この疼痛は残酷だと思う
痛みは左半身一枚表皮を剥がされ、風に吹かれているような激痛だ。
痛みの程度そのものは、もっと激しい痛みもあるのだろうけど、
それでも残酷だと思う
なぜなら、
例えば癌の末期の痛みは相当なものらしいが
(親戚で4人も癌で亡くなっているのである程度わかるのだけど)
癌の痛みはたいていは塩酸モルヒネで抑えコントロールできるそうだ、
ところがこの視床痛はモルヒネは無効だ。有効な対策がないのだ。
かろうじて
(理由は分からないが)坑うつ剤か坑てんかん剤が稀に効果があるようだ
ということしか分かっていない
だから現実には治療法がないと言って良い
何が残酷かというのかと言えば
前述の癌の痛みは激痛と言えど、
痛みの終わりは「死」というカタチではあるけれども、
痛みの終わりは来る
しかし、こ視床痛、、
視床痛は損傷した脳が異常反応しているだけで、
痛みの感じる部分は身体的には何の異常もない
だからどんなに激痛でも死ぬ事はないという
つまり、この激痛はいつまで続くのか全く分からない。
だからと言って自ら死を選択する事も現実的には困難を極める
私の知人でも激痛に耐え切れず、
自殺未遂を数回くりかえした人もいる
その人マンションの屋上から飛び降りようと、
屋上まで上がったのは良いものの、
半身麻痺だから、高さ70cmほどの柵を
どうやっても乗り越える事ができず断念したという。
そして彼は今も視床痛に苦しみ続けている
死ぬ事さえできないという事は
この激痛に半永久的に耐えなければならないという事だ。
この苦痛は
無期懲役ならぬ、
無期拷問だと思う
終わりのない拷問だ
なぜに
こんな苦しみを味合わなければはらないのだろうか
こんな状態からも釈迦の言う
生きるという事は「苦」である
という
一切皆苦という言葉を
おこがましい事だけど
僕は自らの身体で実感している気になるのだ
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。