人間について 修羅場では八方塞がりに見えるもの
人生の中での修羅場・・そのときって人間は自分行く道が八方塞がりに見えるものだと思う。四面楚歌・・もうどうしようもない・・そう考えてしまって心が追い詰められ死を選んでしまうというようなことが多々あるのではないだろうか。でも、決しそうではないと思います。心がが八方塞がりになってしまっているだけで、現実は何も八方塞がりなんかではないではないかと思う。心が勝手に八方塞がり・四面楚歌だと思い込んでしまっているに過ぎないのではないかと僕は思う。そのような状況とき、なぜか心は外部からの声を聞く耳を持たない状況になりがちだと思う。自らが「そう思いこんでしまい」聞く耳を持たなくなるのである。僕もそうだった。僕も、脳出血で倒れ半身不随になったとき、そうだった。自分の会社は破産、自分自身も自己破産・・何もなくなったと思った。その上、身体は半身不随・・僕のこれからの人生、、先はないと思った。絶対に復活なんてできない。そう思っていた。実際、こんなふうに考えても経済的に立ち直れる術は一つも思い浮かばなかった。僕の人生はこれで終わりだと思った。このまま一生介護を受けながら、生きていく。みじめな人生になるしかない。そ...
