独り言

障害者の障害を「個性」などと抜かすヤツがむかつく

以前にも書いたことのあるテーマだけどときどき障害者の障害を「個性」などと抜かす奴がいる。以前、誰かに「岡下さんのことを『障害者』だとは思っていません。個性だと思っています」と言われたことがあるその人なりの私への心配りだったのだろうでもね、障害者の障害って、「個性」などという美しい言葉で言えるほど生ぬるいものでは無い!はっきりと言う障害が障害だ!障害とは人が生きていくにあたって、明らかに障害であるそれも大きな障害なのだ「個性」などと抜かす奴は何にもわかっちゃいない障害なんてそんな甘いものじゃないそれでちょっとネットで調べたら、障害は個性というのはどうやら大ベストセラーになった乙武さんの著書「五体不満足」がその語源らしいことがわかった。そこでもっとよく調べてみると、、多くの方が「障害は個性」=乙武氏の言葉と思っているらしいことも分かったのだけど後のインタビューで乙武氏は、「障害は個性などとは言っていない、この言葉が一人歩きしている」と発言している。28の本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」といううな広告文があり、そのキャッチコピーによって障害者本人である著者の乙武氏の言葉とし...
人間について

感動ポルノ

昨日、日本テレビの24時間テレビに並行して、NHKのEテレのバリバラで感動ポルノをテーマに障害者が生出演して討論が行われていた。『障害者×感動』の方程式」生放送僕も感動ポルノという言葉をこの放送で初めて知った。感動ポルノとは、ご自身も障がいを持つジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語で、障害者を非障害者などが感動するための「モノ」として扱うような行為のことを意味する言葉だそうです。以下参照ください。障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費されるステラ・ヤング氏によると「手がない女の子が口にペンをくわえて絵を描く姿、カーボンファイバーの義肢で走る子ども、こうした姿を見たとき、みなさんは『自分は人生は最悪だけど、下には下がいる。彼らよりはマシ』だと思うでしょう。私たちはこれを“感動ポルノ”と名付けました」との事・・・そういえば、実は僕にも思い当たる節がある。このブログを書き始めて丸4年で、もう2200記事目になるけど当初、障害者となってしまってから1、 2年ひどく打ちのめされていた時期にこのブログを書いていたときに気づいたことがある。それはブログのタイトルに「辛い」「苦しい」「死にた...
独り言

もしも・・・

2008年11月20日14時10分すぎ、当時、僕は(1963年1月1日生れだから)45歳と11ヶ月14時間10分過ぎの年齢・・僕はある有名なフットボールチーム Nリーグの公式WEBサイトの制作の委託先である大手通信会社N社からのメールを確認した。そのメールは当時制作中だったその公式ウェブサイトに関するクレームだった。その内容を読んだ瞬間、そのクレームが理不尽に思え、怒りで僕は頭に血が上った。その瞬間、後頭部で何かが弾けるような感じがした、と同時に、後頭部に何か熱いものが流れた…そのときう僕は「あ!血管が破れた! 」とわかった。その瞬間、目の前の景色がぐるぐる回り始めた・・デスクに座っていることもできなくなり、 椅子から崩れ落ちるように床に倒れた。これが僕の人生が180度変わり、障害者として生きることになる瞬間だった・・救急隊が駆けつけ、救急車の中で救急隊員が「血圧 190 !」 「血圧 185 ! 」 「血圧 180 」と徐々に血圧が下がっている事を示す声が叫んでいるのが聴こえて少しホッとした気持ちになり、僕はそのときつぶやくように「もやもや病です」と救急隊員に告げた。今でも当時の状況...
人間について

1+1=3

1+1=3僕の家族です。妻+僕=息子と父と母人間だけが1+1=3になれる生き物だけが1+1<3になれる家族ができるから・・
人間について

浮気はした方が悪い?された方が悪い?

今回はちょっとくだらないテーマかもしれないけれど実は人間の本質を考えるよりテーマだと思っている。いつの時代も芸能人などの浮気の報道が世間を騒がしているけれどそして必ずほとんどの場合、浮気はした方が加害者で、浮気をされた方は被害者というような構図になっているような気がするけれど、本当にそうなのだろうか?よく詐欺に遭ったような人たちのことを、 詐欺行為をする人たちはもちろん悪いけれど詐欺に遭う人たち自身も(注意不足や油断のために)詐欺に遭ってしまうのだから詐欺の被害者も悪いところ(非)があるではないかというような話もあるように浮気にしても、必ずしも浮気をした方が加害者なのだろうかと少し考えることがある日本の民法770条にも、配偶者に不貞行為(いわゆる浮気)があった時には離婚を提起できると書かれてあり浮気はした方が悪いと言う固定概念(常識?)があるように思う。ちょっと「常識」を疑ってみても良いと思って考えてみたのだけど、実は僕は以前から人間の本質のひとつとしてあることを常々思っていることがある。それは人間とは飽きる動物ということである。典型的な例としてわかりやすいのが食べ物だろうどんなに美味...
人間について

心の刷り込み

心への「刷り込み」によって病気にならなかったり病気になったり死ななかったり、死んでしまったりしてしまうということを知っているでしょうか。人間というものは幼い頃からその心に何らかの「刷り込み」というものがあるそうです。例えば、自分はたくさんの人の前でしゃべることが苦手だというような「刷り込み」を自分の心にしてしまうと、実際にたくさんの人々の前でしゃべるような機会があった時には、本当に緊張してしまい喋れなくなってしまうというわけです。このような心の「刷り込み」によって影響されることは、単にこのような得手・不得手というようなことだけではなく、病気やその人生も左右することもあるというのです。それはあのいい加減なスピリチュアルというような超常的なことではなく、その「刷り込み」が脳にまで、影響を及ぼし、結果として刷り込まれたことが実際の体の現象として起こると言うのです。これはプラシーボ効果としてよく知られている現象らしいのですが、例えば体の具合の悪いので病院に行ったとします。その診断の結果風邪だと判明して病院から風邪薬を処方しておくと言われてその薬を服用して治ったとしましょう。しかし実はその時の医...
人間について

結婚というコミットメント

最近、夫婦が少し相性が合わないと思うとすぐに離婚をする傾向にあるyように思うでもよく考えてみると、どんな夫婦でも、結婚式の時には以下のようないわゆる「誓いの言葉」を誓ったのではないだろうか。○○さん、あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか「はい」○○さん、あなたはこの男性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか「はい」あなた方は自分自身をお互いに捧げますか「はいというように・・・キリスト教形式なのであれば、それは建前として神様に対して誓ったはずだと思う。そしてその誓いの言葉とは絶対的な約束、つまりコミットメントしたということではないのだろうかそして離婚をするときには、ほとんどの場合、相手の責任と言うようにその責任をパートナーに押しつけているのではないだろうか?僕自身は結婚の際のコミットメント(誓いの言葉)というものは神様などという存在もしないものに対してではなく自分自身に対するコミットメント(誓い)だ考えている。だ...