大きな大きな志と希望、そして小さな小さな志と希望


僕は今、とてつもなく大きな大きな志と希望と

そして小さな小さなとてつもなく小さな志と希望を思っている。

一つは日本のモノづくり企業の振興のため、海外販路開拓及び海外進出支援サポートするなどという

実に大それた希望と志だ。半身麻痺の障害者の僕にそんなことできるのか。

そんなことは分からない。でも、それは僕の志であり、希望なのだ。

もう一つの僕の志と希望・・

それは左手でお茶碗を持ってお茶漬けをかきこんで食べること

それと息子とキャッチボールをできるようになること(もともと左利きだから)

こんな小さな小さなとてつもなく小さな希望と志だ・・

どちらの志と希望も僕にとっては命より大切な志なのだ

なぜならどちらの志も僕にとっては生きるための心の支えになっているから・・

どんなに小さくても志と希望は僕に生きる力を与えてくれる。

僕に生きる意味を見出してくれるのだ。・・

どんなに苦しい環境でも、どんなに辛い体の状態でも志と希望を持つことはできる

なぜなら志と希望というものは、自分の周りの環境でもなく自分の体の状態でもない。

それは自分の心の中に持つものだ。

そんな志と希望があるからこそ、僕は毎日を前を向いて生きることができる

だから絶対に、どんな事がとってもその志と希望は捨てない。

どちらの志と希望も実現できるかどうか、全くわからない。

冷静に考えるとどちらも実現できない可能性の方が高い。

でもそんなこと関係ない。

僕の心の問題なのだから、、、

だから誰がなんと言おうと僕の心の中からその志と希望を取り去ることはできない。

そして「僕の運命が明かされる日」まで、僕は今の体でできる限り精一杯生きるのだ。

世の中結局はお金という人もいるけれど、僕にとってはお金なんて関係ない。

これはキレイ事とでもなんでもない。

お金は決して志ならないから・・

何兆円のお金があったとしても、それだから僕の障害が治癒することはあり得ない。

いつか「お金を儲けるは悪いことですか」と言ったファンドマネジャー

村上ファンドの村上氏だったような気がするが)がいたけれど、

今の僕なら断言できる。

「お金儲けは悪いことです」

モノづくりや労働の対価、報酬としてのお金なら問題ない。

儲けることは、「錬金術」以外のなんでもない。

そんなもので儲けたお金からは絶対に志は生まれない。

なぜならそんなお金は、我欲のためのお金に過ぎないから・・

決して志ではない。

そんなお金は人に希望を与えるようなお金にはならないであろう。

そんなお金よりも僕にとっては

左手でお茶碗を持ってお茶漬けを食べることが

できるようになることの方が、

息子とキャッチボールできるようになることの方が、

ずっとずっと大きな希望であり、しかもとてつもなく高い高い志であり

高い高い。目標でもあり、何よりも達成し甲斐のある志と希望なのだ。

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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