人間について

悲劇をもたらす思考停止

思考停止、、これは悲劇をもたらす。。。そのままの意味だと「考えるのをやめること」である。僕達は日々の生活の中で驚くほど「思考停止」している事を意識しているだろうか例えばテレビニュースを見ていてキャスターのコメントに納得してしまったときこれは、相手の考えに迎合し感心しているだけなのに自分も同じ考えを持ってしまう事・・既に思考停止している状態である同じくキャスターのコメントに納得できず怒りを覚えてしまうとき・・これも相手の考えが自分の考えと違うことを許容することができない状態である自分の固定された考えを変化させることができず「思考停止」している状態である。思考停止していないという状態とは、、、、上述の場合だと、ニュースキャスターのコメントの内容を咀嚼し、そういう考え方もあるということを理解し、新たな自分の考えに吸収させる状態だと思う。なぜ人は思考停止してしまうのだろうか?思考を停止させてしまうと・とても楽になる。・自分で新たに考える必要がなくなる。・自分の発言に責任を負う必要がなくなる。・他人の考えを自分の考えであるかのように 用いることができる。しかし、考えるのをやめてしまうということは...
独り言

やっぱりでかい台風はアカン・・痺れるがな・・

朝から左半身が猛烈に痺れている・・なんでやろ・・と苦し紛れに何気なくIPHONEのニュース見たら・・原因が分かった・・「こんな台風は見たことない」 NASA飛行士、台風19号を撮影 ・・だって・・(-"-)超低気圧やん・・やっぱり気圧の変化はアカンみたいや・・台風に殺されそうや・・もう~!こんなことで横になってる場合やないのに・・!かなわん!低気圧の接近・・は
人間について

覚 悟・・

昨夜、夢を見たどこかの南の島のリゾートホテルのプールだったような気がするでもそのときの僕はプールがあっても以前ように泳げなくなってしまった自分そう、まさに今の片麻痺の僕だった何を誰としゃべっていたのか覚えていないけどそのプールサイドの椅子に座って(パラソルはあったかな?)しゃべりながら「もう一度以前のように泳げたらなぁ」と思っていた。脳出血以降、これまでの夢で、はじめてハッキリと自分が障害者であることを自覚していた夢だったやっと6年経って、自分が障害者であることを潜在意識が認めたのかなって感じた。6年の歳月を経過してはじめて認めたのかもしれない認めたというより残りの半生をこの身体で生きていく覚悟ができたのかも知れないよく医者の言う障害受容ってやつかもしれないそう考えると障害受容って「受け入れる」なんてことではなく、覚悟が決まる事なのかもしれない受容なんて言葉を使うから変に「受け入れるなきゃいけない」なんて必死になるけどそもそも「障害を受け入れる」ってどういうこと?って以前から不思議に思っていたそれがようやく分かったような気がする。それは「この身体で生きる覚悟」なのだそう思った。だから仮...
最新環境技術

また突拍子もない事業に首を突っ込んでしまった・・

ちょっと前にの記事で書いた水耕栽培の技術をアラブの砂漠地帯で展開するという話・面白い!役に立つ議技術だ!と思い込んだら百年目、居ても立ってもいられなくなり一昨日その仲介者に電話してどうしてもその水耕栽培の技術を見たいと頼み込みなっと今日行ってきてしまった・・車で約5時間・・水耕栽培の会社に当着現場を見せてもらったら・・思ってた水耕栽培と全く違う。テレビなどで観た水耕栽培は富士通とかシャープだったっけパナソニックだったけかハッキリ覚えていないけど確か半導体の工場を改造してLEDライトで栽培るする完全密室型で栽培するのが水耕栽培だと思い込んでいたところが行ってみると・・屋根はなく太陽光を受けて栽培しているではないか・・・!よくよく聞いてみるとこの方法の水耕栽培は世界でもここだけだと言ういったい他の水耕栽培と何が違うのかと聞くと他の水耕栽培でさいばいできる野菜のg品種はせいぜい2,3種に対してこの方法だとなんと30種もの種類の野菜ができるというこれは小さなdスーパーのほぼ全種類に近い種類数だしかも白菜やレタスやキャベツなどの野菜が結球(外側の葉が内側に回り込み丸くなること)するという他の水耕...
人間について

人生のきわみ

僕は山本周五郎氏の小説に出てくる「きわみ」という言葉に惹かれるきわみとは・・これだけはどうしてもゆずれないここからは一歩も引けないこれは絶対許すことができないこうしたギリギリのいわば崖っぷちの状況であるそんな状況における人間の心理と行動を描く作品が山本周五郎氏の小説には多々あるそしてそれは権威や権力¥才能をの持ついわば「強者」のきわみではなく、下町のごく普通の人間で才能もなく、日々の生活にも困るようなそういう「どうしようもない人間」いわば弱者たちがきわみというぎりぎりの選択が必要になったときの決断のとき何を思い、どう行動するのかを描く決して英雄や成功者の物語ではないだから僕は惹かれるそこに「どうしようもない人間」であっても、その人間の持つ「本当の姿」が見えてくる人間は「本当のきわみ」経験するかしないか、そしてそこで如何に決断するかによって人生が変わるそこには人間の激情だけであり、決して論理的な思考ではないと思う激情こそが人生を変えることのできるものであり、激情の生まれない人生は何も変わらないそのためにも「きわみ」のようなギリギリの状況が人間には必要なのかもしれない僕はそう思う。