優しさというものは全て相手にとっていわゆる癒しや助けにはならないと思う。
例えば、自分は障害者だけど、変に優しさという大義名分で 障害者でも自立しようとしているにも関わらず、助けてくれりすると
やっぱり自分は障害者で、できないと思われているのだと感じてしまい、余計に惨めな気持ちになり、助けてもらっているにもかかわらず、逆に腹立たしくなったりする。こんな気持ちは、例えば勝負で負けた者が勝った者から変な優しさを受けてしまうと惨めな気持ちになるのと同じではないか。おそらく健常者にはこんな気持ちは理解できないだろうけど、他人には入ってきて欲しくない領域に土足で踏み込んでいるようなものだ。
もちろん、いたわりの気持ちや善意や親切心でしてくれている優しさだと理解してるけど、ときには優しさは前述のように相手の気持ちを傷つけてしまうことがある事は理解して欲しいと思う。
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。