僕は半身麻痺と強い中枢性疼痛という痺れの後遺症を負ってからこの一年は「煩悩とは何か、煩悩をなくすにはどうすればよいのか」について考え続けました。
なぜなら、仏教では、〝人の苦しみはみな煩悩にとらわれる事によって生じるので、この煩悩を消滅させる(煩悩に勝つ)事によって覚りに達することができる〟とされているからです。
なぜなら、仏教では、〝人の苦しみはみな煩悩にとらわれる事によって生じるので、この煩悩を消滅させる(煩悩に勝つ)事によって覚りに達することができる〟とされているからです。
そして今の私は生きていることが苦しい。。だから「煩悩」というもの捨てることができるのであれば
心の苦しみだけでなく、肉体的苦しみさいからも解き放たれるといのなら、そうなりたいと思ったからです。
若いころ好きった手塚治虫さんのブラックジャックの中で、安楽死請負人のドクターキリコが
「治る見込みがなく、地獄のような苦しみの中でいっそ殺してくれという患者を安楽死させることと
無理やり生きさせる医者とどちらが正しい!?」とドクターキリコから言われたブラックジャックが
医者の存在に思い悩み「神よ!医者は何のためにあるんだ!」と叫ぶシーンを思い出す。
あの有名なマハトマガンジーは人間のもつ食欲でさえも煩悩と捉え、空腹に苦しむ自分を修行不足だと考えたそうだ。
煩悩を捨て去れた状態を涅槃という
涅槃とは・・
煩悩とは今ままで金欲や権力欲や名誉欲のようなもののことを指す思っていた
しかし今、もしかすると、生存の欲求さえも煩悩なのだろうか。と思うようになっている。
というのもの僕は生きていること自体が苦しい・
生存の欲があり、生きようとするからこそ苦しい
そしてもしかすると涅槃とは死を意味するのではないか。
死ねばあらゆる煩悩から解き放たれ、苦しみから解き放たれるのではないか。
それでも私は死を選ばない。
それは。どんなに苦しい「生」の中にも喜びの瞬間があるからだ。
息子の笑顔を見た瞬間、息子が手術から生還したときの瞬間
こんな瞬間だ。
苦しいとき得られた喜びほど素晴らしいものはない。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。