強い中枢性痺れに耐え続け、動かない手足の苦悩に耐えてこられたのも
昔、水泳部のときに徹底的なスパルタ練習耐えたことが今の自分の心の強さの根源だと思っている。
中学生のときだったからもう35年も前のことだが、あのころの練習にがよく耐えたなぁと思っている。
夏休みの一日練習では2万m近くも泳いだなぁ・・
午前中の練習
インターバル
流し400m
コンビ50m20本
プル50m20本
キック50m20本
コンビ100m10本
コンビ200m5本
コンビ400m3本
コンビ50m20本
ダッシュ25m60本
合計11200m
そして午後も同じメニュー
今の時代はあの北島でもこんなムチャな練習はしていないだろう。まさにスパルタだった。
「一日中練習してろ!そうしたら手に水かきがついてくるわ!」と怒鳴られたことを今でも忘れも竹刀
タイム落ちてくると
「気合が足らん!」
とコース台にたったと竹刀で太ももを叩かれた、
痛かった。。
このとき僕は根性というものを教わった気がする。
それまでの僕は運動苦手で、根性なしだったと思う。
苦しいときはいつもそのときのことを今でも思い出す
今、障害に苦しんでめげそうになっている自分に気合を入れて欲しい
会いたいなぁ監督!
あのころ23歳だったので今は、58歳くらいかな。。
本当に熱血先生でした。
いわゆる不良連中に対しても、足払いで倒してボコボコにして「誰か助けてくれ~」といわせる
ような熱血先生でした。今なら、体罰・暴力教師として懲戒免職だろうな・・
でも心の底の生徒に対する愛情が感じられた。
だから僕は歯を食いしばって着いていった。
水泳部創設当初、部員が62人集まったのにその夏の終わりにはキツイ練習に耐え切れず残ったのが
たった9人だった。
当時の部員の仲間にも会いたい
監督に教えてもらた泳ぎは残念ながら脳卒中で左手足は忘れてしまっています。悲しい。。
でも会いたい。
感謝の気持ちでいっぱいです。監督はこの一年半障害に耐えてこられた今の自分の礎です。
もしもこのブログを見ていたら連絡がほしいな。。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。