僕は左半身麻痺である。
そのことは絶対的不幸か
絶対的悲しみか
そうではない。
なぜなら、
例えば、、
僕は丼を食べるとき最後の米粒を丼ばちを持って口に掻き込めない。
それは絶対的悲しみか?
そうではない。
周囲のほとんどの人が丼ばちを持って口に掻き込める
僕だけが掻き込めない。。。
だから悲しいのだ。
周囲の人々も僕と同じように
最後の一口はスプーンを使わなければ食べられないのであれば
僕は自分を悲しいとは思わない。情けないとも思わない。
その悲しみとはあくまでも相対的な悲しみなのだ。
貧乏も同じだ。
周囲が液晶薄型テレビを持っている。
でも自分だけが持っていない。
だから惨めだと感じる。
縄文時代の人がテレビを持っていないからと言って惨めだと思うだろうか。
勝つ人がいれば必ず、負ける人がいる。
勝った人がいるから負けた人は悔しい。
喜びも悲しみも苦しみも心に感じるすべての喜怒哀楽に絶対的なものは存在しない。
僕の障害の苦しみも悲しみも絶対的なものではない。
あくまでも相対的なものなのだ。
だとしたら(絶対的苦しみの感情でないとしたら)、抜け出す方法があるのではなかろうか。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。