人間について

恨みとは怖いものだ。

週末から報道されている富岡八幡宮の殺傷事件の報道を見ていると、姉弟の怨恨とは言え、恐ろしいものだ。仏教などでは怒りや恨みというものは「猛毒」であると言っているけれど実際本当に恐ろしいものだと今回の事件で気付かされた感じがする。つい最近、復讐についての記事を書いたけど恨みというものは、復讐では何の解決もしないというけれど(犯人は自殺してしまったけど)もし生きていたら姉を殺したことで恨みは晴れただろうか?などと複雑な気持ちになっている話は変わるけれども、野村沙知代さんが先週末に急死した彼女も生前はいろんな人から恨みを買っていたのではないだろうか。確かに野村監督にとっては大切な妻だった事はわかるけど客観的に見て、周囲には相当迷惑をかけていた自分勝手な女性だったと少なくともぼくは思うそしてそれでも生前にその恨みを買っていたことに対して富岡八幡宮のような事件は起こらずに一人亡くなっていった。よく「天罰が下る」と言うような人もいるけれど自分勝手で周りに迷惑をかけていたような生き方をしても「天罰が下る」などといったようなことはなく最後まで自分勝手に生きて亡くなっていく人は多いと思う僕の周囲にも周りに...
人間について

最大の復讐とは

自分が悔しい思いをしたことに対する復讐というものは決して、悔しい思いをさせらた相手を貶めたり、やっつけたりする事ではなく、自分の人生を成功させることだと思う。しかし、その成功とは決して経済的成功ではなく、経済的成功が自分が人生の成功だと考える人はそれで良いけど、人生の成功とは、自分が死ぬときに満足出来た人生だったと思えたらそれは人生の成功じゃないのかなそんな人生の成功をすることこそが最大の復讐だと思う。振り返って僕の人生、決して経済的成功をしたわけじゃないけど脳出血になんかになり、障害者になんかなってしまったけれど僕の人生は少なくともこれまでは成功だったと思っている。障害者になんかになって、何が成功だと言われるかもしれないけど少なくとも僕は今までの人生はすべて自分で決断し、自分で選んだ道を歩んできた。ある人が後悔のない人生を歩みたいと言ったときに、ある人は後悔のない人生なんてありえないって言ってたけど、僕は確かに人生の一つ一つの決断に一切後悔がないわけではないけれどこの人生、すべて自分で決断し、自分の精一杯の力をほとんど出し切ってきた人生だったという意味では一切後悔は無いかつて。自分が...
人間について

身勝手な人間

人間というものは、上手くいっているときは失敗ばかりしているようないわゆる不運な人間の事なんて目に入らないものだし、そういう人の事を馬鹿にしやすいものだと思う。そして自分さえ良ければ、それで良いという感じになりがちだと思う。だけど、自分も不運に見舞われて、友人だと思っていた奴にも見離され世の中からも見て捨てられ、その日その日の生活にも苦労をするようになってはじめて人のことも考えるようになり、見るもの聞くものが身に沁みるようになるものだと思う。そんな状況を乗り越えたこそ、初めて本当に強い人間になれるのではないだろうか