人間の生き方

苦境こそが知恵と工夫を生む。工夫の人生も存外楽しい。

苦境になんて出会いたくない。順風満帆の人生に越したことはない。健常者の頃そんなふうに思っていたこともあるけれど、今は意外とそうでもないのではないかと思ったりしている。僕は脳出血により中途障害という苦境に陥り一時は無職無収入という状態だったけれど、だからこそ必死で工夫したと思う。必死で知恵を使ったと思う。これまで生きてきた中で、これほどまでに必死に知恵を使い工夫したことはないのではないかと思う。工夫に満ちた人生の案外良いものではないかと思う。おかげで僕は人間の脳に関してはかなりの知識を得ることができた。その辺の医学生よりも、いや脳神経科の医師よりも脳に関する知識があるのではないかと感じる例えば・脳の損傷するということが人間にとってどういうことなのか。・脳がどんな働きをし、どうすれば回復するのか。・回復の限界はどの程度なのか等々の知識は医師や医学生などよりもずっと深い知識として持つことができたのではないか。なぜなら、僕は必死だったから・・・自身が回復することを願い、必死で脳に関する書物を読みあさったからこそ、実体験も合わせて、本物の知識として得ることができたように感じている。そして後遺症に...
人間の生き方

生き方をコミットメントする

僕はこれまでの人生においてあらゆる場面で、自分の行動に対してコミットメントしてきたつもりだ。コミットメントとは自分自身に「公約」「誓約」「約束」などを意味する。コミットメントしたからにはどんなに苦しくとも、大きな壁が立ちはだかろうと、弱音も吐かず、言い訳もしない。一度コミットメントしたからにはそこに言い訳をしたり、弱音を吐くことは自分自身の生き方を否定することを意味することであると思うから、、僕は今の妻と結婚するときに、結婚してから1年ほどたったころのことだがなぜかその時期に、自分自身で自分自身の心の中で「彼女を妻として彼女の夫として生きる」というコミットメントをしたことをはっきりと覚えている。だからたとえ体が不自由になった今でもその自分自身への「誓約」「約束」を破ることはできない。そして子供が生まれたときも同じだ。彼の父親として生きることをコメットミントきたはずではないか。だから意地でも父親としての役割を果たす。たとえ今後、体の不自由な邪魔な父親だなどと疎まれも、煩い父親だと嫌われても役割を果たす。そんなに気負わなくても良いじゃないと言われるかもしれないけれど、その心の軸がぶれてしま...
独り言

村上春樹氏と日本政府とどちらが非現実的な夢想家 ?

村上春樹氏のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチが話題になっていましたが、僕は村上春樹氏のスピーチに少し疑問を持っている。彼は日本の戦後を「効率至上主義」だとして、結果として核を利用した原子力発電という方向に走ってきたと日本の方向性を批判した。そしてそれを疑う(あるいは批判する)人は「非現実的な夢想家」とされてきたと自分を弾圧されている思想家のごとくスピーチしていた。僕が疑問を持ったのは村上春樹氏が本当に「非現実的な夢想家」なのだろうかという点だ。視点を変えると、村上春樹氏の方が現実主義者でないかと思うのである。なぜなら捉え方を変えると「原発廃止」よりも「原子力発電の安全運営」の方が「非現実的な夢想」とも言えるのではないかと感じたからです。僕はもともとエンジニアだったから戦後の日本人エンジニアの方々がどれだけ苦労をして不可能と思えるような技術開発をしているかを実感しているつもりだ。エンジニアだった当時の僕の50歳代の上司の技術開発に対する「執念」たるやすさまじいものがあったことを覚えている。「そんなこと不可能だろう」と思うようなことを「何が何でも実現する」というようなものすごい気迫で僕たち...
人間について

役割を果たす

与えられた役割を果たすそれこそが人間が生きる意味。与えられた役割それは決して神様などから与えられるものではなく、自分自身で決めた道。彼の父親であるという役割彼女の夫であるという役割今やろうとしている仕事で支えるどれもこれも自分自身で決めた道どんな逆境来ようと、病苦に苦しもうが泣き言は言わない。この世のどんな人間の欲求を満足させる事よりも、そんな自分に与えられた役割を全うすることが、それをできることが、その役割を演じることができることがたとえうまくいかなくても、その道を進むことができることが、何よりの心の満足であり、本当に自分の納得を得ることができ、心の平安が得られるそれができること、役割を全うできることに比べたら、脳出血で身体の機能やいろいろなものを失ったことによってできなくなった事や失ったこと自体も哀しむに足らない。
人間について

僕のプライド

ビジネスにプライドやこだわりは邪魔になるが人間の生きるうえでプライドほど大切なものはない。男としてのプライド父としてのプライド夫としてのプライド人間としてのプライドそんなプライドが僕の心を支えるから喪失の悲しみにも耐えることができ、満たすことができなくなった欲望にも、惑わされることなく心静かに生きていくことができるのだ他人のプライドなんて実にくだらないものに見えるかもしれないそんなもののためになぜそなに無理するのかなぜそれほどまでに身を削ろうとするのかもっと楽に生きればよいのにと思われるかもしれない。でも、昔 武士はプライドのために切腹し自害したのだ。プライドのために死ぬなどということは人間にしかできないことだ。人間が心の生き物という証拠だ。だから他人がなんと言おうと自分のプライドは自分だけの大切なものなのだ。これは僕の中の男としてのプライドなのかも知れない。子供の頃は泣き虫で喧嘩もできなかった気の弱い僕だったけど、今頃になって男としての・・・守るべき人を守りたいというような 守るべき人に対して尽くし切りたいというようなそれができない自分は許せないというような男の本能のようなプライドの...
人間の生き方

言魂が僕に生きる力を与えてくれた

今朝は特に痺れがひどく、脳が僕からリアリティーを奪い去って苦しい状況が続いた。そんなリアリティを無くしてしまった僕の感覚にリアリティを取り戻したものがある。それは7歳の僕の息子の言魂だった。僕の息子は人一倍声が良く通り声が大きいのだ。小学校の地元の警察による防犯教室でもクラスで一番声の大きい子供として選ばれ悪い人に連れて行かれそうになったときに「やめて~!誰か助けて~!」と叫ぶ練習をするための代表になったほどでかい声なのだ(苦笑)そのでかい声で「ただいま~!」それだけの言葉だった。それだけで僕に生気を取り戻されてくれた。そして早速、僕に玩具を買ってもらうことをねだろうとあの手この手で、子供なりに話しかけてくるのだ。大きな声で・・(笑)そんな息子の「声」が耳に入るとその声が僕を父親として必要としてくれていると感じさせてくれた。その声が僕にリアリティを戻してくれたのだ。人は言葉で元気づけられ、言葉で傷つく。そして「声」で人ともつながりを感じ、他人の元気な声での「声掛け」で自分も元気が出る。言魂という言葉があるけれど、決して霊的なものではなく、「人の声」がそして人も言葉が脳を刺激し、活性化さ...
人間について

リアリティの中に突入だ!

自分の感覚にリアリティがあろうがなかろうが、存在するものは存在する。息子も妻も存在する。決してバーチャルではない。自分の感覚にリアリティを取り戻すために、今、仕事を始めた。言葉も理解できる文章を書ける。知能も今まで通りだ。リアリティの中に突入だ!暑さのせいで頭が少しおかしくなったに違いない。お前はリアルに存在するぞ!
独り言

全ての事象にリアリティがない

リアリティがないそうだリアリティがないのだ!脳出血以来、すべてのものにリアリティがなくなった。目に見えるもの耳に聞こえるもの人の言葉すべての感覚からリアリティが消えた・・・そう現実感がすべて消えた今やっとわかったような気がするやっと言葉が見つかったかもしれない。たとえば道を渡ろうとするとき・・走ってくる車は認識できる。だから通り過ぎるまで待つ。でも見えている車にリアリティがないのだ。ぶつかっても痛くもなく、死なないような気がする。言葉も理解できる。計算もできるこうやって文章も書けるでもそこにリアリティがないリアリティを感じないそんな「感覚のない感覚」が苦しいただ人の心の中だけは透けて見える気がする言葉の奥に潜む心そんなものが見えるようになった気がする。そんなものが見えると苦しい。怒る、悲しい、腹立たしい素直に楽しめない、喜べない。
人間について

脳を患うということ

脳を患うということ。身体が思うように動かないそれだけではない「感覚」がない。今、そこに存在するモノすら感じることができない。生きている感覚がまるで違う・・感覚をやられると自分が自分でないようなおかしな感覚早く出たい!このおかしな世界から・・生きてる感覚がないというか・・誰も分かってくれない。たぶん永遠にわからないだろう誰にも・・これだけ感覚がなくなってしまったというのに言葉を理解する、自分を理解する知能だけは残っている。。自意識だけは残っているようだだから苦しい・・苦しいということが理解できているだから苦しいこんなことなら自意識さえもなくなって欲しかったとさえと思う。早く出たい いつになったら出る事ができるんだろう誰か出してくれ・・このおかしな感覚はまだ誰にも伝えられていない。どう伝えて良いのかわからないから・・正確な言葉が浮かばない・・ただいえるのは「苦しい」それだけ・・どこが?と聞かれてもわからないとしか言えない。こんな状態で変に伝えると「頭がおかしい」と思われるかも知れないからそして皆僕から離れて行くような気がするから脳を患うとやっぱり心まで患ってしまうのだろうか今の自意識は正常...
人間について

弱い者ほど許すことが出来ない。

弱い者ほど許すことが出来ない・・難しいなぁ人の心って・・無私無欲になれたらなぁ・・生・病・老・苦、選択の余地のもなく逃れられないのに逃れられないのに逃れようとして人は苦しむ。ただ心の安寧がほしいだけ・・それだけでよいのにまだ自分の運命を許すことができていないないだろう僕、弱いなぁ・・まだ