人間の生き方

無私無欲について

前の記事のコメントに無私無欲についての僕の考えを教えてくださいとありましたので、無私無欲について書いてみたいと思います。僕が無私無欲について書くのは、自分自身が無私無欲になりたいだからです。なぜ無私無欲になりたいのか。それは非常に簡単です「苦しみから逃れたい」ただそれだけです。僕は脳出血の後遺症で左半身が運動麻痺していますが、脳卒中の後遺症は100人100様です。僕の場合は運動麻痺以外にも強い感覚異常(たとえば水が痛いと感じるのです。水のシャワーはまるで針のシャワーであり、ゲゲゲの鬼太郎の毛針攻撃を向けているような感じです)と中枢性疼痛という四六時中麻痺側の左半身に痛みと痺れを感じ続ける後遺症が残っています。これは麻痺した左半身が四六時中痛みと痺れがあるのです。これは耐え難い苦痛です。そしてこの脳卒中後の中枢性疼痛というものは効果的な治療法がありません。つまり延々と痛みがしびれが続くのです。当初この痛みと痺れのせいで精神的に参っていました。いつまで続くのか全くわからない。これが死ぬほど苦痛でした。たとえば骨折をして3ヶ月痛みを治癒するというのであればいくらでも我慢します。3カ月なんてほ...
人間について

命ってなんだろう

命ってなんだろう。いのちって・・僕なりに、脳卒中の経験から脳=心であると確信している。身体とは別に魂などというものは存在はしない。こういう考え方が悪いのかどうか分からないけれど、それが現実だと僕思っている。脳死=魂の消滅と考えているので論理的には死ぬことは無に帰することである。そんなふうに考えると死者の霊を弔うなどという儀式は全く無意味であり、お墓の存在意義もなくなる。しかし魂とか心とは別に「いのち」って何だろうと最近考えている。命って意識とか心に限りなく近いことを指すのだろうか。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるが、本当に小さな虫に人間が想像する「魂」というものが存在するのだろうか。また心は存在するのだろうか。心が存在するのであれば、悲しいとか嬉しいというような感情は存在するのだろうか。また自意識ようなものは存在するのだろうか。確かに虫にも小魚にも命がある。それはわかる。じゃあその命って一体なんなんだろう。虫など小動物が攻撃に対して抵抗するのは、苦しいとか怖いとかいう感情によるものだろうか。単なる条件反射ではないのだろうか。それが命だというのなら、微生物にもいのちが存在する、更...