人間について

生き地獄と尊厳死・・

去年の11月1日、、末期がんで余命半年と宣告され、安楽死を予告していた米国人女性のブリタニー・メイナードさん(29)が、予告通りに自ら死を選び、自宅のベッドで家族に囲まれ、医者から処方された薬を飲んで、安らかに息を引き取ったという。。<朝日新聞ニュース>その傍らで、英国では脳卒中で全身麻痺となった男性が死ぬ権利」を求めていた裁判で、英高等法院は、男性の訴えを棄却する判決を言い渡した結果、この男性は自ら食事を拒否するようになって死亡したという・・このニュースに対して賛否両論あるというキリスト教系の主教団体は反対していたらしい確かに尊厳死に対する考え方はいろいろあろうと思う一度は尊厳死を臨んだ少なくとも僕の意見だけど僕はリハビリ病院から退院した直後、左半身灼熱痛の猛烈な痛みを感じ、しかも100m先のコンビニさえ、ひとりで行くことができず、自宅でただひとり痛みに耐えながら、何もできない状態だった。僕はこれこそ「生き地獄」だと感じ死にたいと本当に思っていた。こんな拷問・・これは本当に拷問だと思っっていたそれは痛みに耐え身動きさえができない(独房に居るようなもの)状態こんな拷問を受け続け生きるの...
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正しいものの見方

死にたくないけど、人は100%いつか死ぬそんな事て苦しむのであれば死にたくないという気持ちをなくす事で苦しみは解決する病気で苦しむのはいつまでも健康でありたいと思うにも関わらず、病気になるから苦しむでも、病気そのものをなくす事なんて不可能だから、いつまでも健康的ありたいと思う気持ちをなくす事で病気の苦しみを解決できる恨みや憎しみで苦しむのであれば生きている限り、恨みや憎しみはなくならないだから、恨みや憎しみは捨てることで恨みや憎しみの苦しみは解決できる全ては心を変えることで解決可能なのだなどというのは簡単だが、実践は難しい
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自ら命を絶つことは本当に悪なのか

先日、僕がこの記事の標題のような人騒がせな記事を書いてしまったのでその償いにと思い、この記事を書きました。通常、「私、死にたいんです」と言ったとしても、周囲の人が「自殺なんかしちゃいけない」っていう反応になることがほとんどでしょう。それでは「なんで死んじゃいけないの?」「自分分で死を選ぶことはそんなにいけないことなの? 」と考えるような人もいるでしょう。現代社会では四人に一人が自殺を考えたことがあるらしいのです。このような時代に「いけないからいけない」「みんながそう言っているからいけない」といったような理由で「自殺はいけない」となることがほとんどなのでしょうけれど、、、、このような殺すとか自殺と言う話になるとどうしても宗教的な思想が絡んできてしまうものだと思います。だからといって聖書に書かれているからダメだとか崇拝者が言っているからダメだといったようなことを言ったとしても、現在の日本のような宗教的思想が薄くなってきている状態ではそのようなことを信頼することはできない人がほとんどではないでしょうか?例えば「なぜ自殺してはいけないのか、宗教的な考え方を抜きにして回答してください」と問うた際...
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人間はただの薄汚い糞袋

あの壬生義士伝(映画でも小説でも)回想役の元新選組の斉藤一が人間のことを「人間なんて所詮は薄汚い糞袋だ」と言ってたので、なぜ、人間が糞袋なのかちょっと調べてみた。そうすると、なんとあの釈迦(ブッダ)の言葉ではないか!釈迦は美人だ、美人だともてはやされていた女性のことを「美人といっても、それは要するに皮一枚のことで、その皮の下には大便や小便などが詰まっているだけだ」とこき下ろし、人間なんてみんな同じと言ったようだ。的を得ている!真理だ!と思ってしまった。だから僕は「釈迦の仏教(真理の言葉)」に惹かれている
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我が身への侮辱や冷酷な仕打ちこそ僕の宝

最近、やっと気付いたそう気付くのに10年かかったあの中村久子の言葉の意味がやっと分かり僕にとって今最も大切な言葉なのだという事に理解でき気付いてきたような気がする我が身への侮辱や冷酷な仕打ちこそ今の僕にとって最高の宝になるということを、、なぜなら、そんな我が身への侮辱や冷酷な仕打ちこそ、僕が知恵を出す為の大きな源泉になっている事に気づいたからそれがあるからこそ、この不自由な身体で生きる為の知恵やアイデアを絞り出す事ができ、これからも生きていけるのだとやっと気付いたのだから、、その侮辱や冷酷な仕打ちに嘆いていても何も解決しないのだ何もしてくれず身体的にも精神的にも支えてくれない事に嘆いていても生きていけないだけだ。ならば、生きる為に知恵を絞り出すしかないそれこそが僕の宝なのだとやっと気付いたのだ
人間について

心が最も諸行無常

この世は諸行無常だというけれど、諸行無常とは一瞬たりとも同じ状態は存在しないことというならば心こそ最も諸行無常ではないかなぜならほんの数日前には三重まである新たなビジネスの為に土地探しに意気揚々と長い道のりを車で赴いた。それこそ意気揚々だったにもかかわらずその2日後には気分が落ち込んでいた自分自身でも不思議である原因も不明というか落ち込む原因はもともとあったにもかかわらず2日前には意気揚々だった。本当に心こそが諸行無常だと実感しているというか、心はコロコロ変わっていても周りは何も変わっちゃいない気がするのだが、、そう思うと諸行無常って世の中のことではなく心のことを言っているように思える
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監視社会

現代は監視社会になってしまったと痛感するLINE、Twitter 、Facebook 、ブログさまざまな情報媒体で誰しもが自由に情報発信可能になっている。とても便利な社会になったようだけど、反面、それらの情報は常に誰かに見られているつまり監視しようと思えば、監視可能になっているあのプーチンがアメリカ大統領選挙にネットから介入していたようだ。サイバー攻撃で、バッファオーバーフローでサーバを乗っ取りすればサーバの中の情報は全て閲覧できてしまう。それだけでなく、書き換えさえもできてしまうそんな監視ができているのだと実感できる出来事が今日あった監視されていれば安心できるのか?プライバシーが全て覗かれる事を意味するから恐ろしさを感じた
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妄想

怒りも恨みも悲しみも辛いと感じるのもすべて人間の心の妄想に過ぎない現実の事象ではないただの心が作り出した仮想的なものに過ぎない怒りを感じるのは自分が正しいと思っているから恨みを抱くのは自分が虐げられてると思っているからすべては自分勝手な自分の心が作り出した妄想にすぎないしかし妄想は妄想を生み出し妄想は更に激しくなり燃え上がる一度燃え上がるとますますその火の勢いは強くなりひいては妄想が現実になってしまうだから燃え上がる前に現実化する前に消さなきゃいけない
人間について

輪廻の果てに

唾面自乾諸行無常一切皆苦諸法無我唾面自乾分子回帰