独り言

今の自分に必要な心構え

今の自分に必要な心構えはこれだ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━希望とは世の中の状態のことではなく、心の中のものである。どんな状況の下においても、価値があると信じ、働き、生き続けることのできる心の状態である━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━毎日心の中で唱えよう
エコブログ

スローライフという幻想

最近「スローライフ」とかいうものを求めて、田舎暮らしにトライする人がいるが、ほとんどの人が挫折する工業化社会、競争社会というものを否定しいるにもかかわらず、工業化社会、競争社会の恩恵に授かりながら田舎暮らしをするという矛盾残念ながら地球には全人類を養うだけのエネルギーも食料もないというのが現実だ、人が生きていきためには生産性向上技術は不可欠だそして省エネ技術も・・工業化社会を否定する人たちは・・現実逃避しているに過ぎない。この日本も工業化社会の中で、日本人特有の粘りと妥協のない職人魂で昼夜を問わず、技術開発をしてきた先人のいおかげで、世界に誇る技術立国となれ、富をえることができ、現在の豊な生活を享受できているのだということをわすれてはならない。インターネットの普及もあり、否応無く、グローバル化が進む現在では競争は必須となり負けた者は耐えしのぐしかないのが本当の現実だ。この私自信も障害者になっても誰も面倒は見てくれない、まだ47才なので家の大黒柱のままで稼がなければならない。「隠居」など許されない。これが現実だ。世の中そんなに甘くない無邪気に昔の田舎を懐かしむ団体は、工業化の波が押し寄せ...
最新環境技術

環境保護なんて人間のおごりではないか

「環境保護」この言葉に最近非常に違和感を感じる地球環境を保護するなんて、人類が地球環境をコントロールできるというなんともおこがましいおごりに感じる「地球環境共生」ならまだわかるいや実際には「地球環境からの防衛」であろう。実際に人類は雨天すらコントロールなんてできないではないか。地球環境は地球が生まれてから48億年(正しい?)激変している。硫酸の海のとき、氷河期のとき地殻変動、最近多発しているだ大地震、四川大地震だって、地球にしてみれば、地殻変動のほんの一部ではないか、太古の昔は全大陸が繋がっていたという。これが現代の大陸の位置に動いたのだ!そんな地殻変動、、、、四川大地震ごときではない地層の動きがあったであろう。この地球に人類は生かされているだけだ。環境保護なんていわずに環境防衛というべきなのではないだろうかグリーンピースやシーシェパードにだいひょうされる環境保護団体だっていったい何をしているのか所詮は錬金術師たちではないか人類の歴史自体地球環境からの防衛の歴史ではなかったではないか。年間の気候変動に連動してできる果実や穀物は、それが実る季節しか食べることができなかった。それ以外の季節...
人間について

成功イメージと意欲と想像力、ポジティブな脳(心)

世の中は不確実性に満ちているその中で意欲を持つことができるのが唯一人間だと思う意欲こそが創造の源泉であり、人類発展のエネルギーだと思う意欲・・それは不確実性の中で成功イメージができる能力だと思う。優秀なスポーツ選手はポジティブなイメージトレーニングができるという「失敗するのではないか」・・というようなネガティブなイメージをしてしまう選手は実際に脳が身体に影響に本当に悪い結果になってしまうものだ。脳は「根拠の無い成功イメージ」でも自信を持ち、意欲を持つことができるという成功イメージは「意欲」の源泉である。意欲こそが新しい発想を生み。創造を生み行動を生む今の私は脳出血の後遺症で苦しんでいる。医学的には麻痺が完全回復することは難しいということはわかっている。でも希望を持とう。何の根拠もないが、完全回復する「成功イメージ」を持とう自戒の念も含めて、いつの日か完全回復を信じ続けよう。松下幸之助さんもこう言っているではないか病気になってそれが治って、治って息災を喜ぶうちにまた病気になって、 ともかく一切病気無しの人生というものは、なかなか望み得ない。 軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床...
最新環境技術

日本人はアピール下手(もっと日本の技術をアピールしようではないか)

日本人は元来アピール下手沈黙を美徳とする歴史があるしかし今は、日本は日本の技術力をアピールしなければならないときであると思う。日本の省エネ技術は世界一だと思います。ハイブリッドエンジンのような画期的な省エネ技術の「発明」がすごいのかというとそうではないと思います。 日本の技術力のすごさは、アインシュタインの相対性理論のような全く新しい「発明力」「発見力」ではなく、1つの部品に対しても妥協の無い精密さと正確さであること考えます。これは日本のエンジニアの職人さんはミクロン単位の精度で加工する技術を持つ「匠の技」であると思います。精巧・且つ正確であるこ、これは省エネに大きく繋がります。このことをぜアピールできていないと思う。韓国のサムソンに追撃され、GDPも中国にまもなく追い越され、日本の技術はもうダメかと世界は思い始めている。これではいけない。そんなことはない。日本人技術者の妥協しない技術者魂と徹底的に追求する「工夫力」はまだ世界のどこにも負けないと信じている足りないのはそれをアピールする能力だと思う。特に政治家。。情け無いアピールとは「自己主張」であるが、一方的に持論を述べることではない...
人間の生き方

笑って死ねるか

死ぬ瞬間、僕は笑えるだろうか笑えるということは、悔いがないということである。たとえ、他人よりも苦しい人生だったとしても酷い目に合った人生だったとしても、生き方に恥じるところがなければ笑えるのではないか。もちろんどんな死に方をするか分からない死ぬときは苦しくて笑っていられないかもしれない。でも「死ぬ」その瞬間、心の底のどこかで笑っていたい僕は、事業に失敗し、脳出血で倒れた。家族にも苦労をかけた決して、「成功の人生」ではないけれども、人に迷惑ばかりかけたかもしれないけれど、精一杯生きて、自分なりにベストを尽くせたという状態で死にたい
人間について

恥とは

昔の武士は「恥」で自らの命を絶った。人間はプライドに命をかけることができる唯一の生き物である恥とは、自分に対する妥協こそ恥であると思う他人と劣っていることは恥ではない障害者の私は他人よりたくさんのことで劣っている街をつきで歩いているとどんどん追い抜かれる。コンビニで、支払いがス素早くできない。これは恥ではないそれよりも毎日かたつむりのようではある。ほんの少しできることを増やすことが大切だ昨日の自分より今日の自分が劣っていることが恥であるこれは人間として、生き方に対する厳しさである。恥とは、能力の上下ではない。 生き方のことである
人間の生き方

本当の幸せ

今、私やっとは障害者になってしまったことをずしも不幸と思わないようになれつつあります。もし脳出血をおこしていなかったら、経営者として銀行からの多額の借入金をしていたので、経営・営業に終われ、青くなっていたでしょう。障害者になったおかげで、(人間としての多くの機能は失いました)が、人間の生きる意味とか幸福について十分に考えさせてもらえる時間を与えられました。会社は破産、自己破産で借金もなくなりましたので返済に追われる苦しみからは逃れられました。決して楽な生活ではありませんが、ある意味、心の平穏を得られた気がします。そして今愛する息子と妻と毎日3食の食事と会話ができています。倒れる前は徹夜で仕事をするときなんぞザラにあり、家族との会話も少ない日々でした。何本当の幸せか考えさせられる日々です。歴史に「もし」は禁句です。私は今現在、障害者として生き残った機能を精一杯使って生きて行こう。過去を振り返っても仕方が無い。ただひたすら前を見るのみ。
人間について

痛み・苦しみは好転反応?

最近左半身が痺れに加えて手のひらに強烈な痛みを感じるようになってきた。何ともいえない妬けた鉄板を手のひらに押し付けられているような痛みだ。昨日友人が「それはきっと身体が良くなろうとしている新たな反応だよ」と言ってくれた。で調べてみると、人間が痛みを感じるのは好転反応(治癒反応)だそうだ特に東洋医学では好転反応というものを重視sgひているらしい。しかし現代医学では、痛みは病気の証拠として、痛み止めを投与する。これはいけないらしい。病気の治癒は麻酔をした方が治癒が遅くなるらしい人間は自分で治ろうとするときに痛みを感じるらしいもし、この痛みが脳の好転反応の影響だとしたら耐えるしかないのだろう。。つらいな・・僕は最近「脳=心」と考えるようになっている。だとしたら精神的苦痛も好転反応の影響?(これは飛躍しすぎか?)精神的苦痛を乗り越えれば、そこには多くの人が求めても到達できない「心の安らぎ」が待っているのだろうか。これをいわゆる「試練」というのだろうか
独り言

未知の領域

昨夜、中学生時代の親友と大阪梅田のライハウスに行った。というか半身麻痺の障害を負って、初めて行けた!大阪梅田から役1.5Km暑い中で歩けた。ライブハウスの名前はキャバーンクラブビートルズナンバー専門のライブはウスだ1960年台サウンドそのままを再現してくれる。生きてもう一度ここに来れたことが嬉しかった。ライブを聞いたときには涙が出そうになった。中学時代からビートルズファンで、特にポールマッカートニーのファンで、友達とバンドを組んだ。ポールマッカートニーかぶれだった僕はギターまで、左で弾くようになった。その左手も麻痺でギターやベースの弾き方は忘れてしまった。いつかこの左手、弾き方を思い出してくれるかな。。僕の好きなビービートルズナンバーが人と違ってちょっとマニアックイエスタデイやレットイットビーではなくアイムダウン1966年の日本武道館ライブの最後にポールが歌った曲、ポールのシャウトで歌うノリノリの曲だポールがベースを弾きながら、独特の身体動きでリズムを取っている姿が大好きなのです。これを聞いていると、元気だった十代のころを思い出す。気がつくといつのまにか47歳の障害者・・当時、未来の僕...