独り言

「受容」?悲しみの受容?、障害受容?

受容・・「悲しみの受容」「障害受容」受容という言葉・・なんと冷酷で残酷な言葉なのだ。 愛する人の死の悲しみや障害を負った苦しみなどを「こんなものだ」と受けれること?不可能だ・・経験した事のない人が無責任に言う冷酷且つ残酷な言葉にすぎない。肉親や子供を亡くした方は時間の経過とともにその悲しい事実を受け入れることが本当にできるとでも思っているのか。時間と共悲しみが癒される?それは不可能だ。その人達の時間は亡くしたときの瞬間で止まっているのだ。日常に涙が消えたのは、決して受け入れたわけではない。心の隅にひたすらにコンクリート詰めにして隠しているだけ。それでもときどき辛い想いが心の中に浮かび上がり、ひとり涙にくれるものなのだ。僕の祖母が89歳で亡くなる直前に・・もう60年以上前に満州で戦死した長男の名前を呼んだ。決して長男の死を「受け入れていた」わけでは無かったのだ。死ぬまで「受け入れる」ことなどできなかったのだ。ひとり密かに涙にくれた日々もあったのだろう。きっと祖母の時間長男の戦死通知が来た日から止まっていたのだろう。死の間際まで・・僕の時間も2年半前の倒れた瞬間から止まっている。時間は45...
独り言

梅雨の朝

湿り気湧き立つ梅雨の朝、痺れ湧き立つ我が身体、心も湿らす朝涙