現代医療に「生かされている」


僕はここ数日「生きる」ということについてさんざん考えさせられた。

(どんな方法でも生きることができるのであれば)生きなければならない。

これは正しいのであろうか・・

現在の日本で脳卒中に倒れる人の数は年間278万人近くいるという
現代は医学の進歩により命を取り留める人が多く死亡者数は激減しているという
しかしその代り脳卒中は身体に重い後遺症を残すことが多い。
そのような後遺症を負った人は重い障害を抱えながら生きなければならない。
それでも「生きる」事がそんなに大切なのであろうか。

僕は脳出血によりリハビリテーション病院に約半年間入院したがいろんな人を見てきた。

その中でも忘れられないのがある50歳過ぎの男性である。

彼もまた脳卒中により右半身に麻痺が残った人だった。

その人は溶接職人だったらしい。

その人がいつも泣いていたのを覚えている。

溶接職人は指先の微妙なコントロールが命だ。

その(たぶん何十年にも渡って鍛え上げてきただろう)腕が動かなくなってしまったのだ。

そのことに対して涙しておられた。しかもその人の家族は

嘆いているその人を厄介者扱いしているという。

嘆くことさえ許されないのか!と思った

これまで家族のために麻痺したその腕で(たぶん)必死で溶接工として働いてきたのに・・である

嘆いて当たり前ではないか。

確かに現代医学の進歩によってどんな病気でも死亡率は低くなっているのだろう。

しかしそれで本当に人間を幸せにしているのだろうか。

死亡しなかったことによってこの元溶接工さんのような「悲劇」を生んでいることも事実である

僕は「胃ろう」という延命措置に疑問を持っている。

「胃ろう」については最近その問題点がやっと話題になってきている

脳卒中に限らず痴呆などで嚥下障害(食べ物を飲み込めない)という患者に対して「胃ろう」

によって栄養補給し生かし続ける事に対してある医師の下記のような文章を見つけた。

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「様々な理由で正常な[燕下運動ができない患者は日本中にあふれている。そのほとんどは胃以下の
消化器には何ら問題のない患者である。このような患者に対してわが国では、Mチューブ(流動食を
入れるため、鼻から胃まで挿入されたチューブのこと)から流動食が与えられるか、IVH(心臓の近く
まで点滴の管を進め、高カロリーの液を注入すること)をされるのが一般的である。 しかしこれら
の方法は患者の苦しみを何も=考えていない。鼻から胃ヘチューブが入っているという苦しみを24時間
ずっと味あわなければならない。このような患者に対しては、仕方がないという諦めで無理を強いては
いないだろうか。重症なんだからチューブぐらいは仕方がないというのは医療者側の勝手きわまりない
傲慢な意見である。そんなに言うなら、一日でも経鼻的にチューブを入れて生活してみるといい。寝た
きりで意識のない人だから、というのは論弁であることが多い。それが証拠にしょっちゅうMチューブ
を自分で抜去してしまう“意識障害患者”も多い。これに対しては、鼻の周りを絆創膏だらけにしてみた
り、両手を抑制したりと、これでは拷問である。これが犯罪でなくて何であろうか。 また、見た目の悪さも
一考に値する。これは「生きている」というよリ「生かされている」のであり、人間としての尊厳は著しく侵
されている。見舞いにきた人は一様に“かわいそうにこんなことならいっそ早く死んだほうが‥。’と
思ってしまうのである。 さらにもっとも大声で主張しなければならないのは、Mチューブから胃への流動食
の注入は、非常に高率に「燕下性肺炎を起こしてしまうし、これはしばしば致死的であるという紛れもない
事実である。」以上のことから私はMチューブからの流動食は犯罪に近いと考える」
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脳卒中四肢麻痺の後遺症だって同じようなものだと思う。
昔なら死亡していたものが、医療の発達によって(後遺症を抱えて)ある意味生かされているのではないか
僕だって左片麻痺だから左手は一切使えない。

最近服の着替えのときやっと左手の代わりに口を使うことができるようになった。

これにしたって考えてみれば屈辱的ともいえる。

口で服の袖を咥えるから袖にはよだれがたくさん着く。

袖についているよだれが乾くと白くなりみっともない。

上述の溶接工のおじさんだってきっと溶接の仕事が誇りでもあり生きがいでもあったのだろう。

それをすべて奪われたのだ。それでも「生きろ」という権利が誰かにあるのだろうか

昔、高校生の頃読んだブラックジャックという手塚治虫のマンガを思い出す。

そこにドクターキリコという「安楽死請負医者」というキャラクターが出てくる。

彼は生きることに苦しんでいる人にたいして安楽死させるという医師?で

ブラックジャックとは敵対する医師だ。

当時のマンガのセリフでブラックジャックが完全治癒できなかった患者がドクターキリコに

安楽死させてもらうときに「ありがとう」と涙を流して感謝しているシーンで勝ち誇った

ようなドクターキリコにに悔しい思いをしているブラックジャック

「それでも俺は命がけで病人を治療する!人を生かすために・・・!」

というセリフが印象に残っている当時の僕はその言葉に感銘したものだ。

単純に「生きることは大切だ」と感じた。

それからもう30年・・自分が50歳前になって様相が違って見えるようになってきた。

確かに医学も進歩した。

昔なら死亡していたような病気でも助かっている人がたくさんいる。

でも医学の進歩が本当にすべての人間を幸せにしているのだろうか。

僕は天国も地獄も「あの世」にあるのではないと思っている。

生きている「この世」にこそ本当の地獄が存在するのではないかと考えるようになっている

いわゆる「生き地獄」である。医学の進歩によって昔の不治の病を治癒できるようになった

反面こういった「生き地獄」という不幸を生みだしてはいないだろうか。

医学によって無理矢理生きさせる」のではなく「生きたい人が生きる」ことが最も幸せな

ことではないだろうか。

「現代医学によって生きれる人は生きなければならない」のではなく・・

僕は自分がこんな状況なってからいつも考えてしまう。

生きたいのに生きれない人と苦しくて死にたくても死ぬ事が出来ない人と

本当はどちらが残酷なのだろうかと・・

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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