今、そんな確信を持っている。
精神的な病はもちろんのこと身体的な病でさえも人の心次第で治癒することができる。
そして自分の未来さえも変えることができる。
希望を持つことができる世の中にできるのは人の心次第だと思う。
こんなことを言うと「古い根性論」と思われるかもしれないけれど、
僕自身の実体験からそう感じる。
僕は中枢性疼痛という激痛と酷い痺れに四六時中(1分1秒と消えることはない)悩まされている。
肉体的な痛みであるにも関わらず、心の持ち方で和らぐのだ。
激痛と酷い痺れのある左半身の体には何の異常もないのだ。
にも関わらず激痛と酷い痺れを感じるのだ。
なぜならその存在するはずのない痛みと痺れは(脳出血で損傷し)イカれた脳が感じているだけなのだ。
そして僕の痛みと痺れは心に感動を覚えると確実に和らぐのだ。
これは以前にも書いたけれども「感動する映画」を観た後は
不思議と肉体的な痛みと痺れが和らいでいるのだ。
つまり心が修復されると脳が修復され痛みと痺れが和らぐのではいかと思っている。
脳=心、心=脳なのだ。
そんなふうに考えると物理的な体の傷の痛みさえも心次第で和らぐはずだと思う。
こんなふうに書くと「唯脳論」だのと批判されるかもしれないけれど
僕が実体験として感じてしまっているから考え方を変えようがない。
事実、昨日と一昨日、大それた「使命感」を心に感じていたことで、
激痛と酷い痺れの半身麻痺の体でノートパソコンを背負ってひとり東京まで行って
ある社長とスマートシティ構築実現のための出資の打ち合わせをして帰って来ることができた。
実際のところ、羽田空港では痛みと痺れは限界に近かった。
空港ないではに倒れ込みたかったほどだった。
正直言って「こんな痛みと痺れはもうたくさんだ。もう歩きたくない。誰か助けてほしい」と
感じてしまい、搭乗口に向かう途中で立ち止まってしまった。泣き崩れそうだった。。
それでも面談した社長から出資の約束を取り付けることができたことで
大きな希望を持つことができたことを返すと不思議と足が動き始め歩き始めた。(同じ痛みと痺れを感じているのにも関わらず)
一歩左足が着地するたびに感じる激痛に堪えることができ、それでも一歩一歩き始めることができた。
そのときたぶん僕の顔はすごい形相だっただろう。。^^;
自分でも不思議に感じていた。猛烈な痛みの中で満足感おようなものが
湧き出てきていたような気がする
これでこんな障害者でも本当に役に立つ人間になることができる事を証明できるかもしれない。
と・・
そして今、昨日、一昨日の自分を思い返してみて、
人は心次第で身体的な苦痛さえも乗り越えることができる
という確信を感じている。
その結果、こんな身体でも行動することができ、自分の未来さえも変えることができる。
そう確信している。
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。