卒中後の半身不随という障害(病?)の先には必ずしも死はないだから、癌治療は注目され半身不随の障害の治療は注目されないという構図ではないか、、それは、つまり人間にとっては死が最大の悲しみであり最大の苦痛であるという前提に立っていからではないか僕は自分が半身不随という障害を負って初めて分かった事だけど、死が必ずしも最大の苦痛であり悲しみではなく、死よりも悲しく、苦しく、辛い「生きる」が存在するという事を知った、、今の僕にとっては死は必ずしも最大の苦痛でもなく最大の悲しみでもない死は僕にとってはある意味、生きる障害者として生きなけばならないという苦痛からの解放だそう考えている実際、この苦し...
人間について

苦あるから楽あり?

「苦あれば、楽あり」って言うけれど障害者になってからというもの・・特に最近思うんだけど「苦があるから、楽あり」じゃないかななんて感じているつまり僕が言いたいのは苦が無いと楽もない苦を味わったからこそ、楽を感じることができる極論すると苦を味わないと楽は味わえないのではないかという感じの思っている4年前、リハビリ病院から退院した当初の僕は身体的にも、精神的にも苦で満ちていたように思うただでさえ身体が半分動かなくなり、原因不明の身体的苦痛(痛みとも言えぬ、痺れともえぬ苦痛)(当時はこの苦痛が視床痛というものだと知らなかった)と身体的不自由にで苦しんでいるのに、そんな身体でも会社の破産手続きやら自己破産手続きやらをしなければならない(破産手続きなんてただでさえ精神的苦痛を伴うのに・・)おまけに加えて僕が倒れたことが原因で起こった信じがたい、家庭内や身内での諍いと揉め事・・それは正に三十苦・・そんな感じであらゆる苦で満ちていたように思う何もかも失い、未来も真っ暗だった(と感じていた)そんなときの自分に比べれば今の自分はまだまだ身体的には辛いけど・・そえでも天と地ほどの差があるほど今は「楽」だと思...
人間について

今の世の中、「感動」が少なく「素直」になれないのかな・・

今朝久々に本当に久々に朝の寝起き時に痺れや痛みも少なく麻痺側の硬直も少なく、かなり楽に 「激闘」せずに起きることができた・・ふと思ったんだけど・・昨夜 夜間上映で「永遠の0」を観て思いっきり感動して心が揺さぶられ、涙しそうになった以前記事にも書いたけど障害を負った当初から経験的に薄々感じていたことだけど感動で涙すると、視床痛(中枢性疼痛)の痛みや痺れが不思議と和らぐんだ今朝も昨夜の「感動」が影響しているのかもしれない視床痛(中枢性疼痛)って痛みや痺れを感じている身体の部位自体には何の原因(傷や不具合)がないのに脳卒中で「イカれた脳」が勝手に(存在するはずのない)痛みを感じているから医者にとっても厄介で難治性って言われているそれが不思議と医者にも明確な原因はわからないけど抗うつ剤が視床痛(中枢性疼痛)って痛みや痺れ効くことがあるってことだけは分かっているそれでその情報を掴んだ僕はわざわざ心療内科に鬱だって(嘘ついて)・・苦笑近所の診療所へ診察に行き、抗うつ剤を処方してもらって、実際にその抗うつ剤で本当に痛みや痺れが和らいでいる今朝、疼痛も硬直も和らいだ要因が昨夜の「感動」が脳を抗うつ剤の...
人間の生き方

久々に泣けた、、

夜間上映で永遠の0「ゼロ」を観てきた久々に本気で泣けた、、後半には男性の男泣きの嗚咽し聞こえてきた原作の本を読んでいる人は分かると思うけれど、(この記事ネタばれはしないでおきます)この映画のテーマは「人間は何(誰)のために生き、そして、何(誰)のために死ぬのか」だったと僕は感じたこのテーマは僕が障害者なって生きる意味を失いかけ、この5年、自分の生きる意味を問いかけてきた僕自身のテーマそのものだったと感じたから、長い映画だったけれど完全に見入ってしまい、時間は忘れていたし、本気で泣けた。。。良かった、、本当に・・思わず、電子ブックで原作を購入してしまったこの映画は男性にはもちろん、女性の方にも僕はお奨めしたいと思う
人間について

真っすぐに生きるのが難しい世の中だな・・

障害者になってからというもの・・なんとなく社会から弾き出された気分になって世の中を客観視するようになったように思う特に自分自身のことは客観視するようになったように思う障害なんて主観的になると辛いだけ・・だからかもしれないけどそんな客観視(しているつもり)な目で世の中を眺めてみて最近思うことがあるそれは今の世の中って「真っすぐに生きること」ってことが難しい世の中だな・・って感じている・・今、付き合いのある或る人のことを思ってだが・・その人は一見、、、いや付き合ってみても、、ヤクザまがいの言葉使い、態度は悪いし暴言だらけ・・だから「ワル」だと思ってしまう人が多いんだけど僕からみると決して「ワル」じゃあないと思う人なんだ一見ヤクザぽくて怖いように見えるけど実は口下手なだけで本当は「真っすぐ」で意外と世渡り下手・・「真っすぐ」な人に限って口下手で口下手だから自分の思いや考えを伝えられない伝わらないから切れて怒鳴る・・伝わらないから腹が立って態度が悪くなる・・そんな感じの人・・この世の中に案外多いんじゃないかな・・もちろん人間はコミュニケーションは言葉でするのだから言葉で表現できない方が悪いとい...
起業・ビジネス

もう迷わない、迷えない、ブレない、ブレられない

ここにきて、、僕は残りの人生を太陽光発電事業や再生可能エネルギー関連事業に身を捧げることになるだろうと感じているリハビリ病院に入院中に思いたち病室からノートパソコンで始めた環境技術の情報収集と情報発信、、それが5年間の間にこんな状況になろうとは思いもしなかった思いもよらないところで繋がったアメリカのソーラー事業デベロッパーそしてこれも思わぬところから繋がったソーラー事業のプロフェッショナルの人今、どちらとも来年から本格的にパートナーとしてソーラー事業を展開する事になってきた、、28日には来年からの戦略打ち合わせに神戸まで来て頂けるというではないか!法人設立までするかもしれないのだ!こんな状況になるとは思ってもいなかったでも、ここまできたら、やるしかないもう迷わないし、迷えないこれからもブレる事はないだろうこれまで、いろいろ紆余曲折はあったけどとうとうここまで来てしまったというか、いつの間にかこんなポジションに立っている自分が不思議である思い返せば、、、一年間、ハローワークに毎週通い続け、障害者枠求人に片っ端から(多分50社以上)応募して、全て書類選考で落とされた客観的に考えてみても50...
人間について

障害受容???

よく医療用語?で障害受容という言葉を聞く・・ある脳外科医なんかは障害を負った当初精神的にも苦しんでいる僕に向かって「あなたような状態を障害受容できっていないと言うけれど本当は違うんですよ。。それは本当は障害認容と言うんです云々くどくどと医療用語をのたまわっていた・・くだらない・・僕は医療用語なんてどうでもいいんだよ バカ!と心の中で思いながら聞いていた。。要するに障害受容も障害認容も障害を受けれなければ、或いは受け入れれば、精神的に苦しまずに済むから「受け入れろ・受け入れるように(努力)しなさい」と言いたかったようだ・・・でも僕は今になって思う障害は受けれるものではなく、乗り越えるべき対象だと・・そもそも「受け入れる」ことなんて不可能だと僕は思う未だに「受け入れる・受け入れられた」とはどういう状態の事か理解不能である障害は一生続く自分の道を邪魔する高い壁・或いは崖のようなものだと思うだからそんなもの「受け入れ」たら、つまり運命だ仕方がないと考えることだとしたら一生その壁、或いは崖は乗り越えられず、前に進むことはできないことを意味するのではないか?と思うのだ。障害なんて、たとえ真の前の「...
独り言

潜在意識の中で苦しんでいるな、、

今午前5時過ぎ、、「悪夢」で目が覚めた、、悪夢といってもくだらない夢なんだけどなぜか野球をしていて、利き手が左手だった僕がボールを投げようとするんだけど、来年振りかぶって投げようと頭上で、一度握ったボールを手から離そうとしたときに左手がどうしても開かずボールを投げる事ができない、、どんなに頑張ってもボールが左手から離れてくれないそんなくだらない夢なんだけどものすごく苦しんでいる起きているときにはもう半身麻痺の身体に対して以前ほど苦痛を感じなくなりつつあるようにも思えるけれど、太陽光発電の仕事もやっと順調に進み始めているにも関わらずきっと潜在意識の中ではまだまだ半身麻痺になった事に対して苦しんでいるんだろうな、、こんなくだらない夢でうなされ目が覚めるなんて、、            iPhoneより投稿