死ぬ瞬間、僕は笑えるだろうか
笑えるということは、悔いがないということである。
たとえ、他人よりも苦しい人生だったとしても
酷い目に合った人生だったとしても、生き方に恥じるところがなければ
笑えるのではないか。もちろんどんな死に方をするか分からない
死ぬときは苦しくて笑っていられないかもしれない。
でも「死ぬ」その瞬間、心の底のどこかで笑っていたい
僕は、事業に失敗し、脳出血で倒れた。
家族にも苦労をかけた
決して、「成功の人生」ではないけれども、人に迷惑ばかりかけたかもしれないけれど、
精一杯生きて、自分なりにベストを尽くせたという状態で死にたい
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。